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私のことばはウィスキーではないけれど
ワインも飲むし、焼酎も好き。
週末ちゃんとしたギネスを飲むためにアイルランドにも行く。
そしてもちろん、ウイスキーも大好きだ。
いつウイスキーを舐めるようになったのかは、定かではない。
もちろん子供の好奇心から父親の洋酒棚にあったジョニーウォーカーやカティーサークのボトルをこっそり開けて、匂いを嗅ぎ、「うぇっ」といったことはある。
これはきっと誰もが通るみちだろう。
♢
大学生のところ、百貨店のお歳暮売り場でバイトをしたことがある。
まだネットショッピングどころか、インターネットもスマホもなかった時代。
お中元やお歳暮を送るといえば、デパートで配送を頼むのが普通だったころ。
社員さんと同じ制服を着て、少しばかりの接客マナー研修のあとすぐに注文受付に立たされる。
それは、目まぐるしい忙しさの週末とは違い、静かな平日の閉店直前。
傘袋に、上品な傘を、でも、わさっとしたまま突っ込んで、40代くらいの男性がやってきた。
「バランタインの17年を送りたいんです」
慌て気味に真っ直ぐカウンターへ駆けつけたその様子に、
あらかじめ品物を決めカードを手にしているお客さんとは違い、これから贈るものを考え始めるのかな、
こりゃ時間かかりそうだな、
接客が終わるのは閉店時間すぎるかな、
そんなことを考えた。
「いらっしゃいませ」と椅子を勧めた私の予想は、しかし、そのキッパリしたウイスキー名で裏切られた。
「なんかね。もう何年も、何もしてなくて。
でも今年もやっぱり帰る気にはなれなくて」
薄っぺらく百貨店の制服を着た学生バイトに、いや、逆にそんな若者だからだったのか。
その男性は住所を書きながら、目もあげず問わず語りにつぶやいた。
私はギフトカタログの洋酒のページから、バランタインを探し、
その商品番号を、
送り主と同じ苗字の男性名と、
北海道の住所が書かれた伝票に書き足した。
いろんなドラマがその伝票にはうつされているようだった。
その時。
東京にいる息子と、北海道にいる父親が交わすことばはウィスキーだった。
その後、村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を読んだとき、
この百貨店の催事場の場面を思い出した。
ウイスキーが代弁するなにかが、
あの日の渋谷の百貨店には、
あったのかもしれない。
♢
いつの間にかウイスキーをバーで頼むようになっていた。
そして、すこしオトナのひととホテルのバーで会った時、視線の先に並ぶ、読めないラベルのボトルが気になった。
ちょっと大人ぶってみたかった。
「あの、そこにある、ら、ラホ…それ、ウイスキーですよね?」
バーテンダーさんはつつましく微笑みながら
「ラフロイグ、ですね。
スコットランドのアイラのウイスキーです。すこし特徴がありますが、おためしになりますか?」
と答えた。
書斎のようなどっしりした木目調のバーの。薄暗いカウンター。
それが私とアイラウイスキーの初めての邂逅。
ひとくちめ、うわ失敗したなと思った。
でも、悔しかったから黙って飲み込んだ。
ふたくちめ、あれ、おいしい?
みくちめ、最後のクエスチョンマークは消えていた。
うん、おいしい。
こうして私はアイラウイスキー呑みになった。
♢
ロンドンに引っ越して1年ほどたったころ。
イギリス人と結婚した同級生が、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」を渡してくれた。
バランタインと催事場の思い出と、あの生意気ぶったホテルのバーの情景、そして磯の香りのウイスキーが、一気に渦になって記憶になだれこんだ。
私、いま、同じ国にいるじゃん。
その「ウイスキーの島」に行こうと決意した。
♢
実行したのは数年後、2014年のイースター休暇のことだった。
なぜなら、同じ国と軽く思っていた私の予想を裏切って、アイラ島はとても遠いところだったから。
ロンドンからグラスゴーまで、飛行機で1時間半。
そこからレンタカーを借り、フェリーの出発するケナクレイグまで2時間半。
今度はフェリーでアイラ島までがさらに2時間半。
これだけの時間ヒースローから飛んだら、ドバイまで行ける。
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ロンドンから島に着くだけで1日使うことになる。
こうしてようやく到着した夕方。
その日は港の横のB&Bに泊まり、翌日から、いよいよ蒸留所巡りをスタートだ。
2014年当時、キルホーマンができたばかりで、合計アイラ島で稼働しているのは8つの蒸留所だった。
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と謳ったポスター。売り切れで買えなかったからディスプレイを写真に撮った。
北から時計回りに、
ブナハーブン(Bunnahabhain)、
カリラ(Caol Ila)、
アードベッグ(Ardbeg)、
ラガブーリン(Lagavulin)、
ラフロイグ(Laphroaig)、
ボウモア(Bowmore)、
ブルイックラディ(Bruichladdich)、
キルホーマン(Kilchoman)
で、私たちのベースとなる民宿を兼ね備えたパブは、ブルイックラディの近くにあった。
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ポートエレンはもうすぐ復活するとこのときすでに言われていた。
まずはB&Bを出て、北上し、カリラ蒸留所へ。
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そこから、さらに北へ車を走らせる。
人口3000人あまりの島だからか、すれ違う車はかならず警笛をプッと軽く鳴らし手を挙げて挨拶をする。
なんだか島に受け入れてもらったようでうれしくなる。
そこかしこに美しい光景が広がっているので、ついつい車を停めてしまうので、歩みは遅い。
でも、それがこの島の時間の流れ方なんだと思う。
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そして、ブナハーブン蒸留所に到着。
この細い下り坂からの蒸留所の光景は、いまでも目に浮かぶ。
なんというロケーション。
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アイラのなかで一番口あたりが柔らかいと称されるブナハーブン。
地理的にも、孤高で、ちょっと他とは違うよ、といった感じがする。
