描かれた「新しい女たち」
ほんの感想です。 No.43 宮本百合子「伸子」大正13-15年(1924-26)発表 夏目漱石作「三四郎」明治41年(1908年)発表
有島武郎作「或る女」大正8年(1919年)刊行
一人の女性が恋をし、その相手と晴れて結婚の約束をしました。その幸福な時間の後、彼女とその相手には、どのような人生が訪れるのか。そんな感想を持ったのが、武者小路実篤「友情」の仲野杉子の恋でした。
宮本百合子の「伸子」は、「恋、結婚、その後は?」という私の関心に、一つの例を示してくれた作品でした。自叙伝的な内容で、第一次世界大戦前後のアメリカと日本を舞台に、次の過程を進む主人公佐々伸子の心情が綿密に描かれた長編です。
・十五歳上の佃と知り合い、恋をする。
・周囲の反対を押し切って佃と結婚する。
・母と夫の関係悪化、夫への失望感の深まりで、結婚生活に疑問を感じる。
・自分の生き方を探り、結論を出す。
私がこれまで読んだ明治大正の作品と比べて、
・恋と結婚だけでなく、「結婚生活の始まりと終わり」が描かれていること
・そこで生じた問題に悩み、道を探り、結論を出す女性が描かれていること
・自分の価値観に従う点で妥協がないこと
に新しさを感じました。
そこで、確認の意味で、これまで読んだ作品の印象的だった「新しい女性」を振り返りたいと思います。それは、夏目漱石「三四郎」の里見美禰子と有島武郎「或る女」の早月葉子です。
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まず、夏目漱石の「三四郎」の里見美禰子。
大学入学のため上京した三四郎は、知的で、美しく、自由に生きる女性、美禰子に恋をします。無意識のうちに男の気を引いてしまう(漱石が言うところの「無意識の偽善者」)美禰子は、その一言や仕草で三四郎を翻弄します。
三四郎の友人たちも美禰子の美貌に惹かれながら、その才気や自由気ままな様子に、自分の手には負えないと感じています。
美禰子は、「新しい女性」として自由闊達な生き方をする女性とみられましたが、その意思と無関係な結婚をします。「自分の意志」を大切にしようとしながらも、重大な選択では、自分を曲げて「世間との折り合い」をつけた、と言えます。
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次は、有島武郎「或る女」の早月葉子です。
美貌と才気で男を魅了する葉子は、自分の思うとおりの選択、例えば、愛した男と結婚したものの、すぐに興味を失い結婚を終わらせる、ということをします。その結果、周囲から激しい非難を受けますが、彼女を非難する親族や世間に怯むことはありません。
そんな葉子は、一方で、生きるための打算や計算ができる女性と思われました。しかし、不倫の恋に陥ると、次のように状態になりました。
・世間の非難を激化させ、自分が生きる場を狭めてしまった。
・命綱のように不倫相手の愛を繋ぐことにもがくようになる。
病という設定もあり、「或る女」の最後は、葉子に厳しいものでした。しかし、病がなかったとしても、不倫以降の世間との対立は、間違いなく葉子を追い詰め、かつての輝きを奪ったと言えます。
そのことから、「新しい女」であった葉子は、この時代に可能な限りの、「思いのまま」に挑戦し、結果、相応のバッシングを受けて再起不能なほど痛めつけられた、という感があります。
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宮本百合子の「伸子」によって、宮本百合子その人への関心が湧いてきました。宮本作品を読み進めながら、作者の情報も集めてみたいと思います。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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