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私のキャンプ クロニクル ファミリーキャンプ時代 「未来のためにできること」は過去を知ることだ
私的なキャンプのクロニクルを書き綴っていた。そのパート2になるけど、書いている途中にNoteでの投稿募集「 #未来のためにできること 」が目にとまった。
「なるほど」
だったらそれも含めて書いみよう。
「未来のためにできること」
未来のためにできること、いい歳なので「未来のためにやったこと」なら書けるけど、いまさら未来って言ってもね、なんでやった事を聞かないのだろう。私は未来を考える事は、つまり過去を考えることだと思っている。
縄文時代は1万4千年、平安時代が390年、江戸時代でさえ265年続いた。そして戦後はまだ79年しかたってない。
スマホ、ネットの普及なんか15年ぽっちだ。世界がVR化、AI化されようが人間の根本はなにも変わらない。インターネットの普及はエロへの情熱からで、相変わらず戦争も続いている。
過去の事象、知恵に学ぶ。つまり「森羅万象」は過去に回答がある。
キャンプのクロニクルを語る事も過去を知る一つで、日本人の自然に対する意識の変化、現在の状況が分かる。
虫が消えた
夏休みのキャンプ、男の子の場合、とにかく虫捕りと魚獲りとハンティングワールドが広がるはずだが、最近の子供はどうなのだろう。
自分の子供が小さい頃、山梨県北杜市のキャンプ場へ行く道の傍らに、「オオクワガタ売ります!」などの登りが沢山立っていた。
道の駅でもカブトムシ、クワガタが販売されていた。地元のホームセンターでも売られていた。しかし、ここ数年全く見なくなった。
理由はなんとなく分かる。人の自然感が知らぬ間に大きくシフトしたからだろう。
*1シフティング・ベースライン・シンドロームの恐怖
2018年、小学校での夏の盆踊りにおいて、出店の当てクジで、人気だったカブトムシ。それが当たった子供の母親の一声がこれだ。
「こんな虫、貰ってどうするの、飼えないわよ、返してらっしゃい」
抗菌、コンクリートの庭、完全空調、土を見ない触らない、家に虫1匹もいない環境。そんな家庭環境で育っている子供達は反論も出来ない。
緑の指を持つ親の世代は、私くらいまでだ。
◆「緑の指(Green fingers)」を持つ。
草木を上手に育てる人のことを指す言葉。 枯れかけた植物をよみがえらせたり、見事な花を咲かせたりする人。つまり自然をよく観察して理解している人。◆
「君は最近、蟻(アリ)をみたことがあるか?」
コンクリートの道路や庭にアリの巣は出来ない。蟻が生活出来ない郊外の街が増えている。
ちなみに地球上のアリのバイオマス(生物量)は炭素換算で(1200万トン)、野生の哺乳類(700万トン)、鳥類(200万トン)、人類(6000万トン)、蟻は人類の5分の1に相当する重さとなる。
アリは1ヘクタール当たりで年13トンの土壌を運搬している。土壌のかく乱や栄養分の循環、植物の種の散布といった役割に加え、生息数の多さでも陸上生態系に大きな影響を与えている。
それが全く消えた郊外。その影響で怖いくらいに虫が減っている。
環境保護を唱える人達もダムや川のコンクリート化を反対するが、街のコンクリート化、庭のコンクリート化には関心がない。
1989年
私はこの年の12月結婚した。年号は平成となる。平成時代、私は毎年、初夏から秋にかけて妻とキャンプをしていた。妻が初めての子供を妊娠した時もキャンプへ行っていた。キャンプ場は山梨、長野が多かった。
その後、長男が生まれ、長女が生まれ、次女が生まれた。子供達はオムツ時代からキャンプへ連れていった。
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1998年
私の参戦していたマウンテンバイクレースにおいて、子供レースが無料で実施されるようになった。これはマウンテンバイクの底辺拡大を目的とした主催者側のサービスだった。
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これ幸いと子供達を参戦させた。私は子供達にスイムと自転車を無理矢理練習させていた。そして、出来れば将来トライアスロンをやって欲しかった。しかし、私の思わく通りにはならず、誰もトライアスロンの選手にはならなかった。それでも運動する習慣は身につき、子供達はアスリートとして学生時代を過ごしていた。
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2001年
ご存知のように、ファミリーキャンプが大ブームの時期だ。そんな事から、たまに大所帯のキャンプをする機会が多かった。弟夫婦と子供達、会社の夫婦と子供達とのキャンプ。
今のソロキャンプとは全然違う賑やかなキャンプだった。しかし、皆さんまだキャンプに慣れてなくその分、私の負担が多くなっていた。
これはキャンプのよくあるパターンで、人が増えると傍観者も増える。つまりゲスト感覚の人が多くなる。
組織とか仲間は大きくなると劣化する。そのカウンターカルチャーとしてソロキャンが今流行っている。いやいや、これは「ひろし」の影響だろう。
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2004年
この頃から愛犬の柴犬コロを連れてのキャンプとなった。犬連れが可能なキャンプ場も増えてきた。
また、家族5人+犬、テントが大型になり、設置が大仕事となっていた。流石に面倒くさい、この後、バンガローやトレーラーハウスへ泊まるようになった。キャンプをしていれば分かるけど、テントは使用後のメンテも大変なのだ。