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ここからまた島の中心へ向かって戻っていく。
途中、古い織物工場があったので見学する。
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当然来たことありますよね。
そしてディナー。
もちろんのシーフード尽くし。
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翌日は、復活することになったというポートエレンの跡地を通り、まずラフロイグへ。
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私たちの訪問は、サントリーがビーム社を買収して、結果ラフロイグとボウモアがサントリー傘下になったと発表になったときだった。
それが嬉しいことなのか、嬉しくないことなのか。ちょっと恐縮しながらの蒸留所訪問。
見学の時にも、日本のことをちらほらと言及しながらの解説だった。
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いちばん印象に残っているのが、
「年数が大きければおいしいわけではありません。それぞれに、それぞれの個性と味わいがあり、好みによって違うのです」
ということば。
スペインのカヴァワイナリーにも通じる姿勢。
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そして、ラフロイグから逆時計回りに、今度はラガブーリン蒸留所へ。
この時初めて16年物を味わった。
それまでの「アイラならラフロイグ」から宗旨がえをした瞬間だ。
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次は、アードベッグ。
とても商業的、という印象で、ウイスキーから思い描いていた蒸留所との違いが印象的。
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その夜は、泊まっているパブのカウンターでアイラのウイスキーをさらに試し飲み。
運転しなくていいので、舐めるではなくちゃんと飲める。
味比較しながら飲んでいたら、地元のひとたちとも仲良くなってウイスキー談義。
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を買ったのでそれに合わせて。
翌朝。
散々飲んで、笑って、という夜だったのに、不思議と朝5時に目が覚めた。
すぐ目の前にある海岸まで散歩した。
ああ、この小さな島で作られたウイスキーが、遠く日本までたどり着く。
かつての私は、それをあの東京のバーで飲んだんだな、なんて思いをはせる。
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カメラ目線。
朝食を食べながら、パブのご主人が「で、今日のプランはなんなんだい?」と尋ねるので、残りの蒸留所を回ってそれ以外何もない、と答えた。
すると、「じゃ、おれの学校んときの友達が北のほうで牡蠣作ってるから、そこで牡蠣を買って海岸でウイスキーと楽しんだらどうだ」と提案してくれた。
なんたる名案!
まずは予定していたブルイックラディ蒸留所へ。
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そして、そこから、牡蠣の養殖場で36個の牡蠣を買った。
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そして牡蠣ウイスキーをするための小瓶と一緒に
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海岸へ。
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春のやわらかい日差しを浴びながら、海岸の草むらに寝そべって。
パブのご主人が用意してくれていたバスケットに入ったパン、バター、そして牡蠣にウイスキーをたらしてひたすら堪能する。
幸せってこういうことだ。
そして、今度は、牡蠣と一緒に味わったボウモアの蒸留所へ。
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ここでジーンと文庫本を思い出した。
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最後にキルホーマンにも立ち寄って、そしてパブに帰る。
たった数夜の宿なのに、すっかり自分たちの「ホーム」になっていたところ。
「そうそう、日本っていえば、コレ、日本のなんだろ。昔泊ってた客が置いていったんだよ」
ご主人が埃をかぶってすっかりいい味になったダルマを棚から出してきた。
ウイスキーでもそうだが、よい酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質がないと決してよいものはできない、というのが私の酒づくりの哲学のひとつである…(後略)
この地元の人たちが集うパブに泊まって、
同じカウンターで酒を酌み交わし、笑い、音楽に体を揺らし。
この竹鶴政孝がいう「熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質」の原泉を、感じとれた気がする。
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音楽と、ダンスと、笑いと、ウイスキーに充ちた最後の夜が更けて。
出発する朝。
「ウイスキーだけじゃないぞ。音楽フェスティバルもあるし、遠くたって同じ国にいるんだ、また来いよ」
そうご主人が見送ってくれた。
「はい、また来ます!」
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フェリーの甲板から。
コロナもあったし、新しい蒸留所もできたようだし、いろいろあるうちに、結局それから9年も過ぎてしまった。
もちろん、また行きたい気持ちはある。
でも、島がどうなっているのか気になるのと同時に、あの2014年イースターの時の心象風景を、そのままとどめておきたい気もする。
私のことばは今もまだウィスキーではないけれど。
ボトルを開けて、
ウイスキーグラスに注げば。
いつでもアイラ島は自分のたなごころの中に戻ってきてくれるから。
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