【創作小説・Stack Room150】自販機の微笑【R105】
前回
「自販機の微笑」
1
真夏。気だるい暑さが続く毎日の中、一人の男が吉田と鹿又のマンションを訪れた。
「久しぶりだなー、三好」
吉田は冷えたコーラを飲みながら、斜め右にいる茶髪の男に笑いかける。三好と呼ばれた男は、「大学以来だな」と曖昧に笑い返した。
「で、どうしたんだよ? いきなり連絡来たからびっくりした」
吉田が尋ねると、三好は俯いて視線を彷徨わせる。何か言いたいことがあるようだが、それを言うかどうか、迷っているみたいだった。
「お前、まだ……動画配信とかやってる?」
しばらくして、三好が言う。吉田は「やってるけど」と素直に頷いた。三好が顔を上げる。
「じゃあさ……俺の話、動画のネタにしてくれよ。きっと動画のネタになるだろうから……その代わり、絶対真相を暴いて欲しいんだ」
三好が身を乗り出してくる。吉田はその勢いに押されるまま、三好の話を聞くことになったのだった。
2
自室でゲームをしていた鹿又が休憩の為にリビングへ向かうと、ソファーで一人難しい顔をしている吉田を見つける。
「あれ、三好さん帰ったんですか」
吉田に鹿又がそう聞くと、吉田は「うん……」と何故か曖昧な返事をする。何か考え事をしているらしい吉田をスルーして、鹿又が冷蔵庫に作ってあった麦茶をコップに入れる。その直後、吉田が「なあ鹿又」と話しかけた。
「失踪事件とかって、動画のネタになるのかな……」
「……いきなり何ですか?」
何やら込み入った雰囲気を感じた鹿又は、コップをそのままリビングに持っていく。鹿又がソファーに座ると、ふと謎の茶封筒が目に入る。三好の忘れ物なのかと考えていると、吉田が「実はさ」と話を切り出した。
「さっき三好が、彼女が失踪したって話してきてさ……夜中にふらっと自販機にジュース買いに行って、そっから行方不明。で、俺にその話をネタにして、いなくなった彼女の情報収集してほしいんだって」
どう思う? 吉田が鹿又の顔を覗き込む。鹿又は冷静な態度を乱す事もなく言った。
「正直、そういうのは警察の仕事だと思いますけどね。迂闊に素人が手を出せるような話題でもないし、今のうちに断っておくのがいいんじゃないですか」
「……もう『わかった!』って言っちゃった」
じゃあ何で俺に聞いたんですかと鹿又は呆れ返った。吉田という男は、頼まれると案外断れないタイプなのである。吉田は困ったように「だって、三好の顔怖かったんだもん……」などと言う。
「大事な人がいなくなって混乱してるんですよ、三好さん。今からでも遅くないから、断った方がいいですって」
「いや、でもさぁ……三好から依頼金、貰っちゃって……」
鹿又は眉間に皺を寄せた。結局、吉田は金に釣られたのだ。机に置かれた謎の茶封筒はそういう事だったのかと鹿又はため息をつく。
「鹿又! お前の分もしっかりあるから!」
頼むから手伝ってくれと吉田が手を合わせる。鹿又はぐっと文句を言いたいのを堪える。
金か……いくら取り分があるのだろう。鹿又は考える。チラリと机の茶封筒に目をやって、「いくらですか」と素直に聞いた。
吉田は指を広げてパーを作った。なるほどつまり五万かと鹿又は解釈し、「わかりました」と承諾した。
鹿又はまず、状況を整理しようと冷蔵庫に貼ってあった小さなホワイトボードとマーカーを持って来た。
「ええと、まず、夜中の一時頃に彼女の方が出て行って……三十分以上戻ってこないので異変を感じた三好が、自販機の所に行った。それで……何か、そこで三好の奴……変な事言ってたな」
三好から聞いた話を説明する吉田が、妙な顔をする。鹿又が「変な事って?」と聞く。吉田は言った。
「自販機ってさ、喋る機能ついてるじゃん? いらっしゃいませ〜……とかさ。その、自販機の声が、彼女の声に似てるって言うんだよ」
吉田の話に、鹿又が首を傾げた。一体、何を三好は言い出すんだろうか。
「俺もさあ、いきなり何言ってんだ? って思った。でも、三好の目はマジだった。俺の彼女の声が自販機から聞こえるってずっと言うんだよ。警察にその事言っても信じてもらえないだろうから、吉田にだけは話しておく……なんて言ってさ」
吉田はあの時の鬼気迫る三好の表情が忘れられなかった。何かに取り憑かれたみたいに「声が聞こえたんだ」と繰り返していた三好のことを。
「そんなの聞き間違いでしかないでしょ。さっきも言いましたけど、やっぱり三好さんちょっとおかしくなってるんですよ」
「う〜ん、そうなのかな? 俺は結構気になるポイントだけどね。なあ、いっそ今から現場の自販機に行ってみない?」
吉田の提案に、鹿又は少し迷ったが「一応金も貰ってるしな……」と考慮した上で自販機まで向かうことにした。
三好の家は練馬駅から少し歩いた住宅街の中。件の自販機は、住宅街を抜けた大通り沿いにあるものだ。
