目上の人と上手く話せない私なりの原因ー過度な尊敬の危険性
この記事は「年上と話すとき、なぜか息が詰まるんだよな」という、個人的な悩みを解決した際のメモを参考に書いています。
すべての人にあてはまるとは思いませんが、似たような症状に悩まされている方にとって役に立てば光栄です。
上司や社長と上手く話せない…
皆様は「年上と話すとき、なぜか息が詰まるんだよな」と感じることはありませんか。
私はめっちゃあります(笑)
息が詰まるのはいい方で、ひどいときには喉が絞まり、声が出しにくくなったりします。
というのも、私は長期インターンや就活で自分よりも一回り、二回り以上年上の人と接することが多くあったのですが、相手を「凄い人」と思い込むあまりうまくコミュニケーションが取れなかったんですね、、
その原因…崇拝が原因かも…?
いろいろと自分で原因を分析してみたのですが、その原因はどうやら盲目的な尊敬「崇拝」にあったようです。
そもそも尊敬とは、相手のすべてを盲目的に尊敬するのではなく、相手についてよく観察したうえで、優れている要素を敬うことだと思うのですが…
反対に崇拝とは、相手への注意深い観察なしに盲目的に「この人はすごいと決めつける」ことと似ています。
私の場合ですが、「相手に気に入られたいという想い」と相手の輝かしい実績や勤務年数によって、実際以上に凄い人に見えて盲目的に「この人はすごい人だ」と決めつけていたようです。
相手を無条件に受け入れ尊敬をするのは、「無条件の愛」のように聞こえる可能性もあるので、一見素晴らしいことだと感じる方もいるかもしれません。
しかし、相手への十分な観察もなしに盲目的に「凄い人」と決めつけて崇拝するのは、逆に相手に失礼ではないでしょうか。
相手からすれば、自分のことを良く知りもしないのに勝手に持ち上げられているのですから、良識のある方にとっては良い気分ではありません。
せめて尊敬をするなら、心の底から尊敬した方がより健康的な関係を築けそうです。
処方箋「部分的尊敬」とは
そこでお勧めしたいのは、「部分的尊敬」です。
書いて字のごとく、相手の優れている要素を尊敬するのです。
逆に自分から見て優れていないと感じたところは、無理に尊敬しないでいいのです。
私の例:○さん(上司)は、論理的思考能力は人一倍優れているけど、マネジメント能力はあまりないよなー。
部分的尊敬のメリット
色々とあるのですが最も大きいメリットは、盲目的尊敬で生じてしまう「息の詰まるような感覚」を軽減し、コミュニケーションをより円滑に行うことができるという点です。
盲目的尊敬(崇拝)の下では、相手のことを自分のはるか上に置いてしまうことで、過剰な謙遜をしてしまい、コミュニケーションがうまくいきません。
部分的尊敬を行うことで、相手を自分と等位に置くことができ、忌憚のない意見を述べられるようになり、建設的な会話・健康的な関係性の構築ができるようになります。(どんなに立派に見える人でも、結局は自分と同じ"人"なのです)
終わりに
「盲目的崇拝」は、特定の生育環境によって徐々に形成されることが多いと思います。
いじめを受けていたとか、大人を尊敬している「いい子」のふりをしないと褒められなかったとか、周囲を過剰に気にしないといけない環境とか、、
私の場合もそうで、そうしないとうまく生き残れなかったんですよね。
でも盲目的に崇拝されるのって、人によっては「信頼できない」とか「気持ち悪い」と思われることもあるので、できれば気を付けた方が良いと思います。(僕はかつて崇拝している人から直接言われたことあります笑)
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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