密教(タントラ)の目的。瞑想、ヨガ、クンダリーニ、神秘体験、超人思想、、、?
密教(タントラ)に関して、ちょっと思索の整理・メモ。
とりあえずは、密教の目的は「霊性(智慧・慈悲)」のためだとした方が良いんじゃないかなぁ ということです。
関連:霊性と智慧と慈悲。水瓶座の時代(アクエリアン・エイジ)?
概観
この瞑想する人noteでは密教(タントラ、ヨーガタントラ)とは、生命エネルギーの実践としていて、中国の気功の内丹(仙道)、インド・ヨガのクンダリーニ系ハタ・ヨーガ、チベット密教の特に究竟次第(ゾクリム)に分類される修行にある「ツァ(脈管)、ルン(風)、ティクレ(心滴)」の実践が該当するとしています。
他にはリトリートによるものなど、集中的な瞑想実践なども密教としてよいでしょう。
関連note:【ヨガの分類②】クンダリーニ系ハタ・ヨーガ。瞑想やムドラーを重視する密教のヨーガ
一方で、快楽目的で「エナジー」や「チャクラ」をいじくるようなものは、これは技法的には密教的なものとしてよいのかどうか混乱するところです。
こういったことをやっている人の中には、これを密教的なものだと主張する人はいます。
他には体験内容に関して、臨死体験やサイケデリクスの界隈でも、「プラーナ」「クンダリーニ」など密教的な生命エネルギーの体験に言及されることがあります。
日本への導入
事実を淡々と述べようと思うのですが、この生命エネルギーや集中的な実践としての密教を日本史上初に導入したのは、規模や内容を見ると、かのオウム教祖・教団だと言えます。
亡命したチベット僧などによって、こぢんまりと行われたりはあったのかもしれませんが、日本を含む先進文明諸国で、あれほどの規模と内容で行われたのは前例の無いことだったのではないでしょうか?
「導入した」と言っても、日本では密教が盛んになっているというわけではありませんし、こういった特殊な実践自体が、正確なものが、今なおスピや精神世界においてすらもほとんど認知もされてないようです。
しかし現在においてもこういった実践界隈をチラッと観察すると、「オウムが日本に導入した」という表現は間違ってはいないように感じます。
高藤聡一郎氏の仙道に関しては、高藤氏本人が表舞台から姿を消して久しく、関連本も全て絶版になっており、ネット上でもずいぶんと衰退してしまっているようです。
高藤氏の仙道は小周天以上の段階については、神秘的な関心を煽るだけ煽っておいて、丁寧な具体的な説明が無いまま終わってしまったという感じがあります。
関連note:【全身周天や大周天】仙道の階梯。ヨガや瞑想の視点
チベット密教では、チベット仏教僧を日本に招いて、究竟次第(ゾクリム)の体系に属するとされる「ナーローの六法(ナーローの6ヨーガ)」などの伝授会、関連する灌頂の儀式が行われることがあるようです。
しかしこれについても、「儀式を受けたからといって正しく実践ができて体験が生じるものなのか?」「そもそも日本にやってきて儀式を授けるチベット僧自身が体験的な理解に通じているのか?」といったことなどがあると思われます。
目的
さて言いたいことを先に言うと、、密教の目的としては、この瞑想する人noteでは「霊性(智慧・慈悲)」の理解と実践のためだろうという思索を尊重しようとしています。
密教は霊性(智慧・慈悲)のために実践されるべきであり、また実践による体験の全ては、霊性(智慧・慈悲)に沿って解釈され、結びつけられるべきだということです。
霊性に結びつかないものは、密教ではないし、どんな体験であれ尊重されるべきではないということです。
そうした方が実践やその成果が充実することがあるだろうし、弊害が少なくなるのではないでしょうか。
体験や影響には、理解の難しいこと、つまずきの石になるようなこと、心身のバランスが崩れるようなこともあるとされていて、霊性のためだという目的をしっかりと維持した方が良いのではと思うところです。
関連note:『魔境』の話① 瞑想・ヨガ・生命エネルギーの実践における魔境
「、、で、具体的にはどーするの?」ということですが、これについてはまだまだ思索が足りてません、、、。
