幸田 文さんの「木」を読む
映画PERFECT DAYS において、採集してきた木々の苗木を育てる主人公の平山。彼が寝る前に読んでいた本の一つが、幸田 文さんの「木」だった。
全く知らない作家さんだけど、その繋がりが気になった。
私の教養の無さは今更しょうがない、早速調べてみる。
「木」は幸田 文さんが没後に刊行された本だった。益々興味が湧き、没後刊行された本を買ってみた。
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『崩れ』 講談社、1991年刊行 のち講談社文庫
『木』 新潮社、1992年刊行 のち新潮文庫 改版
『台所のおと』 講談社、1992年刊行 のち講談社文庫 改版
『きもの』 新潮社、1993年刊行 のち新潮文庫 改版
『雀の手帖』 新潮社、1993年刊行 のち新潮文庫 改版
「木」は映画の影響なのか新刊があった。御茶ノ水の丸善で手に入れた。他はブックオフとなる。
「木」を読み読み進めると、知識と教養のなさが露呈して、色々と調べることになる。本の中の語句、単語の意味が分からない。本の中で書かれている木々もその姿が思い浮かばない。
コンプライアンス、パワーハラスメント、サスティナブル、スキーム、こんな言葉は分かるけど、本当に日本の言葉を知らない。
そんなことをしていると読む速度はどんどん遅くなる。こんな薄い本、エッセイ(随筆)だけど、読み終わるのにかなり時間がかってしまった。
目次からたどって少しその状況を書いてみる。
「藤」の章 この随筆に出てきた語句「植木屋の植溜(うえだめ)」
これは地元(三鷹、調布)に多い植木屋さんの畑ではないかと想像はしたが、調べてみた。
江戸時代、火災が多い、だから避難所とした原っぱとも言える。いわゆる空き地。
現在、都市に空き地は置いておけない。だから公園にし避難地としている。江戸時代にこの種の公園の概念はないだろう。それが植溜ではないかと思ったりした。
「ひのき」の章 ここで「アテ」という語句が出てくる。調べてみたが分からなかった。よって文章内で説明されている内容を信じるしかない。
「アテ」はヒノキの育つ環境によってそうなる。外的要因で木がねじれなどの物理的問題を内包する。
だから大木になれば、一見利用出来ると思われるが、加工しようと歯をいれると、内包された圧力が開放され、いきなり裂けたりする。下手すると作業人に危害を及ぼしたりする。そんな「アテ」を職人は「悪」という。
育つ環境から真っ直ぐなヒノキになれず。自分が悪い訳ではないのに「アテ」となる。そこに救いはないのだろうか、心を揺さぶれる幸田さんの感性。この辺りから私は本にハマっていった。久しぶりに品のいい文章にふれたと感じる。ちなみに私の文章に品はない。
「スギ」の章 ここでの「苗圃(びょうほ)」という語句が出てきた。
これも文脈で想像はできるが調べる。
これは近所に多い植木屋さんの畑だ。
しかし2022年問題があり、宅地化された畑が沢山あった。しだれ桜とか五葉松、色々な植木を見ることが出来なくなりつつある。
この章で楓の芽吹きは美しいという記載があった。
これは最近、散歩で私も気づいている事だ。幸田さんと感性が同じだと思えて少し嬉しい。
「花とやなぎ」の章 ここでの「柳絮(りゅうじょ)」これも語句の意味が分からなかった。
最近街路樹として柳をほとんど見なくなった。その理由は知らないが、子供の頃は柳はよく見る街路樹だった。
桜の名木(老木)が紹介されていた。山梨県北巨摩郡の「神代桜」
今で言う北杜市だ。その老木はまだ健在だった。北杜市は毎夏、遊びにいく場所だ。この桜を一度見てみたいと思い初めている。樹齢2000年と言われる。その凄さを感じてみたい。
私は大木を見るが好きだ。木が語ってくるその歴史を少しでも感じたい。
こんな感じで読み進めて、ようやっと読み終えた。
次は「崩れ」を読む予定だ。