「偽りの恋でも、あの一瞬は本気以上」。それはあまりに罪な言い分
ほんの感想です。No.13 菊池寛作「藤十郎の恋」 大正8年(1919年)発表
菊池寛作「藤十郎の恋」。藤十郎とは、元禄期、上方歌舞伎の和事を完成させたと言われる坂田藤十郎のことです。妻敵討(めがたきうち)につらなる「密通した妻とその相手は死罪」という江戸時代の法律を背景に、芸のために偽りの恋を仕掛けた役者と、仕掛けられた人妻の心情が描かれます。
あらすじ
芸の行き詰まりを感じていた坂田藤十郎は、新境地を開くため、近松門左衛門による呪われた命がけの恋の狂言に挑むことを決心する。ところが、彼には、「人妻を盗むような必死な、空恐ろしい、それと同時に身を焼くように烈しい恋」の経験がなかった。役作りに苦心する藤十郎は、茶屋の女房のお梶を目にして、悪魔的な思いつきをする。
こう読みました
1 お梶の心情。
年相応の分別と、茶屋の女房として役者を理解しているはずのお梶が、藤十郎の改まった様子に、一瞬、期待をしてしまった。そこを突くように、藤十郎は冷静に、熱い言葉の数々を繰り出します。
彼女にとっては、災難としか言いようがありません。
「密通すれば死で贖わなければならない」「そんな馬鹿なことを藤十郎がするわけがない」。お梶は、そう考えもしたでしょう。しかし、藤十郎の演技が、彼女を追い込みます。
頭と心の折り合いをつけたお梶は、藤十郎に応える意思を示します。しかし、相手は何も言いません。緊迫した時間が、次のように描かれています。
必死の覚悟を定めたらしいお梶は、火のような瞳で、男の顔を一目見ると、いきなり傍の絹行燈の灯を、フッと吹き消してしまった。
お梶は、体中の毛髪が悉(ことごと)く逆立つような恐ろしさと、身体中の血潮が悉く沸き立つような情熱とで、男の近寄るのを待っていた。が、男の苦しそうな息遣いが、聞こえるばかりで、相手は身動きもしないようであった。お梶も居竦(いすく)んだまま、身体をわなわなと顫(ふる)わせているばかりであった。
この後、藤十郎は、無言で座敷を出ていきます。残されたお梶の心の状態を考えてみてください。言葉がありません。酷すぎる。ひどいよ、藤十郎!
2 藤十郎の芸の変化
偽りの恋を仕掛けた後、藤十郎の狂言は、「恐ろしきまで真に迫る」と大評判となります。そして、その芸が、「お梶のある行動」を契機に、一層、冴えを見せていくと記されています。このあたりの藤十郎の心持ちの描写は簡潔です。
私は、藤十郎は、偽りの恋を仕掛けたことで、それなりの手応えを得たと思います。しかし、彼の芸に真に影響を及ぼしたのは、「お梶の行動」だと理解しました。正直なところ、そう読むことによって、この作品の藤十郎に少しでも救いを感じたかった気持ちがあります。
菊池寛の意図
新潮文庫 菊池寛「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」の片山宏行による注釈は、菊池寛自身が「小説講座」で「藤十郎の恋」の執筆の動機と題材について述べていることを紹介しています。
それによれば、菊池寛は、歌舞伎役者の言葉を集めた耳塵集(にじんしゅう)の次の一節を読みます。
坂田藤十郎狂言の工夫に祇園の茶屋の花車(かしゃ)に恋をしかけ、靡(なび)くと見て逃れ去る。世人さすがは名人の心懸(こころが)け哉と感嘆せり。
そして、花車、つまり茶屋の女房に同情を寄せ、そんなことをする藤十郎の残酷さを憎み、また、それを名人の心得だと感心する当時の人情に反感を抱いたのだそうです。
そんな執筆の動機を知ると、菊池寛の感性に近しさや親しみを覚えて、とても嬉しくなりました。
よろしかったら、菊池寛作「藤十郎の恋」、お楽しみください。