鮮やかな赤色をした自販機の前に着いた吉田と鹿又は、とりあえず周辺に何か手がかりがないか捜索した。とはいえ、警察が既に探し回っているだろうから、素人の二人が探したとしても特にこれといって目ぼしい手がかりは見つからない。
「情報提供呼びかけるにも、こうも痕跡ないってなると困りますね」
鹿又が言う。失踪現場は大通り沿いで、見晴らしも良い。目撃者がいてもおかしくないのは確かだが……。
「……なあ鹿又」
鹿又が考え事をしていると、吉田が話しかけてくる。鹿又が吉田の方を見ると、吉田は自販機をじっと見つめていた。
「これ、何だろ」
吉田の指さす部分に鹿又が注目する。吉田が指をさしているのは、自販機の一番下の左端だ。
その部分には、ぽっかり穴が空いたみたいに何もドリンクの表示がない。ただ、百四十円と書かれたマークがあるだけのそれは、売り切れのライトが光っているわけでもなかった。
鹿又が不思議に思っていると、間もなくして吉田が自販機に小銭を入れた。
「ちょっと、吉田先輩……!」
鹿又の焦る声も聞かずに、吉田は空白の部分のボタンを押した。ガコン、とドリンクが落ちてくる音がする。
吉田は落ちてきたドリンクを慣れた手つきで取り出した。
「……え」
手元を覗き込んだ鹿又と吉田の二人が言葉を失う。
吉田の取り出した缶ジュースには、微笑む女性の顔が引き伸ばされてプリントされていた。
3
「何で持って帰って来たんですか、これ」
鹿又が心底嫌そうな顔で、机に置かれた缶ジュースを睨む。女性の顔がプリントされたその缶ジュースは、普通ではない事は明らかだろう。不気味がる鹿又に、吉田はスマホを操作して「鹿又、見てこれ」と画面を見せる。
「昔、撮ったやつ。この真ん中にいるのが三好の彼女」
鹿又が画面に写る写真を見る。五人ほどの男女がピースサインをしたりして笑っているその真ん中に、セミロングの女性が微笑んでいる。隣には三好がいた。
「……缶ジュースにプリントされてるのと、顔が似てない?」
吉田の一言に、鹿又は黙る。鹿又もその写真を見た時にすぐ気が付いたのだ。缶ジュースにプリントされた顔と、スマホの中で笑う彼女の顔がそっくりであると。だけど、あえて言わなかった。認識するのが嫌だったのだ。
「開けてみる?」
吉田の言葉に、鹿又は「えぇ」と声を漏らす。もし、缶ジュースを開けて何かが起きたら堪ったものではない。でも、缶ジュースが真相究明に繋がるかもしれない事を天秤にかけて、鹿又は「……開けるならベランダでやって下さい」と吉田に告げた。
「え、俺が開けんの?」
「当たり前でしょ。アンタが持ってきたんだから、責任持って何とかして下さい」
言いながら、鹿又はキッチンからコップを持ってきて缶ジュースと一緒に吉田に押し付ける。「中身、コップに入れて来て下さいね」と鹿又に言われ、背中を押された吉田がしぶしぶベランダに向かう。
ベランダに吉田を締め出すと、とりあえず鹿又は安心してソファーに背を預ける。爆発物などではないといいが。
しばらくして、吉田が鹿又を呼んだ。鹿又は嫌な予感を感じながら、ゆっくりとベランダへ向かっていく。
「何ですか」
ベランダから鹿又が顔を見せると、座り込んだ吉田の丸い背中があった。吉田が振り返って「見てこれ」とコップを鹿又の前に差し出した。
コップの中は透明な水のように見えた。だが、シュワシュワと音を立てる小さな泡が何個もあるから、鹿又はそれが「炭酸」なのだと思った。
「……これは?」
コップの底に、何か銀色のアクセサリーのようなものが沈んでいる。ハート型の白い宝石がキラキラと炭酸の中で光っているのを見て、吉田が「多分ネックレスだと思う」と言った。
「缶の中に入っていたんですか」
鹿又の問いに吉田が頷く。鹿又は神妙な面持ちでコップの中を見つめた。缶の中にネックレスが入っているなんて普通ではない。間違っても、業者が入れたものではないだろう。
「このネックレス……三好の彼女がつけてたのと似てる気がするんだよなー」
気味の悪い事を言う吉田を鹿又が睨む。睨まれた吉田は「だ、だってそんな気がするんだもん……」と困ったような顔をする。
だったら、もう直接三好に聞いた方が早い。吉田は三好に連絡を取って、缶ジュースの事は伏せつつネックレスが失踪現場で見つかった事を知らせた。
数日後になって、三好が再びマンションを訪れる。マンションに来た三好は幾分かやつれた顔をしていて、吉田と鹿又は心配な気持ちになった。
「ずっと取り調べ受けててさ……警察は、俺が犯人じゃないかって言ってるんだ」
三好が疲れ切った顔で笑う。吉田は、三好が犯人ではないとわかっていた。だが、鹿又は真っ先に疑われてしまうのも仕方がないと思った。失踪した彼女の一番身近な人物といえば、三好しかいない。
沈んだ空気の中、吉田は「三好、これなんだけど」と恐る恐るネックレスを渡した。三好は濁った瞳でそれを受け取り、じっと見つめる。
