「分断とフェミニズム」という話
まえがき
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」。フェミニストでもあり哲学者でもあるシモーヌ・ド・ボーヴォワールが言ったとされる有名な言葉です。彼女は、いわゆる「女性像」なるものは文化的、社会的に形成されていると考えていました。
例えば、女性は元々おしとやかなだったり、男性へ従属的だったり、料理や育児を積極的にしたりするのではなく、幼少期から周りの大人に「女性はおしとやかにしなさい」「女性は男性に逆らってはいけません」「女性は育児をするものです」「女性は家事をするものです」というようなことを言われることで、大人の言う「女性像」に重なる女性になるというわけです。
つまり先天的に「(女性らしい)女性」というものは生まれず、後から社会や文化的価値観が押し付けられた人間が「(女性らしい)女性」になるのだということです。
そして、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というのは日本にも当てはまることだと思います。「女性は子育てをするもの」というような母性神話があることは日本でも指摘されていることですし、「女性に高等教育は不要だ」と考える人も未だに多くいます。「女性とはこうあるべき」「女性らしく」というような社会的・文化的な固定観念が女性を抑圧しているのだと思います。
また、最近日本では政治家による女性蔑視的な発言も多く、日本のジェンダーギャップ指数の低さや、男女間での賃金格差、教育格差なども指摘されており、明らかに男尊女卑的な社会構造にもなっています。
ただ、今回私が書きたいことは、そんな最近の時事問題に対する見解を述べることではないです。私にとって、「あの政治家が悪い」とか「あの政党に投票してはいけない」とか、そんな政局批判っぽいことは何の知的な考察でもありませんし、退屈なだけです。
今起きている政治の問題にそのつど声を上げているだけでは、女性への抑圧はなくならないと私は考えています。本当に大事なのは長いスパンで、今起きている政治の問題(女性への抑圧)を解析することではないでしょうか。
今回はフェミニズムとは何か、その起源まで遡り、何故女性への抑圧が起きるのか、何故フェミニズムは女性を解放できないでいるのか、今後フェミニズムはどうしたらいいのか、そうしたことを考えてみようと思います。
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