拝啓、サンスベリア。
同窓会でタバコを1つ貰ってしまったばかりに、
タバコを辞められなくなった友人がいる。
出会わなければその依存性にも危険性にも気付くことが無かったのに、
もう二度と手放せないと信じてやまないのだ。
その渦中にいる彼らは後悔しているのかというと、そんなことは無さそうに見える。
彼らは既に、虜になっているからである。
♢
午後18時、定時から少し過ぎてしまったので、随分と急いでいた。
目当ての店が、18時半に閉まってしまう為である。
俺はこの店に通うようになってから、殆ど残業はしなくなっていた。
早く閉まるのは仕方が無かった。
開店時間が早いのだ。
18時20分、息を切らしながら店の前にやって来ると、
まだいつものように明るいままだったので、安心した。
「あら三宅さん、こんばんはー!ギリギリセーフね」
子どもが2人くらいいそうな30代の女性が、笑って迎える。
いつしか「いらっしゃいませ」なんて飾り文句も言われなくなった。
俺はスーツ姿のまま、彼女に向かって会釈する。
「ハーブが欲しくて。沢山植えたいんです」
彼女は合点のいったように大きく頷いた。
「虫が出たんでしょう」
彼女は俺を2階に案内すると、数種類のハーブを丁寧に説明し始めた。
「ハーブを植えるのは勿論良い事ですよ。後は雑草をこまめに抜くとか」
こんなに大きな花屋は珍しい。
噂を聞くに、ウエディング用のブーケなんかも注文を受けることが多いらしく、花屋の中でも『地元に愛される』というよりは『お洒落御用達』な今風の花屋だった。
スーツ姿の客はやはり少なかった。俺のような見た目だとプレゼントや頼まれ事で来店している人が殆どのようだった。
その中で一度や二度ではなく、毎日のように通っているのだ。プレゼントで無く、自分の為に買っていることは隠せない。それでもこの店員は、好機な目で見たりしなかった。
「こんなに沢山の植物がお家で飾れるなんて、羨ましいです」
彼女はハーブを丁寧に包みながら、俺に話しかけた。
俺は愛想笑いをすることしか出来なかった。
うずうずする。
早く家に帰りたくて仕方が無い。
もしも彼女が俺の家に遊びに来たら、彼女は何ていうだろうか。
まだ「羨ましい」と言えるだろうか。
生きた植物を「綺麗」と言えるだろうか。
俺の家は既に植物を飾る場所なんて無くて、最早部屋を浸食されているといっても過言では無かった。
玄関を開けた瞬間、伸び切ったツルが目に掛かる。
大きな葉を避けながら玄関を潜ると、四方八方に大きな観葉植物が置いてあって、窓にも小さな鉢に入った植物が並んでいる。
足の踏み場も段々少なくなった。植物は成長するからである。
ツルが伸び葉も大きくなる。
俺はそんな植物を、切ったり捨てたりは出来なかった。
この窮屈なくたびれたジャングルが、俺にとって唯一の憩いの場なのだ。
家に帰ったら、自分の夕食は後回しにまず水をやる。
それから虫の駆除をしていると優に2時間過ぎていることもある。
この時間の為に生きている。
リビングの真ん中に1つ置いてあるダイニングテーブルで、
この鬱々しい緑に囲まれながら食事をするのも好きだった。
こうして毎晩、秘められた時間を過ごすのだ。
育てている緑の植物や花の名前も、全く分からない。
ただ植物であれば良い。多ければ多いほど良かった。
だから、花が好きなわけでは無い。
きっかけなんて些細なもので、昔付き合った彼女が、小さな鉢を買って来たことだった。
彼女の名前はユカリといった。
ユカリが俺に見せつけてきた手のひらサイズの植物は、まるでゲームに出てくる罠のような、トゲトゲした観葉植物だった。
「花言葉が永久なんだって。良くなーい?」
ユカリは窓際にその鉢を置いた。
最初は彼女が毎朝水をあげていたが、段々俺が世話するようになって、
彼女は部屋から去る時、その鉢を持って帰らなかった。
トゲトゲした植物はすっかり大きくなって掌サイズでは収まらない。
今やテレビ台の上で生意気に鎮座している。
そのトゲトゲした植物は、俺と一緒に見捨てられたのだ。
可哀想ではないか。
それならば1つより2つの方が、植物も喜ぶだろうと思った。
2つが3つに、4つ5つと増えていっても、
ただ大きくなるだけの名前も知らない植物は、いつも寂しそうだった。
だから俺は、毎日植物を買っている。
緑が増えた瞬間、植物は喜んでいる気がする。
しかしまた寂しそうな表情に戻っては、
「もっともっと」と迫るのだ。
植物は余りにも多過ぎて、最早俺の生気を吸い取っているようだ。
もっともっと吸い取って欲しい。
この空間にいることが、何よりも気持ちが良い。
冷め切った幕の内弁当を食べていると、スマホから通知が鳴った。
大学来の友人で、最近はフリーランスになったばかりのデザイナーだ。
名を高橋といった。
『暇?』
彼の文面から得られるものは、非常に少なく広かった。
俺は高橋に電話をした。
最も素早く彼と意思疎通が出来るからである。
「よ、三宅!最近彼女とどう?」
高橋はどれだけ久しく連絡を取っても、数日前に遊んだような距離感を保ってくる。俺は溜息混じりに返事をした。
「彼女は3年前に別れてそれきりだな」
高橋は電話の向こうで笑っていた。
「実は今こっち来てるんだけど、宿が取れなくてさ、
実家に帰るつもりが今日家族居ないらしくて。
俺新しい鍵になってから実家の鍵も持ってなくてさ」
