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慣れた道orわくわくの未知 2



慣れた道orわくわくの未知 2

前回のつづきです。

井の中の蛙は、大海を知らない。
鳥籠の鳥は、外に出れると知っても、こわいきもちですぐに羽ばたけないかもしれない。
だって未知だから。

慣れ親しんだここを離れるのがこわい

あまりの激変に、こわいと思うこともあるよね。
でも「こわい」という気持ちは、冒険の邪魔になってしまう。 
そんな夢物語、やっぱりうそでしょう と、
1兆倍以上の大きい水たまりがあるって?しかも塩味だって?見てみたいけど、うそだろう(by蛙) と、

もし新しい世界を70%信じていても、30%信じてないということにもなる。
完全に信じられないから、
もしかしたら怖いことが待っているかも、もしかしたら全部うそで騙されているのかも! と思うから、こわいのだ。

そして、これまでの世界への未練🌍

これらがあると、進めない。
執着や恐れ、疑いは、旅にもっていけない。


確かなのは「我思う、故に我あり」だけ

ここで生まれ育ってきた。
かなり限定的な小さな世界でも、ここで生まれてここで生きてきた。
からだがここに慣れている。
ほとんどの人が、それがすべてだと思ってその中で生きているし、これからも生きていくだろう。

一方新しい世界はみえてきている。
道が、足元に敷かれている。
道は気づかなかっただけで、生まれたときからあった。


後ろ髪ひかれる?

新しい世界そのものが、ただの現実逃避の思考の産物ってどこかおもってる?



私も一部でそうおもってた。
でもさ・・・🌟


逆に、今のこの世界、なにか確定的なことはあるかな?
絶対的に信じられる、または絶対的に信じることに値するもの。

そもそも物質で「かたい」とおもっていたものが、実は実体のない素粒子でできていた。
このからだも、素粒子のかたまりで集合体。
それらが高速で動いて、それを私たちが「固体として ある」と認知していただけ。

科学ではわからないことだらけ。
論理的科学的、エビデンスエビデンスいうけど、万物のもと、素粒子のことも解明できないのに証拠もなんにもない🌼

私という人間も、科学的に、
いま素粒子が集まって、私をかたちづくっているだけ。そしてそれは、高速で動いている。波だ。

根本からして、そう。
不明確だらけ不確定だらけ。
ただ人間社会が、「そうだ」と共通認識を決めて社会をつくっていただけ。


そしてその社会が幸せならよいけど、
どうですか?

まだまだここでやりたいことがある人は、存分にやるべきだけど🌼


信じるに値するもの

そうなると、話がもう哲学になってくる。
デカルトの 我思う故に我あり は、そんな風に生まれた。
全部が不確定で流転的で、とても信じられない。私という体すら、不確定なのだ。

でも、
でも、

私がいま考えている。
それは、そうだ。
確定だ。
いま考えていると、認知していることだけは確定だ。


それくらいしか、信じられることがない。
論理的にも。☺️✨


デカルトの我思う は、「思う」だけでなく、
楽しさも、幸せも、ときめきも、安心も、
今感じているなら事実だ。
私は今、わくわくしている! 

わくわくすることも、人によって全然ちがっていて、自分はなぜかこれにワクワクしてしまう!という事実。
新しい世界があるらしく、そのことを考えるととっても楽しくなる!という事実。
明日も会社にいかないといけない、となると、気分が暗くなる事実。
それらはもう、自動反応なのだ。
ココロが勝手に反応している。
「きもちいい」「くるしい」「ハッピー」「塞ぐ」それらは事実。 
ココロはセンサーで、ナビなのだ。

どうせ素粒子の集まりの世界🌍。
我思う〜、以外に確定要素はない。
「みんなは」「ほとんどの人は」とかは関係ない、それでココロはどう?楽しけりゃそれでいいね😊 自由!

道を選ぶときに、なにを基準にしますか?

私は、たのしくて、きもちよくて、心が軽くて。自分が最高! とおもう方を選びます。
だって、自分の心しか確かなものはないから😊
それを信じるしかない。

きらめき。

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