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映画「遠いところ」感想(ネタバレあり

YouTubeでこの作品の予告を偶然見たのが4月。映画公開は6月と聞いて楽しみにしていたが、東京での上映は10月とのことで、半年近く待つこととなった。東京でたったひとつの小さな上映館、下高井戸シネマまで足を伸ばして本当に良かったと思う。2023年で1番の、忘れられない衝撃作となった。

まず感心したのは、主役の花瀬琴音さんの自然な演技だ。冒頭の「何歳に見える〜?」「ん〜、それよりちょっと若いかもね」「17歳!」のセリフだけで、これはいい映画だ、と確信した。
貧困、DV、子育てに追われる母という役柄のため、普通の映画であれば、おとなしい清純派のキャラクターを想像するが、この映画のアオイは全然違う。暴力夫に本気で言い返し、殴られても怯まない。「殺すぞ」「殺せば?」のやりとりは痺れた。
友達とケラケラ笑って警察と鬼ごっこし、尋問されても逆ギレ。真っ赤な服がよく似合う、本来明るくて強い女の子だ。
母としてのアオイも素敵だった。子どもを甘やかすわけではなく、一緒に遊びに行くようなシーンはほとんどなく、昼間はおばあに預けっぱなしで、それでもアオイが子どもを大事にしているのがすごく伝わる。
あまりにも自然な沖縄訛りの演技だったが、東京出身だというからすごい。若くて素敵な女優さんなので、もっと有名になって欲しい。

この映画のキーパーソンの1人、石田夢美さん演じるミオも素敵だった。印象的だったのは、マサヤにボコボコに殴られて顔面血だらけのアオイを発見したミオが、驚きも泣きもせず、笑ってくれたこと。「アンタ今こーんな顔してるよ、こーんな顔」と笑って、手当てをして、一緒に写真まで撮ってくれる。こんな友達がいたらアオイの人生も少しはいい方向に向かうんじゃないかと期待した。そうはならなかったけど。石田夢美さん、初見でしたがめちゃくちゃ綺麗だし脚ほっそいな、、モデルさんらしい。
アオイがさらに追い詰められるきっかけとなるミオの自殺は、だからこそ本当に重いものだった。ミオは本気でアオイが大事だったからこそ、キャバの店長にアオイを紹介した自分を責め、アオイが風俗で心をすり減らしても力になれない自分を悲しく思ったんだろう。
舞台挨拶で監督がおっしゃっていたが、アオイのモデルとなった沖縄の女の子と初めて会った日が、ちょうどミオのモデルとなった子の葬式の日だったとのこと。映画と同様に、スウェットにボサボサの頭、キティーちゃんのサンダルを履いて葬式に向かうところだったんだとか。喪服なんて着る余裕ないし、そもそも持っていなかったんだろうな。

アオイの父親は一度だけ登場するが、やけに距離があって冷たい。アオイの母は拘置所にいるとのことだったので、もしかしたら薬物中毒者かなにかかもしれない。何度も捕まっているかのような言い方をしていたのと、アオイがミオの大麻に少し引いていたので、そう思った。男親の責任感のなさは、他の映画でもよく描かれるところだ。柳楽優弥の「誰も知らない」長澤まさみの「マザー」に一瞬だけ登場する男親も酷かった。自分の子供への責任感がまるでない。

この映画における男親であるマサヤは、どうしようもない男だったかもしれないけれど、アオイがいつまでも彼を見捨てない理由も少しわかるような気がした。マサヤもケンゴには優しかったし、店やるとかどうとか、ビッグマウスで夢ばかり大きいところも、きっと昔はカッコよく見えていたんだと思う。マサヤに対する愛情は冷めつつあったかもしれないが、それでも大切な人であることには変わりなかった。殴られた後もずっと一緒にいたし、マサヤが起こした暴力事件の示談金も、アオイにとって払わない選択肢はなかった。

この映画を見ていて感じたのは、人に頼ることの難しさだ。両親とは離れて暮らしているものの、アオイは天涯孤独というわけではなく、友達がいて、祖母がいて、義母がいる。それでも90万という示談金を他人に頼ることはしなかったし、義母に問われても「20-30万」と嘘をつく。助けて、とSOSを出すことは難しくて、周りの人も、アオイが苦しんでいることはわかっていても、根本的な解決をもたらすことは難しい。
そんなときに、数回会っただけの児童相談所に「困ったことがあったら言ってください」なんて言われたところで、打ち明けられるはずがない。「お前らには関係ない」と突っぱねてしまう気持ちはよく理解できる。

沖縄という土地は、進学率が低く、大企業もなく、働くうえでの選択肢が少ないように思える。沖縄でなくとも、17歳中卒子持ちが働き口を探すのはそう簡単ではないだろうが。
キャバクラを辞めさせられ、散々悩んで悩み抜いた末に援デリを始めるアオイだが、仕事に慣れれば慣れるほどに目が死んでいく。初回の入れ墨デブに抵抗していた時は、まだアオイらしさがあった。終盤の中国人の客とのシーンは、人形のようにゆらゆらしているだけで、本当に見ていられないほど痛々しかった。
目を背けたいほど辛いけれど、こんな地獄はそこいらじゅうにある。シングルマザーが生活保護を受けようと役所に行くと「風俗という選択肢もある」と職員に言われる時代だ。NHKに冠番組を持っている有名芸人ナイナイ岡村が「貧困になった可愛い女の子が風俗に増えるのが楽しみ」と語るような国だ。
女の子が尊厳をすり減らして、死んだような目をして、それでも生きていくしかない世界。高い税金はどこに消えているのか、福祉は末端に届かない。
玉城デニー知事の公約が流れるラジオの音声が、やけに皮肉っぽく響くシーンがあった。政治家が今やるべきことはSDGsでレジ袋を廃止することじゃなくて、トランス女性のために男女共用トイレを増やすことでもなくて、見えない貧困を救い上げることなんじゃないのか。

哀しみだけが募るラストシーンは、敢えて救いのない終わりかたにしたように思える。おばあが助けにきてアオイが生きる気力を取り戻すとか、そんなハッピーエンドにしてしまったら、観客は「いい映画だったナー」と結末に安堵してしまい、次の日には沖縄の貧困問題なんて忘れてしまうだろうから。
アオイが本当に命を絶ったのか、それは分からない。死ぬにしてはやけに明るく、ケンゴに笑いかけるシーンで幕を閉じるから、どうしても救いを期待せずにはいられない。映画のポスターになっている、朝焼けをバックにケンゴを抱き抱えるアオイの写真は、このラストシーンの続きのように思える。入水するまえの時間帯はまだ夜が明けていないので、もしこのポスターの場面が実際にこの映画の続きにあるとするならば、アオイは沖に上がって朝やけを眺めたことになる。
でも、生きて帰ったところでこの地獄は続くばかりで、アオイにとってはミオのところに行くのが幸せかもしれなくて。「生きていればそれだけで幸せ」なんて、どっかの恵まれた馬鹿が言い出した言葉だろうし。

キャパ100名程度の小さな映画館でたった一週間上映されていたこの映画が、少しでも多くの人の目に留まることを祈る。

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