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この時代、焚き火で料理するキャンパーは少ない。オートキャンプではコールマンの2バナーを使う。ガスコンロも多くなっていた。照明はコールマンのガスランタン。このランタンのシューッという音がキャンプ場の夜の音だった。
用具も今みたいに、焚き火料理用のロー(高さの低い)サイズではなく、リビングサイズのテーブルと椅子だった。
2008年
息子も高校1年となり、ファミリーキャンプも終わりに近づいていた。
今でもそうだが、私達はノーエアコンで暑い日々を過ごしている。これは私のポリシーでもある。快適な空間に慣れ切った人間がアウトドアとはおかしな話だ。自然に何を求めているのだろう。
横浜の田舎に住むサバイバル登山家の服部文祥さん、彼の本にもそんなことが書いてあった。彼の生き方は共感することが多かった。
本(サバイバル家族)の中で、私と同じ様に受験期を迎えた家族に文句を言われていた。
我が家の子供達も暑い中で受験勉強をしていた。汗でノートや赤本が波打っていた。「サバイバル受験」
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最近危惧するのは、自然の寒暖に体を慣らすことをしなくなった事だ。
夏場、汗腺の動きが悪い状態で、外を歩けば体が悲鳴を上げる。
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2011年
息子も大学1年、末っ子も中学1年。この年が家族全員での八ヶ岳方面の最後のキャンプとなった。
その後、子供達も忙しく、また私も親の介護などが始まり、夏場、八ヶ岳方面へ遊びには行くけど、日帰りが多くなった。
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2024年8月初旬
そして現在、子供達も独立した生活をしている。私は妻と2019年から山梨白州、長野松原湖でオートキャンプをするようになった。ここが静かでいい。 そして時間があれば子供達も参加する。しかし、家族全員でのキャンプは難しく、大体1、2人いないことが多かった。しかし今年ようやく全員揃った。
本当に久しぶりだった。
2024年8月9日の午後5時過ぎ地震、その後、南海トラフ地震臨時情報が出る。キャンプ中に揺れを感じだ。
今回は家族全員がここにいるので安否確認は不要だ。地元は震度3だった。
まずは安心。
もし、ここで東京が大地震に見舞われたら、どうする。
あるのはキャンプ道具、当面自炊は可能だ。車もガソリンがあれば、電源供給可能だ。EV車だけが電源ではない。
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私は同じ場所へ行き続ける事が好きで、35年間八ヶ岳の麓へ遊びに(山登り、キャンプ、MTBレース)行っている。その間、自然環境がもの凄く変化しているのを感じる。
まずは散見する太陽光パネルだ。これは嫌いだ。自然破壊としか見られない。 それと虫が減った。夜中に光に寄ってくる虫の数が激減している。
また昼間、毎年アブに刺されるが、今年は誰も刺されていない。これは偶然ではない。
今年はランタンにコクワガタのメスが飛んで来た。朝方、珍しいミヤマカラスアゲハを見つけた。ギボウシの花に止まるミヤマカラスアゲハ。とても綺麗だ。
美しの森にアサギマダラを見に行くが、何故かフジバカマの群生地が刈られていた。馬鹿な管理者がいたのだろうか、ろくな事をしない。
新しく出来たのは合成材(プラスチック)になった綺麗な展望台だ。
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長年キャンプをしいても、郊外に住んでいても、昔、宮﨑駿さんが提言していたイーハトーブの環境からはどんどん遠ざかっていく。
「虫眼とアニ眼」 養老孟司 宮﨑駿
2007年7月 新潮文庫
イーハトーブの町がイラストで紹介されている。
私が望んでいる世界。土と木々と虫、小動物、子供達のいる町、キャンプ場。子供達が虫捕りをする声、今は公園で、蝉の幼虫を捕る中国人の声が聞こえる。流石に食用目的の捕獲は止めるようにと公園の管理側(自治体)が告知した。
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未来のためにできること
オリンピックのメダリストの早田さんが鹿児島県の特攻資料館へ行きたいと発言して、メディアが騒いでいる。でもね、これは若い子がすべき事だと思う。終戦記念日もある夏、戦争の過去を自分から知ることはとても重要だ。
例えば、日本の人口分布をみると団塊の世代の後、私の世代の人口が減っている。何故だろう、既に戦争は終わっている。
実は、私の親の世代は、結婚適齢期の男が戦争で沢山亡くなってる。当時は2トントラック一杯の女に男1人と言われていた。
私の父親は大正生まれだ。太平洋戦争において、大正生まれの男子の総数1348万人のうち200万人以上が戦死したという。これは大正生まれの男の7人にひとりが戦死したことになる。それも10代、20代がほとんどだ。
ある世代が相当な規模で消える。おそらく何らかの影響が日本社会にあったはずだ。彼らが生きていれば、戦後の日本も大きく変わった可能性がある。そんなことを想像する。
最後に「未来のためにできること」はこんな話を書き残すこと、その中に未来のためのトリガーがある。