ただ「智慧」といったものは、これは文献的な知識だけではなくて、「意識による理解」「気づき」「心境」「精神性」といったようなものが重視されるものだろうとは思われます。
また「客観的な絶対的真理を根拠とする教義(ドグマ)」というものというよりかは、各人が自らの霊性に向き合うという姿勢が重視されるだろうとも思われます。
伝統的な説明
チベット仏教などの情報には「密教は速疾なる成就のため」といった説明があります。
生命エネルギーを操作したり、リトリートなどによる集中的な実践によって、直接的な意識体験(宗教的体験、神秘体験、、、)を得て、他の方法と比べても短い期間で優れた境地を達成するといった意味です。
宗教史学者・文化人類学者の中沢新一氏自らも、ニンマ派の「ゾクチェン(大究竟)」(ゾクチェン=アティヨーガ)の修行経験があるようです。
周辺情報(神秘体験、オカルト)
密教に関する情報として神秘体験に頻繁に言及されます。
ほかには「超人思想」、たとえばクンダリニーによってチャクラを開発して「第三の目」や潜在能力が目覚め、超能力が身につき超人に進化するみたいな中二病オカルトなども目につきます。
神秘体験
神秘体験には当たり前のように言及されます。
試しにamazonとかで「チベット仏教(密教)」で検索して、テキトーに選んだ本を読んでみて下さい。
当たり前のように神秘体験の話が出てきます。
生命エネルギーを扱う密教の性質として、そういうものなのです。
オウムでは、実際に生々しい神秘体験をすることで、教祖・教団にのめり込んでいき、中には重大犯罪にまで手を染める人もいたとされます。
たとえば瞑想による「バルドの体験」です。
参考:上祐史浩氏(ひかりの輪)「天国と地獄は本当にあるの!?」
3:37~くらいから少しだけ「バルドーのヨガ」に言及されています。
このバルドのヨーガについて、チベット密教の簡単な解説本には、、、
生命エネルギーが中央気道に流入して心臓のチャクラに集まる。
それによって心臓のチャクラにあるティクレ(心滴)が融解し、内奥の意識が解放される。
するとバルドの体験が生じる。
、、、などといったような説明があります。
このバルドのヨーガというのは、チベット仏教の修行の内で深甚なものとされる究竟次第の体系の中でも、とくに深甚なものの一つとされます。
こういったのが現代の日本で、オウムの中で行われていたのであって、「オウムという現象はいったい何だったんだ?」と思ってしまうわけです。
関連note:上祐史浩氏に質問しました。クンダリーニついて(神秘体験、体外離脱、ヨガ、瞑想、魔境、クンダリニー症候群、、、)
とりあえずは瞑想する人noteにおける思索の方向性としては、「霊性(智慧・慈悲)」に結びつかないものは全て無視ということで。
また神秘体験は有害なことがあると考えられます。
この神秘体験の弊害については、知っておくべきだと思います。
超人思想などオカルト、スピリチュアル
「神秘的な瞑想やヨガ、行法、魔術によって霊的に進化する」みたいなことが、オカルト・スピリチュアル界隈で主張されることがあります。
こういった主張は、オウムでもあったようだし、神智学などでもあるようです。
ちなみにヒトラー・ナチスとオカルトの関係は、トンデモや噂話も含めて、様々に言われているのですが、ナチスの中にも、人類の霊的進化のようなオカルト人種論を支持する人がいたようです。
クンダリニーの体験者とされる有名なゴーピ・クリシュナも威勢のいいことを言っています。
当のゴーピ・クリシュナ氏本人は、クンダリニー関連本執筆で欧米でも有名になったり、不思議な経緯で詩作の能力が身についたりはしたようですが、「心霊的、精神的巨人」にまではなってはいないのではないでしょうか?
オウムでもクンダリニー体験者はいたとされますが、教祖を含めて超人になっているでしょうか?
クンダリニーなど生命エネルギーの神秘的な体験によって、「超人」やら「アセンション・覚醒」「ツインレイ」やら、「引き寄せ」「思い通りの人生」やら、いろいろとオカルト・スピリチュアルなことが言われていますが、そういったのは幻想なんじゃないでしょうか。