彼女はまだ、あの夜の中にいる。
わたしはいま、一体どこにいるのだろう。
わたしがいるここは、夜の中、なんだろうか。
夜には、いろんな夜があると思う。
夜桜は美しいけれど、ちょっと不気味にも感じる。
花火やお祭りはわくわくするけれど、怪談は怖い。
遠回りしたくなる夜もあれば、すぐに帰りたい夜もある。
寒くなり、夜の長さは増して、気が付けば短くなっていく。
楽しい夜もあれば、心細い夜だってある。
心細くなるような夜を過ごしたことがあるひとは、夜に魅せられたひとだと言っても良いのかもしれない。夜にはそんな不思議な魅力があって、ふとした拍子にわたしたちは夜の中にスッと行ってしまうんだと思う。じぶんでも気が付かないうちに。
行ってしまう、というよりも入り込んでしまう。
夜の中に、深く、潜り込んでしまう。
夜の方が気持ちを支配されやすい気がするのもきっとそのせい。
「支配されやすいって、誰に?」と聞かれても「何かに」としか答えようがないのだけれど。でも、きっとそうだ。
十年前の失踪事件。
その鍵を握るのは、謎の連作絵画「夜行」。
京都で学生時代を過ごした仲間だった長谷川さんは、
皆で訪れた鞍馬の火祭りの中、突然姿を消した。
あれから十年。
残された僕ら五人は、再び祭りの日に再会する。
空白の十年間に五人がそれぞれ別の場所で出会っていた
謎の銅版画「夜行」とはー。
この夜はいつか、明けるのか。
僕らは、彼女と再会できるのか。
(公式HPより)
観たことがないので確かではないけれど『世にも奇妙な物語』ってこういう感じなのかな、と思うようなそんな小説だった。こころがざわっとする感覚がまるで夢のよう。快感ではないのにページを捲る手が止められなくなる。
森見登美彦さんの10年目の集大成、ということらしい。
森見さんの作品はほぼ読んでいて、これは『きつねのはなし』が好きなひとにお勧めしたい。
『夜は短し歩けよ乙女』『有頂天家族』『ペンギン・ハイウェイ』が好きで、2作目にこの本を読もうものなら、きっと驚く。こんな作風だったっけ、って。
そういえば、わたしがnoteで初めて本について書いたのは『ペンギン・ハイウェイ』だった。
謎の銅版画「夜行」は様々な地名が付けられた連作で、失踪事件から十年経って集まった仲間たちは、それぞれその土地と「夜行」にまつわる夜の旅について話をする。
一つ一つの作品を見ていくと、同じ一つの夜がどこまでも広がっているという不思議な感覚にとらわれた。
(p12)
夜は、繋がっている。
どこまでも、誰とでも。
「夜明けの来る感じがしないね」
(p39)
夜の底を走っていくように感じられる夜行列車。
夜は明けるものなのか、終わるものなのか。
夜はいつから始まって、いつ夜は夜じゃなくなるのか。
「どうしてこんなに淋しい感じがするんだろう」
「それが夜行列車のいいところだよ」
(p113)
なぜ夜はたまらなく「ひとり」を感じるのだろう。
朝よりも夜の方が淋しいという言葉が似合う気がする。
「世界はつねに夜なのよ」
(p246)
朝を迎える、という言葉をよく耳にするけれど
夜は迎えられないものなのだろうか。
あまり歓迎されていないものなのだろうか。
どうしようもないほどに悲しい夜もあるけれど、
どうしようもないほどに悲しい朝はそこまで無い。
この夜を過ごせて良かったと思う夜もあるけれど、
この朝があって良かったと思う朝はあんまり無い。
わたしだからこそ、なのか。みんなもそうなのか。
書き連ねてもただ夜の中に吸い込まれていくばかり。
『夜行』を読み終えてしばらくぼうっとしてしまった。
きっとわたしは、夜の中に少しばかり入ったのだ。
『夜行』の夜は、とても深いところにある。
夜の中を体験したいひとは、森見登美彦の『夜行』を読めば良いと思う。読み終わる頃には、夜の中にいるだろう。
深い、深い、夜の中に。