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イチャリバチョーデー?

リベラルアーツという言葉が、近年流行している。

本来は、七自由科。すなわち

ギリシャ・ローマ時代から中世にかけて西欧で行われた基礎的教養科目。文法学・弁証学・修辞学の三科に,算術・幾何・天文・音楽の四科を加えたもの。七自由科。

スーパー大辞林

という基礎教養だが、学問は人間を自由にするということだろう。

「受験勉強で不自由極まりなかった」という方も多いだろうが、
学問が人を自由にするとはどういうことだろうか。

この前、年若い知人に聞いた話がいいヒントになりそうだ。

この知人は悩みごとがあるといって、
私を呼び出した。なんでも恋の悩みらしい。
「私なんかに聞いてもいい答えは出せそうもないよ」
と言ったのに、相当困っていたのか、彼は構わず
話し出した。以下のような内容だった。
「自分は初恋の人が忘れられない。
でもその人とは長く会っていなくて、
最近、また新たに気になる人ができた。
だが、二人を天秤にかけることはできそうもない。
どうしたらいいだろう?」

若いっていいな!オジサン感激!
と思ったが、向こうも真面目なので
ちゃんと答えた。
「そうだね、なかなか、むずかしい質問だね。
まあ、どちらも自分にとって大事な人ということだよね。
でも、そこに男女の関係をもちだすから、
面倒なことになるのではないかな?
友人だったら、何人いてもいいわけじゃない。
恋人だと二股だけどさ、
矢野顕子の歌に♪ともだちになれたらいいのに
ってあるけど、そういうかんじ?
ああ、君の世代は矢野顕子とかしらない?
そうか…」

こんな感じで、むこうも次の仕事があるというので、
そんなにじっくり話せなかったのだが、
ちゃんと答えになっていたのだろうか。

あとから考えてみたが、
われながら結構いい答えを返せていたのではないだろうか?
人間である以上、男と女がいれば夢芝居がはじまってしまう
わけであるが(古)友人なら何人いても大丈夫だ。

かつて北宋の張載という思想家は「民胞物与」
を説いた。簡単に言えば「イチャリバチョーデー
人類皆兄弟!」みたいな思想なのだが、
こういう心持ちで人と接する以上は、
本当にたのしい。

彼はまだ若く血気さかんで、
肉欲というものから自由ではないだろうが、
(そういう私も凡夫のままだが)
それでも、だれとでも友達や兄弟のように、純粋な友情や友誼で
交われたらきっと楽しい。
一人を愛することはその人しか愛してはいけないと
いうのが現代の恋愛だろうから。
一人と深く付き合う代わりに、幅広く薄く好意をもつというような、
感覚は禁止される。もしかしたら、彼はその辺に悩んでいたのかも
と今書いていて思った。

さて、なぜ七自由科の話を最初にしたのか。
それは、人間は哲学などの教養によって、
はじめて自由になると思うからだ。

彼のような悩みを掘り下げて、
たとえば、私が先に書いたように、
誰とでも人間として平等に付き合う。
生き物なので欲望はあるがそれは理性によって
一旦脇に置き、そこから話を進めていく。
そういったカント的な自由(昨日も書いたが)
といった話はやはり哲学などの「教養」がなければ、
咄嗟に必要な時にでてこない。

ある哲学者が教養があるとは「よく生きる」ことだ。
と書いていたが、本当にそうだと思う。
いくら知識があっても、よく生きられない、
幸せになれないようではそれは教養とはいわない。
教養は人を自由にし、人を幸せにする。

人類は皆兄弟だ。




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