次々と言葉を連ねる高橋の声を聞きながら、冷や汗が流れた。
高橋の言いたいことが伝わってきたからである。
「それでさ、出来れば三宅の家に泊めて欲しいんだけど」
断り文句を考える為、無意識に唇を触っていた。
しかし高橋のことである。断っても良いが、断ったら彼は野宿もしかねなかった。
「あ、無理だったら良いんだ。さっき通った公園、人通り少ないし一晩位なら過ごせそうだし」
「良いよ、住所教えるから来いよ」
電話を切った瞬間後悔した。
しかしほんの少し、誰かにこの家を見せたい気もしていた。
見せるなら高橋だ。
俺は高橋が来るまで、より一層植物に手入れをした。
♢
高橋はそれから20分後にやって来た。
前会った時、髪はロングまで伸び切っていたのを括っていた印象だったが、
フリーランスになっての清潔感を重視したか、さっぱり短髪になっていた。
高橋が何ていうだろか、彼がやって来るまでに一通りの反応を予想した。
何を言われても、あまり嬉しい気はしなかった。
いよいよインターホンが鳴って扉を開けると、高橋は目を丸くしてそれから「ハハッ」と笑った。
笑った、というよりは単純に驚いているようだった。
てっきり大袈裟に褒められるか、「何だよこれ」なんて馬鹿にされるだろうと思っていたが、高橋は何も言わずリビングに向かった。
ただ、部屋中を眺めるように歩いて、
全ての植物に挨拶をしていた。
「すげえな」
高橋がその日植物に対して放った言葉は、たった一言だった。
彼がリビングの真ん中にある椅子に座ったので、俺はノンアルコールビールを差し出して向いに腰掛けた。
高橋は小さな声で「ノンアルか」と言った。
そういうところは気にする男なのである。
高橋はどうやら仕事でこちらに来ている訳では無かった。
3日後に控える叔父の四十九日の為に帰省をして来たのだと言った。
「早く仕事が片付いたから、1週間程ゆっくりしようと思ったらこれだよ。
四十九日手前で家族旅行って、常識ねえのかよ」
常識の無い男高橋は、ノンアルコールビールを片手に酔っ払ったような素振りを見せていた。
この男は常にシラフでは無いのだ。
高橋の家族だと思えば、このエピソードも合点がいく。
俺たちはつまみに出したピーナッツを細々とつまみながら、過去や未来の話をした。
高橋は真面目な顔をして、結婚したい相手ができたと話した。
適齢期の俺たちには、ありきたりな話題の1つの筈である。
それなのに一人前に羨望か嫉妬か、ほんの僅かに腹立たしさがあり、自分でも驚いた。
その気持ちを全て隠して「おめでとう」と言った。
時計の針が、22時半を指した。
「気持ち悪いと思っただろう」
高橋は「何が?」と返すので、俺は指でそこらに生えている植物たちを指さした。
「なあ、何故俺に見せる気になった?」
「何でだろうなあ」
「もう辞めたいんじゃないか?」
「辞めたい?」
辞めるなんて考えた事もなかった。毎晩花屋に寄らないと気持ちが悪いとすら思うのだ。これはただの習慣で、俺自身に辞めたいという気持ちは無い。
「シェフレラ、トックリラン、パキラ、ユッカ」
高橋がブツブツと唱えるカタカナは、指してる方に咲いている植物の名前のようだった。
「お前詳しいんだな。好きなのか?植物」
「好きじゃない。興味があるだけだ」
高橋が次々に挙げていく花の名前も、俺はひとつも知らなかった。
「三宅はどうだ?植物が好きなのか?それともそれは、依存か?」
黙って首を傾げていると、高橋はポケットからタバコの箱を取り出した。
「同窓会で、軽い気持ちで一本貰っただけだったんだ。考えてみれば、そんな些細なきっかけだったんだよな」
高橋は箱を取り出しただけで、タバコは吸わなかった。禁煙者の俺に気を遣ったのだろうかと思ったら、持っていた箱をぐしゃっと潰した。
「辞めたんだ。辞めたくは無かったが、辞めなきゃいけない理由が出来てな」
聞かなくても、タバコを辞める理由はわかる。
彼は自分の為ではなく、誰かの為に辞めるのだ。
高橋はテレビ台の横の植物を見に行くと、トゲトゲした緑に触れながら小さく唸って呟いた。
「俺にはこの植物が、1番哀しそうな気がするけどなあ」
確かにそうだ。
その植物は元々、自分ばかりを見て貰っていたのだ。
それが段々と他の植物に侵食され、身動きが取れなくなったこの部屋で、寂しくないだろうなんて綺麗事にも程がある。
俺は最初に飾ったこの植物を、永久に世話するつもりで居なければいけなかったのだ。
名前も知らない植物に責任を押し付けていた俺は、自分の心の隙間を埋める為に毎日植物を増やし続けた。
自分の正気すら奪われても、尚。
午後18時、会社の帰り道。
高橋から、昨日泊めてやった礼の連絡が届いていた。
俺がいつものように花屋に行くと、
30代前後の女性店員がまた顔を出す。
「こんばんは、今日は少し早かったですね」
俺は店内を周りに回って、目に入った赤い花を指差した。
「これください。出来れば一輪だけ」
「アルストロメリア?珍しいですね。緑の植物が好きなようだったので」
彼女は今日も、自宅用だと分かっていても丁寧に花を包装してくれる。
この赤い花を一輪だけ隣に添えるのが、名前も知らないあの植物にぴったりだと思った。
この記事が参加している募集
よろしければサポートをお願い致します!頂いたサポートに関しましては活動を続ける為の熱意と向上心に使わせて頂きます!