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魔法使いのいるお店
その店は、暗闇の中にぼんやりと浮かんでいた。
かなり手前に、揺れるろうそくの光に照らされた小さな教会があるだけで、その旧市街は丘の上のお祭りとは対照的にひっそりとしていた。
「あの、明かりがともっているところまで歩いてみようか」
夕飯まで時間が少し空いたので、お祭りを冷やかしにいった帰り。
この村にはもう何度も来ていたけれど、これまでいったことのない丘の下へ向かって地元の人たちが歩いていくのに初めて気づいた。
ちょっと冒険。
その流れに乗ってみることにした。
流れの行きつく先、坂のふもとには、小さな教会とその前の広場。
地元の人たちはそのあたりに車を停めていたからだろう、三々五々に流れが散っていき。
気づくと、私たちだけが教会を越えて歩き続けていた。
その暗く細い道の奥に、ぼんやりとウインドウからもれてくる光があったのだ。
「お菓子…や、さん?」
確信が持てなかった。
中の暖気のせいか若干曇ったガラスの先には、粉砂糖のかかった大きなケーキのようなものが見えた。
同時に、まるでハリーポッターにでも出てきそうな、あるいはエストニアでみた古い薬局を思い出させる背の高い木棚の中には、いろんな形のガラス瓶が並んでいたから。
あれは、薬?
人影はない。
「このお店、気になるね」
「うん、気になる。ドア開くかな、もう閉まってるのかな」
Sちゃんがめずらしく積極的だったので、私は少しだけドアを押した。
「あ、開いてる」
SちゃんとK、そして私の3人はおそるおそる店内に入った。
ぐるりと高い天井の店内をみまわす。
左側の背の高い木製のケーキ棚にいくつかのタルト。
正面には、ガラスケースの中に入った見たことのない貝殻のような形の焼き菓子が、色とりどり美しくこんもりと山盛りに飾られている。
タルト棚の反対側には、ビスコッティのようなものが袋詰めされ、積まれていた。
お菓子屋さんだ。
周辺の高い木棚に並んでいる薬瓶のようなものは、よく見れば古いグラッパやデザートワインだった。
すごいねー、と云いながら見回す私たち。
とはいえ店の奥にすら人の気配がない。
誰かがでてくる様子もない。
「このビスケットみたいなカラフルな焼き菓子、なんだろうね」
ガラスケースに顔を近づけ覗いていると、突然、奥からすうっとエプロンをつけた初老の男性があらわれた。
音もなく。魔術のように。
♢
とてもパッションのある知識豊かなお菓子屋さんだった。
ガラスケースのなかの伝統的なタルトやビスケットの種類や歴史、レシピなどを熱心に教えてもらい、袋詰めのビスコッティを試食させてもらった。
固すぎず、ホロリと口で崩れる。
おいしい。
「こっち。こっちにおいで」
すると唐突に、お菓子屋さんが手招きをした。
奥に細長く広がっていたのは、工房だった。
中型ミキサーや、焼きあがったケーキを冷ます棚。
刷毛やへら。
ボールやハンドミキサー。
私の目には、どれも、懐かしいものばかり。
「うわあ、懐かしい風景です。私の父はもうリタイアしましたが、パン屋だったんです。祖父の代から。
でも、私は継がなくて、ヨーロッパに来ちゃって」
私がいうと、そうか、そうかとお菓子屋さんは微笑みながらうなずいた。
あまり甘党ではないけれど、この素敵な時間のお礼もかねて、私はお菓子を買って帰ることにした。
年末に日本に持って帰れそうな袋詰めのビスコッティをふた袋。
おめざに食べるため、ガラスケースの中の謎の焼き菓子をひとつずつ(これはねトスカーナのレモンで、これはピスタチオだよ、全部おすすめだから…)。
Sちゃんも、同じことを思ったんだろう。私と同じ買い物をした。
「セラー、見たい?」
お菓子屋さんが、またしても唐突にいった。
工房とは違う方向に、仄暗い裸電球に照らされて、地下に降りるレンガの階段が続いているのは目に入っていた。
やっぱりあれはセラーなんだ。
♢
そこは、まさに秘密基地だった。
埃をかぶったトスカーナのワインたちがひそかに呼吸を続けている安息の地。
低い天井とはいえ、上から下までびっしりと棚が埋まり、そこに手書きのラベルが下がっている。
