お尻が二つになった日
温泉に浸かりながらぼーっと世界を見ていた。
前方に湯船につかる人が3人。左方では体を洗う人が4人、右からは温泉が湧いている。
湯船の周りをちょろちょろと子どもが走り回っている。
僕が大衆浴場を好きなのは、老いも若きも多少の誤差はあれど同じ身体構造をしていると実感できるからで、同じ身体構造をしつつも、その身体に刻まれた経年劣化が彼らの人生の奥深さを無言で語ってくれるからで。まぁそんな小難しいことは置いておいても、それぞれがパーソナルなエリアをさらけ出しながらも全くの他人で、必要以上の会話をしないところがなんともちぐはぐな感じがしておもしろい。
そんな考えも湯船に溶かして、また見えているものだけを見ていると、目の前にお尻が出た。
おじいさんといっても差し支えないくらいの彼のお尻が目の前にぬっと出た。
そして視界の右へゆっくりとフェードアウトしていく。「あぁお尻だなぁ」と考えるでもなく思っていると、左方で体を洗うおじさんのお尻が気になってしまった。椅子に座るそのお尻はよくイラストで見るような、二つの山を逆さにしたような、そんな状態で椅子に接着している。
ん?なんだろう。脳に違和感が発生した。
なんだこの違和感は。と考える。
なんだか何かに気付いているようで気が付けていない、でもあと少しで何かに気が付けそうな気がする。そんなお尻についてのひらめきをこぼさないように慎重に丁寧に掬い上げようとあたりを見渡す。幸運なことに目の前にはたくさんのお尻サンプルがうろうろしている。
座るおじさん、歩くおじいさん、水風呂に入ろうとかけ水する青年、抱きかかえられる子ども、彼らのお尻をサラサラとザッピングしていく。
そうか、なるほど。
お尻は二つある。
「お尻は一つで割れている」そんな常識を打ち壊す晴天の霹靂。
お尻はそれぞれ左右の脚の根元についた脂肪のふたこぶなのだ。
お尻は二つある。
肛門は一つしかない。それがミスリードだった。肛門が一つというミスリードから派生するお尻だと思ってしまえば、たしかにお尻は一つで割れている。しかし脚に着目してお尻を見ればそこには二つお尻が存在しているのだ。
この真実に1人湯船の中でたどり着いてしまった。
たどり着いてしまったからには派生するお尻についての名称を考える責任がある。
腕に右腕左腕があるように。
足に右足左足があるように。
耳に右耳左耳があるように。
頬に右頬左頬があるように。
乳首に右乳首左乳首があるように。
お尻にも右尻と左尻がある。
お尻の右側や左側ではなく、右尻と左尻なのだ
あぁよかった。僕のお尻は生まれてこのかた一度も割れたことがないし、これからも割れることはない。
そしてこれまで一つだと思っていたお尻は二つになった。
一つしかないものが二つもあるとわかるとなんだか嬉しくなって、陽気にお風呂を上がり友人にこの話を興奮して伝えたのだが、うまく伝わらなかった。
だからあなたには感じてほしい。
あなたのお尻はこれまでもこれからも割れることがないという安心感を。
そしてあなたはお尻を一つしかないと思っているかもしれないが、実は二つもあるということを。