衒学的なあの人に、昔読んだ本を懐かしんだ。
ほんの感想です。No.46 小栗虫太郎作「聖アレキセイ寺院の惨劇」昭和8年(1933年)発表
小栗虫太郎の「聖アレキセイ寺院の惨劇」を読み、懐かしさとともに、衒学的あるいはペダンティック(pedantic)な探偵というものを思い出しました。
この形容詞を覚えたのは、アメリカの推理作家ヴァン・ダイン(Van Dine)の作品を読んだ時でした。ヴァン・ダインが創出した素人探偵ファイロ・ヴァンス(Philo Vance)を評するときの言葉だったのです。親族から相続した財産により、美術品・骨董あるいはスポーツに情熱を傾けながら、友人の検察官から助言を求められると、事件に関わっていくというヴァンス。恐ろしく博学で、その知識を披露する様が良くも悪くも魅力的、という探偵です。
そんなヴァンスの最初の事件「ベンスン殺人事件」は、1926年に発表されました。そして、1933年、日本では、法水麟太郎(のりみずりんたろう)が活躍する、小栗虫太郎の「聖アレキセイ寺院の惨劇」が発表されたのです。
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法水麟太郎は、推理の深さと超人的な想像力によって、不世出の名を唱われた前捜査局長、現在では全国屈指の刑事弁護士です。通常は、捜査当局が散々に事件を持て余した末に登場するらしいのですが、この「聖アレキセイ寺院の惨劇」では、冒頭から関わっています。その理由は、事件の現場が、彼の自宅近くであったから。
その事件は、次のようなものでした。
・舞台は、雑木林に囲まれた東京の西の郊外の丘にある聖アレキセイ寺院。
・そのいわれは、1920年、極東白軍の総帥が、ロマノフ朝最後の皇太子へ永遠の記憶として捧げるために建立した、というもの。
・その2年後、日本軍の沿海州撤退を機に極東白系ロシア人の没落が始まると、堂守のラザレフとその二人の娘を残し、ロシアからの亡命者たちは去っていった。
・1923年の1月、喉を切られたラザレフの遺体が発見された。
この事件に関わるとみられるのは、次の人々です。
・ラザレフの姉娘で、聖ベアトリチェの俤(おもかげ)があるジナイーダ
・その妹でアマゾネスのように六尺近い豊かな肉体の持ち主イリヤ
・ジナイーダの婚約者ルキーンほか
法水麟太郎が推理した、この事件の真相はいかに?
そして、その結末は?
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「聖アレキセイ寺院の惨劇」は、トリックや推理の内容は、描かれた時代に相応した、今では古風と言えるものかもしれません。しかし、ロシア正教の寺院を舞台とする、日本人が関わらない事件であることから、異国の宗教や風俗に関する法水麟太郎の知識の披露が冴えています。
それは、まさに、「衒学的」という趣で、とても懐かしい感じでした。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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