「……確かに、これは俺がプレゼントしたやつだ。ふふ、たまたま駅前のアクセサリーショップで見つけてさ……欲しいって言うから……誕生日にプレゼントして……」
虚ろな顔で思い出を語る三好を、吉田も鹿又も見ていられなかった。二人が押し黙ると、三好はネックレスを握りしめて笑う。
「ありがとう。吉田、鹿又。もう、調べたりしなくていいから……動画のネタにするかどうかはそっちで任せるよ」
それじゃあな。三好はふらりと部屋から出て行ってしまう。吉田と鹿又が引き留める暇もなく、玄関のドアがバタンと閉まる。
「……まあ、三好さんがああ言うなら仕方ないですね」
鹿又は少し肩の荷が降りたように思えた。貰えるもんだけ貰って、これ以上深入りはしないでおこうと鹿又は思う。
吉田はもやもやした気持ちを抱えて、ソファーに座り込んだ。本当にこれでいいのだろうか。まだ何か、出来ることはないのだろうか。
「吉田先輩、今夜は鍋でもやりましょうか」
話題を逸らしていく鹿又の横で、吉田はモヤモヤを抱え続けるのだった。
4
三好にネックレスを渡した翌日の夕方の事である。
吉田が生配信の準備をしていると、突然電話が鳴った。電話主は三好だ。吉田、慌てて電話に飛びつくと「三好?」と声をかけた。
しばらくの無音のあと、三好が言った。
「吉田、会えたよ」
会えた? 吉田が疑問を口にする間もなく、電話はブツリと切れた。まるでイタズラみたいな電話に、吉田は不快な気持ちになるよりも怖くなる。
吉田はすぐさま自室にいる鹿又をリビングに引っ張り出し、三好から電話が来たことを伝えた。
「会えたって……彼女が見つかったって事じゃないんですか?」
「だったら普通に言うじゃん? 見つかって無事だったよ〜とかさ。何か、ちょっと変じゃない?」
吉田が鹿又を見る。最初から三好は少しおかしかっただろうと鹿又は思う。「自販機から彼女の声が聞こえる」だのなんだの……。鹿又は一連の出来事を思い浮かべた。
怪しい所といえば、あの自販機しかない。
「……あの自販機、もう一度調べますか」
「俺も、自販機が怪しいと思った!」
吉田が、妙にハイテンションになる。鹿又は「本当に怪しいと思っていたのか」と疑いの目を向けた。吉田は単に、あの奇妙な自販機をもう一度見たいだけなんじゃないだろうか。
「ほら、全人類急げって言うじゃん? 早く見に行こうぜー!」
「……善は急げですけどね」
もっとも、これが「良いこと」になるのか甚だ疑問だが。鹿又は出かける準備を始めた吉田の背中を見て一つため息を付いた。
それから吉田と鹿又が現場に向かったのは、夕闇が街を染める午後六時の事だ。昼と夜がうつり変わる曖昧な時間に、二人は立っている。
吉田は鹿又にハンディカメラを持たせて、自販機の前で大きな身振り手振りで話していく。鹿又はそれを撮影しながら、「やっぱり動画のネタにするつもりだったのかよ」と思っていた。
「いやー、この自販機……変な部分があるんだよ! それがここ! ほら、何にも飲み物のパッケージがない!」
前回と同じように、一番下の左端は空白のままだ。吉田はオーバーリアクションを繰り返しながら「皆、これ何出るか気にならない?」とカメラに言う。
「皆も気になるよなー! それじゃ、俺が試しにこのボタン押してみるぜ!」
そう言いながら、吉田がジャージのポケットから財布を取り出した直後だった。財布のジッパーが開いていたらしく、地面に小銭が勢い良くばらまかれた。
「オワァーッ! 俺の小銭が!」
吉田が悲鳴を上げて地べたに這いつくばる。何と無様な姿だろう。鹿又は「この人が俺の先輩なのか……」と無言でその様子を撮影していた。何だか物悲しい気持ちになった。
「ま、まさか! 自販機の下にも入ったんじゃ……!」
吉田がハッとして自販機の下に腕を突っ込む。必死に自販機の下を片手で探る吉田が、「あ! これ五百円だ! 五百円だぞ鹿又!」と騒ぐのを無表情で撮影していると、ふいに吉田が動きを止めた。
ついに虫か何かがいたのかな。鹿又がカメラ越しに吉田を見る。すると、吉田は油の切れたロボットみたいにギギギと首を動かして鹿又の方を見た。
「か、鹿又……腕が、抜けないんですけど……?」
「……撮れ高なら十分ありましたよ」
「違う違う! マジで抜けないの! 何か……引っ張られてるみたい……痛ッ!」
吉田が腕を引こうとしたが、強い力で自販機の下に引きずり込まれていく。踏ん張っても無理だ。吉田が鹿又に助けを求める。
鹿又も最初こそ演技なのかと思っていたが、ハッキリと吉田の腕がずるずると引きずり込まれていくのを確認した。
「先輩……!」
鹿又は慌てて吉田を自販機とは反対に引っ張った。だが、物凄い力が吉田を引きずり込もうとしている。鹿又はハンディカメラを手から落とすと、自由になった手で必死になって吉田の身体を掴んだ。
いらっしゃいませー!
