希死念慮を持たれている方へ
僕は24才の長女を自死で亡くしました。
それからnoteを始めて今に至ります。
これは予想をしていなかったのですが、僕のnoteは同じ境遇の方の他に、希死念慮を持たれている方も読んで頂いているようです。
苦しみながらも優しい方が多くいらっしゃって、ご自身の心境をnoteに詳しく綴ってくださったり。それはまるで僕のnoteに呼応するような内容だったりもして、感謝するのはちょっと違うのかも知れないけど、実は僕も救われているのです。
当時は何も分からなかった彼女の想いに、少し近づけた気がするのです。もちろん何もかも手遅れで、全ては遅すぎるのですが、それでも僕には救いになっています。
希死念慮について
僕も少しづつ学んだ『希死念慮』という想いですが、実に辛くしんどく厄介でキツイ、難しい病気なのだと、知れば知るほど思います。当時、僕も全く理解しておらず、何も出来ずに長女を失ってしまいました。
でも、だからこそ、だからこそ言える思いを綴りたいと思います。
できる限り簡潔に書きます。
希死念慮に苦しむ貴方へ
『どうか信頼できる誰かにその想いを打ち明けて、相談してもらえないでしょうか。』
残された者の立場で勝手なことを言います。誰かの代弁はしたくないので僕だけの事で言いますが、“何も出来なかった” という事が一番の苦悩です。「そんな事を言ったって、どうせわかって貰えない」そう思われるかも知れません。
でもそれはお互いに同じなのです。
だから『御自身がどんな想いで苦しんでいるか。その辛さ。そしてこのままでは死に向かってしまう可能性が有ること。』を真剣に伝えていただけないでしょうか。そしてその状態を解決したい事も。
僕の娘が残したメモにもありました。『生きていたく無い。でも幸せに生きてみたかった。』と。貴方は違いますか?
察しろよ!と思うかも知れませんが、僕は出来ませんでした。自分で立ち直らなければならないから、と思っていた部分もあります。ただ希死念慮が最悪の取り返しのつかない事態にまで発展する事まで想像が出来ていませんでした。そしてその苦しさ辛さも悲しさも。
希死念慮とは
僕は希死念慮は病気だと思います。ただ恥ずべき事でも無く、誰にでも起こり得る事です。ただあまりにも世の中の理解が足りず、ひょっとしたら医療的にも一番進んで無い分野かも知れません。だから隠されてしまう、遠ざけられてしまう。
心の風邪とか呼ばれますが、そんな生易しいモノでは無く、癌より恐ろしい病気だと思います。ただその思いを持つ貴方に一片たりとも責任は無いのです。
だから誰かを頼ってみてください。
色々な境遇の方がいらっしゃる事はわかります。だから親でも恋人でもいい、だれか信頼できる誰かに打ち明けて、頼って欲しい。一緒に問題に立ち向かえる誰かを増やして欲しい。
治る、なんて無責任な事は言えない病気だともわかっています。
ただ、僕は貴方に生きていて欲しいと思います。
最後に僕が一番信頼しているフラットな見方のポストを貼ります。
どうか貴方の苦しみが少しでも減りますように。