Castello Di Ama Vigna Il Chiuso Toscana 1991
Fattoria dei Barbi Brunello di Montalcino 1988
Rodolfo Cosimi Il Poggiolo 'Beato' 1992
一瞬ついこの前のワインのように思えたけれど、2000年だってもう23年前。
考えてみたら、ここにいるのは20世紀生まれの、どれもみな30年以上たったワインたちだ。
「いったいいくらするんだろうね」
それまで静かだったKが、急に興奮しはじめた。
年上のパートナーに足並みをそろえ40前半で早期リタイアしたKは、そういえば、時間を持てあまして最近ワインの勉強をはじめたと云っていた。
レストランで働いていたものの、ワインにはあまり詳しくないSちゃん。
いつもただ飲むだけの私。
私たち二人は、ただセラーの空気感に圧倒され、無言だった。
Kはいろんなラベルを読んでは感嘆の声をあげていた。
「これ、売り物なんですか?値段を訊いてもいいですか」
Kにうながされ、私はお菓子屋さんにそうたずねた。
何枚もの紙がクリップで留められたリストをめくり、
お菓子屋さんがは云った値段は、
26ユーロ。
「購入した時の価格から計算してるから。
希少価値とかプレミアムをワインの価格にのせ、ふっかけるのが嫌いなんだよ。
でも、買ってほしいひとにしか、買ってほしくないけれどね」
26ユーロという値段をきいて、乗り出すように、Kは目をらんらんとさせ始める。
私は静かに「でも、K、機内持ち込みカバンのチケットだから、液体は持って帰れないといってたでしょ」となだめた。
だって、この特別な空気のただよう場所に、血気盛んな買い物は似つかわしくない。
でも、手が届く値段ならば、飲んでみたいというKの気持ちもわかる。
「じゃあ、記念にいくつか売っていただけますか」
私はそうお願いした。
この週末の思い出に、みんなで飲むために1本。
そして、Sちゃんと共通の友達、
この週末に、ほんとうだったら日本から飛んできて一緒に過ごす予定だった大のワイン好きのたまえちゃん(仮名)へのおみやげとして、このセラーの記憶をシェアするために、私たちが飲むのと同じワインをもう1本。
もしそのワインが日本まで持って帰る振動でダメになってしまったときのために、小さなデザートワインを1本。
たまえちゃんへのプレゼント案を持ち掛けると、Sちゃんも賛同してくれたので、2本は二人で一緒に買うことにした。
「ずっとここで眠っていたワインたちだから、すぐに飲むやつはなるべく静かに持って歩いてね。
移動させるやつは、少なくとも1か月は置いてから飲むんだよ」
お菓子屋さんは、ワインたちを丁寧に包み、手渡しながらそういった。
民宿への帰り道。
なんども薄暗い道を振り返ってしまった。
だって、お店の光があとかたもなく消えているかもしれないから。
手に伝わるワインとお菓子の重みに、いやいや、これは実際に起きたことなんだと思い返す。
そして、ふと気がついた。
こんなオールドビンテージのワインじゃ、ワイン好きのたまえちゃんはともかく、しろうとの私たちはとても開栓できないだろうと。
それではせっかく売ってくれたお菓子屋さんの厚意が無駄になってしまう。
「今夜いくレストランにはちゃんとソムリエさんがいる店だから、そこで持ち込み料を払って開けてもらおうよ」
♢
村いちばんのそのレストランの中は、ガラス戸の外の喧騒とはうって変わって、シンと静まり返っていた。
私たちは、お菓子屋さんが包装紙にくるくると包んだだけの、まだ肩に30年の埃がついたままの1988年産ワインをソムリエさんに渡した。
「その前に白ワインを1本オーダーするし、持ち込み料も払うので、この赤ワインの開栓をお願いしたい」と伝えた。
「ああ、別に白ワインを頼まなくたってかまいませんよ」
そうソムリエさんはいった。
いやいやワイン1本では終わるわけがないメンバーなので白は必要なんですよ。
前哨戦の白ワインを飲んでいると、コルクが壊れてしまったので、デカンタをするとサービスの男の子が教えにきれくれた。
ああ、やっぱり!
