私の人生の課題と頼ることと決意と
前回のnoteで「統合は難しい」みたいなことを書いたけど
なんで難しいのか考えてみたら、
寂しいとかそういうだけの問題じゃなさそうだったのでメモがわりに記す
メタ認知と自己受容
いや、ごめん、言葉の使い道があってるかは分からん
まず、自分というひとりの人間の目指すところというか
どんな人間になりたいか?といわれたらいくつかあって
・相手の言葉の意図を汲み取れる人間でありたい
・汲み取った意図を言語化できるようになりたい
・相手に優しい言葉を渡せるようになりたい
という3つが大きくある
と思う
で、統合が難しい理由
前回の記事に書いた通り各々に性格があって、
落ち着いていて読書が好きな夏生
鬱々としていて弱々しい しほ
天真爛漫で楽観的な まり
短気で怒りっぽい巡
(夏生の欠点はよくわかってない
強いていうなら話すときに他人事みたいに話しすぎて無責任?
でもそれ今の私にも言えるんだよな……)
ただ、夏生以外の子達の性格を考えると共通するのが
自分がその性格なのは耐え難い
という点
別に友達が楽観的だとか短気だとか落ち込みがちとかはどうでもいいし、仲のいい人たちがそうなったところで受け止める準備はできてるつもりなんだけど
私という人間が、常にネガティブで、かと思えば楽観的で、かと思えばキレやすい性格であると考えると
とてもとても嫌だなと思った
気分屋で飽き性で移ろいやすい自分を私はとても受け入れ難くて、
それを受け入れる作業から始めなくてはならない
そういう風に認識(メタ認知)していて、
今後の課題が自己受容
自己受容ってどうやるん?
ここで出てくるのが、それってどうやるの?っていう話で
自己受容しよう!オッケー!できました!
とはならないので
(出来たらこんなことになってないので)
困ったなぁと思ったいたら
友達が
「自己受容の近道は他人と話すこと」
「人の話を聞いてあげるという役割の確立もそうだけど、自分自身の話をすることだけでも受け入れられるものは増えるよ」
と教えてくれた。
「だから私を使っていいから話しなさい、受容の感じで聴くから」
とも。
ありがたすぎる
自己受容には他者を頼っていいのかぁというのがとても学びで
何って私は「人を頼る」という行為が死ぬほど苦手なので
だからこうやって、自分用ですよ?の顔をしながらnoteに書くことでなんとか均衡を保とうとしているわけだけれど
どうやら友人のことも頼っていいらしい
でもやっぱり「忙しいのに迷惑だろうな~」「ネガティブなことしか出てこなくてうざかろうな~」と思っちゃって難しい
少しずつ、少しずつね
がんばろうね
という、決心の話でした