
危機的状況に立つ人間はこうなる/ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』
こんにちは!
此島このもです。
今日はG・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』をご紹介します。
この本は1951年に実際に起きた殺人事件を記録したものです。
町の人みなが顔見知りのような田舎町で、ほぼ全ての人が誰が誰を殺そうとしているのかを知っていて、止めようとする人もいた中でそれでも起きてしまった殺人事件。
何が起きたのか気になりませんか?
私がこの本を読むことを決めたのは完全に野次馬根性でした。
読んでみると、さすがノーベル文学賞作家。
すごく先を読みたくなる構成になっているのですよね。
はじめの章は
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。
からはじまり、
「もう心配しなくていいんだ、ルイザ・サンティアガ」と、その人間はすれ違いざまに大声で言った。「殺されちまったよ」
で終わります。
はじめは殺される日の朝に被害者サンティアゴ・ナサールがどんな行動を取っていたのか追って行く形で書いてあるんですね。
読んでいくうちに彼がどんな人物なのかを知ることができて、そして彼を狙っているのが誰なのかも読者にはわかります。
そして町の多くの人が殺人の計画を知っていたこともわかり、ハラハラしながら文章を追っているといつの間にかサンティアゴ・ナサールは殺されているんですよね。
そうすると「え? なんで?」とすごく先が気になるわけです。
でも次の章に進んでも殺される時の様子は書いておらず、一見無関係に見える男の説明がはじまります。
実はそれが犯人である男たちが何故彼を殺そうと思ったのか、その動機に深く関わっているんですね。
しかしその動機はかなり昔の価値観で…そんなことが殺人の動機になり得るのか、しかもその殺人が正当と認められてしまうのかと胸が悪くなる思いです。
そんな現代の価値観では不可解な動機で殺人を決めたのは養豚場を手がける双子の兄弟でした。
彼らは肉の市場で屠殺用ナイフを研ぎながら「サンティアゴ・ナサールを始末してやる」と周囲の人間に喋りまくります。
しかし兄弟が善良な人間であることを周りは皆知っていたため本気にする人はいなかったそうです。酔って冗談を言っているのだろうと。
ただ、そんな中でも彼らは本気なのかもしれないと思った人間も何人かいました。
警官に話したり、町長に警告したり……ところが町長は兄弟から武器を取り上げただけで帰ってしまいます。だから兄弟はまた武器を調達して殺人の機会を窺うわけです。
そしてまた神父も殺人計画を知らされます。神父は狙われている家に忠告をと考えますが、外出している中ですっかり忘れてしまいます。
読者である私はサンティアゴ・ナサールが殺されることはわかっているのに、このあたりを読んでいるとつい「もしかして町長が、神父が、止めてくれるかも……」とハラハラしながら希望を感じてしまうんですよね。書き方がうまいなあ。
兄弟は止めてほしくて周囲に計画を話していたんじゃないかとか、殺人計画を知りつつ何もしなかった町の人は何を考えていたんだろうとか、人間の心理に思いを馳せる上でかなり興味深い本だと思います。
例えば殺人計画を知りつつ、本人やその家族に「あなたは狙われている」と伝える人はほとんどいなかったようなのですが、それは「もうかなり町の噂になっているから本人たちが知らないことはないだろう」と思ったからだとか。
実際のところ、本人や家族は狙われていることを知らず、一切用心せずに普段と同じように外出をしていたのですが。
そしてその後ようやく命を狙われていることを知ったサンティアゴ・ナサールの様子もとても興味深いです。
生まれ育った町で、しかも自宅まですぐの場所にいるのに進むべき道がわからなくなってしまうのです。
命を狙われている焦りと、周囲の人が口々に「そっちはダメだ」とか「あの道を行け」とかアドバイスするのでどちらへ行くべきかわからなくなってしまいます。
こういう状況は読者である私たちの生活にもありそうですよね。
命に危険が迫る非日常ではそれくらい慌ててしまうということです。例えば津波や洪水など迅速な避難が必要とされる災害時にも、どこに避難するべきかわからなくなって慌ててしまいそうだなとか。
日頃からハザードマップを見ておけというのはこういうことなんだなと納得しました。
前述の通り、この殺人事件では「狙われていることはもう知っているだろうからわざわざ言わなくてもいいかな」とか「武器を取り上げるだけでいいだろう」とか、油断とも言える様々な人の判断の甘さや、小さなボタンの掛け違いが殺人を後押ししてしまいます。
そのなかでも一番私がつらいと思ったのは、家まであと一歩のところまで来ていたサンディアゴ・ナサールを締め出したのが他でもない彼の母親だったという事実です。
母親はサンティアゴを愛していました。もちろん彼の死など望んでいませんでした。
それが何故息子を締め出して殺人鬼に手を貸すことになってしまったのか、それは是非読んで確かめて頂きたいです。
私はこれは同じ状況に陥った人は誰しもが同じことをやってしまうんじゃないかと思いました。
危機が迫ったときの咄嗟の判断力、そして何より今の状況を確かめる力、それがあれば避けられたのかもしれませんが、武器を持った男が迫って来ているのを前にして無理な話だと思います。
単なる野次馬根性で読み始めた本ではありましたが、危機的状況に陥った人間がどうなるのかを学べる有意義な本だと思っています。