プロに開栓をお願いして本当によかった。
カウンターへ行くと、ソムリエさんがろうそくで下から照らしつつ、丁寧に濾してくれていた。
あの仄暗いセラーでずっと眠り続けていたワインが、21世紀の空気に触れる瞬間だ。
こうしてテーブルに運ばれてきたデカンタの中には、美しいガーネット色のワインが揺れていた。
「あらためて、かんぱい!」
私たちは、お菓子屋さんに感謝しつつ、そのワインを口にした。
スルスルとサテンのような喉ごしなのにしっかりと奥行きが味わい。濃厚だけれど上品に溶けていく。
ああ、なんておいしいんだろう。
10年以上前、Sちゃんとたまえちゃんとサンセバスチャンで飲んだワインの事を思い出した。
「こりゃ上手に開けてもらったね。ぜったいにソムリエさんにも味わってもらわなくちゃ」
Sちゃんのダンナが、まるで同じことを考えていた。
私もサンセバスチャンで、ソムリエさんと一緒に味わったことを思い出していたのだ。
最初は遠慮していたソムリエさんも、私たちがぜひにと繰り返すと嬉しそうにグラスを手に戻ってきた。
私たちもあのお菓子屋さんのご厚意がなかったら、味わえていないワインなんです。
そして、あなたが上手に開けてくれなかったら、私たちはすっかりその厚意を無駄にしていたと思うんです。
なにより、このトスカーナの地が生んだおいしいワインを、私たちだけでなく、やっぱりこの村のひとに一緒に味わってもらいたい。
持ち込み料は取られなかった。
♢
翌朝、Sちゃんのダンナも一緒に、お菓子屋さんにお礼に行こうということになった。
ワインのお礼だけではない。
一個ずつ買った焼き菓子が、あんまりふわっと柔らかくおいしくて。
Sちゃんも私も、ガラス棚の中のタルトの味が気になってしまったのだ。
そして。
あのお店が、実在するんだと、朝の光の下でちゃんと確認したかったから。
あった。
「ほんとだ。ほんとに、ちょっとハリポタのなかにでてきそう」
Sちゃんのダンナが、思わずという感じで、そういった。
そのくらい、おひさまの下でも、まるでおとぎ話の中のお店のようだった。
「しろうとが下手に開けて、せっかくのご厚意を無駄にしないように、丘の上のレストランでソムリエさんにちゃんと開けてもらいました。
本当においしいワインで、素敵な思い出になりました」
そうお礼をいい、Sちゃんと一緒に数種類のタルトを買い込んだ。
Kは、すでに私とSちゃんはぺろりと食べて終えてしまった、例の焼き菓子を買った。
そしてしばしの談笑の後。カラン、とベルを鳴らして、ドアを開けた。
「ありがとうございました。また、来年のお祭りのときに遊びに来ます」
振り返ってそうあいさつすると、お菓子屋さんは笑顔でいった。
「おまちしています。いつかあなたの日本にいる家族やお友達とお会いできることを楽しみにしていますよ」
まるで魔法にかけられたかのような一晩のできごと。
それは、
暖かいトスカーナのひとたちの思いやり、
という魔法だった。
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![ころのすけ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83782340/profile_cd293878dc7ba988f0dbcd0bc48102f6.png?width=600&crop=1:1,smart)