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noteはみんなで書いている

心にとどめるにはあまりも貴重な日常。なんのつながりもない、けれど同じ日におこったできごと。


あなたの選択に感謝している

父の誕生日だったので3分ほど電話をした。言いたいことの1億分の1も言えなかったけれど、とても満足したきもちでいる。

終盤、泣いた。寂しさからくる涙ではない。ただ、元気で幸せでいてほしい。心からそう思った。

両親のおかげで今の生活があるのに、わたしは何をできているのだろうか。ただただ、これまでの父の全ての選択に、ありがとう。

noteはみんなで書いている

最近、時間が取れずnoteの更新がてきとうになっていた。人のnoteも読めず、アプリも全然開けていない。note中毒だった1ヶ月前は、数分おきにアプリを開き、開くたびに赤いベルマークを見てニコニコしていた。

今はどうだろう、当時ほど喜べていない。日常の生活が充実している証拠でもあるけれど、なんと傲慢なのだろうとおどろく。

それを戒めるかのように(もちろんいい意味で!!)フォローしているああたさんが、少し前の記事を引用してくださった。しかも、ああたさんにとって重要な局面での記事に。

ああわたしは一人で書いているんじゃないんだな、みんなで書いていると思い出させてくれた。いつもありがとうございます!!!

仕事は取られるかもしれないが、生活は取られない

超越瞑想®︎のための「マントラ」拝受の儀式があった。

マントラは日本でいうと、言霊や呪文(とは厳密にはちがうが)のようなもの。瞑想中に唱えるサンスクリット語の、心を落ち着かせるために唱える短い言葉で一人一人異なる。サンスクリット語の言葉は、科学的にも脳や体に良い効果があると認められているらしい

マントラ

人によっては怪しいと思うかもしれない。わたしはスピリチュアルな世界に人見知りしないタイプなので終始たのしかった。儀式の内容は秘密にするルールらしく、ネット上にもまったく情報が落ちていない。ネトスト気質があるわたしでも見つけられなかった。(気質レベルでプロではない)

こんなに情報にあふれている世界でも、きっと”ほんとうのところ”はネットでは見つけられない。AIに仕事を取られる可能性はあっても、生活を取られる可能性は、当分ない。心配せずに生きていこうじゃないか。

たとえインターナショナルでなくても

学校での生活が始まって1ヶ月近く経つ。ハンガリー人の先生は、絶対にわたしのことは認知しているのだけれど、名前だけは覚えてくれない。覚えづらいらしい。

昨日も「も〜」と言いながら、何度目かの自己紹介をした。フルネームはもう無理なので「ツキ(cuki)」と呼んでいいか?と聞かれる。ハンガリー語で、Sweet・Cuteを意味するらしく、喜んでお受けする。両親にも、一部の友達にも「ツキ」と呼ばれているからNo problemだよと言ったら、先生も「もう絶対忘れない」とうれしそうだった。

子どもに名付けるときは、インターナショナルな名前、男女どちらでもマッチすることを考慮したいな、なんて夢見ている。

でもわたしの今の名前が、たとえ他の国では変な意味を持っていたとしても、それでいい。名前を誇らしく思ってるし親のセンスはいつだってすごい。親の選択はたとえ間違っていても、わたしからしたら、いつだって肯定する力をもっているんだ。

やさしく、美しい世界にいたい

このnoteを書きながら、SixTONESというアイドルグループの楽曲を聞いていたら涙が出てきた。こんなに才能がある人たち、愛にあふれたコメント欄。

彼らに才能がありそれを上回る努力をしているのは、日本が美しいのと同じくらい紛れも無い事実なのだけれど、彼らの才能をほめたたえ共有する人の存在で、才能はより大きなものになる(とおもう)。

幸せは、共有することで増幅すると信じている。この世界にも、やさしい世界がある。そして、そこにいても、いい。

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