ふいに自販機から声が聞こえた。女性の弾んだ声に顔を上げると、自販機がチカチカとカラフルに点滅していた。まるで、何かを喜んでいるかのように。
いらっしゃいませー!
無機質に繰り返される声に、吉田と鹿又の恐怖が募る。とにかくここから逃げ出さなければ。
「吉田先輩、踏ん張ってくださいよ!」
「俺だってやってるよぉ!」
吉田が泣き叫んだ時、力が微かに緩んだ。それを見逃さなかった鹿又が一気に力を込めて吉田の身体を腕で引く。やっとのことで吉田の腕が抜けた。
しかし、力いっぱい引いた勢いで吉田と鹿又はよろけてガードレールのない歩道からはみ出してしまう。吉田と鹿又がハッとした。眩いライトが迫ってきていた。車だ。
駄目だ、轢かれる! そう思った瞬間。車は大きくハンドルを切って、そのまま自販機のある方へと突っ込んでいった。
けたたましい音が、大通りに響く。吉田と鹿又は、目の前で起きた大事故を前に息を荒げるしかなかった。
「吉田先輩、自販機が……」
鹿又が言うまでもなく、自販機は車に突っ込まれて大破していた。カラフルに点滅していたライトは消え、半分鉄くずになった自販機の隙間やボタンから……ポタポタと液体が漏れ始める。
最初は中のドリンクが漏れ出たのかと2人は思った。しかし、様子が違うことがすぐにわかる。
何故ならその液体は、まるで血液みたいに赤かったから。
5
あれから数週間。
吉田は腕の骨にヒビが入り、医者から安静にしろと言い渡された。吉田は治療費によって三好から貰った金はほぼ失い、鹿又は無給で腕の使えない吉田の世話に明け暮れた。
三好も彼女も、結局あれから見つかっていない。だが、吉田は怪我の治療で精一杯だし、鹿又も吉田の世話で手一杯で、二人の事を詮索する余裕はなかった。
ハンディカメラも壊れてしまい、結局あの一部始終を知っているのは吉田と鹿又だけになってしまった。動画企画もお蔵入りになり、吉田は少し落ち込んでいる。
「あの自販機。もう一回現れないかなぁ」
ソファーでゴロゴロとする吉田に、鹿又はため息を付く。この人、何で懲りないんだろうか。
「つーか、アンタの所為で、俺は無賃金労働なんですけど。とっとと給料下さいよ」
鹿又がそうせっつくと、吉田は「しょうがねえなぁ」とポケットから何かを取り出し鹿又の手の平に落とした。よく見ると、錆びた五百円玉だ。
「それで何か好きな飲み物でも買ってきていいよ。あ、俺はコーラで!」
鹿又は手の平の五百円玉を見つめながらイラッとする。こいつ、次は片腕へし折ってやろうか……などと物騒な考えに至ったが、吉田は被害者ヅラがかなり上手いのでやめておいた。
鹿又はため息を付いて立ち上がり、部屋を出た。
マンションの直ぐ側にある自販機に辿り着いた鹿又は、ふと気がつく。ここの自販機って、こんな真っ赤な色だっただろうか?
鹿又は自販機の品揃えをよく見る。特に変わった様子はない。ほっとしながら、五百円玉を入れた。
いらっしゃいませー!
女性の明るい声が、自販機から聞こえた。
次回7月26日更新予定
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