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感想 『きみの世界に、青が鳴る』

 五年前、友人から借り受けたシリーズ一作目の『いなくなれ、群青』と出逢い、ついにシリーズ最終巻、『きみの世界に、青が鳴る』を読み終えました。
 普段は何か読み終えた後、感想を文字に起こすことも無いのですが、またとない機会なので、最近まともに触れ始めたnoteへ綴ろうと思います。

 本作の作者である河野裕先生の別作品、『サクラダリセット』も全て読了しているのですが、『サクラダリセット』の世界観をより抽象的に描いたものが『階段島シリーズ』の世界観というイメージを抱いています。
 世界の変化を中心に物語が形成された『サクラダリセット』と、自分自身の変化に焦点を置いた『階段島シリーズ』、二作品の方向性が異なるのにどちらも魅力的なのは、河野裕先生の描きたかったテーマが同じだったからかもしれません。
 階段島に残った七草も、能力が存在する咲良田に残った浅井ケイも、歪で不器用な生き方だけれども、そこには確かな信念があって、大切な人のために行動する、僕が最も憧れる優しい主人公の在り方でした。
 比較するつもりはないのですが、個人的には『サクラダリセット』の方が終わり方がはっきりしていて、読み終えた後に清々しい気分を味わっていました。
 しかし、『階段島シリーズ』は、七草と真辺由宇の存在が愛しくて堪らない、ずっとこの二人の会話を聞いていたい、と強く思っていました。果てがなくて答えがない理想や正しさについて、永遠に語り続けていそうな彼らの時間が終わって欲しくない、というもどかしい気分のまま読み終えてしまいました。
 物語の終わり方に違いはあれど、どちらも自分に大切なことを教えてくれた作品には間違いありません。

 『階段島シリーズ』の一作目、『いなくなれ、群青』を初めて読み終えた時、七草と真辺の関係の美しさと儚さ、それらを上回る共感に涙を流したことが、今でも思い出されます。
 階段島や魔女、真辺だけではなく堀や一〇〇万回生きた猫、相原大地を含めた登場人物との折り合いの付け方、この作品に注目するべき点は数え切れないほど存在していますが、やはりどうしようもなく、これは七草が成長するための物語なのだと実感しました。
 現実で真辺と生きる七草、階段島で真辺の思い出と生きる七草、本当の意味で何も捨てずに前へ踏み出す彼が、とても哀しくて、けれどもとても幸せそうで、羨ましいかぎりでした。

 僕はいつまでだって、君と一緒にいるんだよ。夜がくるたびに、朝がくるたびに、僕は君を思い出すだろう。階段を上るたびに、僕の中にはたしかに君の一部分が残されていることを確信するだろう。もしも君が、どれだけ変わってしまったとしても。いつかの君を、僕はいつまでだって抱きしめている。
 まるで優しい魔法みたいに、きっといつまでも捨てないでいる
。(本文 三一一頁)

 今作で、一番心に響いたシーンでした。

 僕には高校生の頃、かつての自分を理解して、救ってくれた人がいました。七草の言葉を借りるのならば、そのクラスメイトの少女は僕にとってのピストルスターであり、彼女を心の底から信仰していました。
 しかし、その信仰をずっと持ったままだとあまりにも生きづらく、何度も捨てようとしたことがあります。今でも、この感情を捨てるか迷いながら生きています。
 しかし、友情でもなく、恋愛感情でもなく、ありきたりな言葉で言い表せなかった彼女へ抱いていた想いも、今作を読んで少し報われた気がしました。上記に引用した七草の独白を読んだ後、自分はこのままでいいんだ、と納得してしまいました。僕がこの作品を、七草と真辺の在り方を愛して止まない理由が、この独白に込められていました。

 生きていく上で、本当に理解し合える人と出会える確率はとても低いんだろうな、とよく考えています。
 正しさとか幸せとか曖昧なものは、他人と話し合うなんてことは出来なくて、自分の心にそっとしまっておくものなのかもしれません。
 いつだって建前や言い訳で溢れている世の中だから、本音をぶつけ合える人と巡り会えたらどれだけ幸せなことだろうか、とも思います。
 だからこそ、七草と真辺との出会いを、僕は一生忘れないと確信しています。こんなにも尊い出会いは、もしかしたら他の作品でも二度とないかもしれません。それだけ大きな力を、この『階段島シリーズ』から貰いました。ありがとう、と心からの感謝を述べさせていただきます。

 読書にはしばらくこれで一区切りをつけますが、いずれ河野裕先生の『ウォーター&ビスケットのテーマ』改め、『さよならの言い方なんて知らない。』のタイトルも、楽しませていただこうと思います。 

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