依存とは何か?
先日、「私小宮さんに依存していることになっていないか、不安に思うことがある。」
とサポートメンバーに言われました。
たしかに、私。依存されることがめちゃくちゃ嫌いです。
親戚のおばさん家に行って、
「ひとしくん、苦手な食べ物ってあったっけ?」
と、聞かれたら
「依存です。」
と答えるくらい嫌いです。
一方で、私。
頼られることは嬉しいことだ。という想いもあります。
特に美人から頼られたら、放っとけない…のは前提として
これ意外とおっさんからの頼み事もわりと公正にきいてあげます。
#わりと
依存と頼るの境界線ってどこなんでしょうね。
今、僕のチームメンバーのみなさんを
喰わせるためにムリヤリ拡大したり、仕事を取りに行ったりしていません。
あくまで、僕の手が足りなくて、できない部分。間に合わない部分を手伝ってもらっている。
その結果、毎月ある一定のお給料のような額を払う人もいれば、副業っぽい価格になる人もいれば、毎月変動する人もいれば、さまざま。
どうせ今月も来月も、自分には20万円振り込まれるやー。
という社員のために、自分だけが必死こいて働いていたら
「依存されている…」
と感じたかもしれません。
ギブアンドテイク、ギブアンドギブな関係を「当たり前だ」とあぐらをかいた瞬間に、頼られる方が重く感じることが依存なのかな。
レンアイでも、好きと依存は紙一重。ちょっとの差。
そして、今そうであっても3年後もそうか?とは限らない。
共依存で成り立つ関係もあるし、
そもそも依存したい人、依存されたい人の関係もある。
依存そのものが悪。ってわけでもない。
子どもは親に依存して育つのだし。
自立とは依存先をたーくさん、複数持つことなのだそうです。
それもそうだと思うけど
自立とは、僕みたいに「この指とまれ!」を提案するような人間だけがやればいいことで、そんなにみんながやらなくていいこと。
小宮君がやる、鬼ごっこなら、楽しそう!
そう思ってもらって、この指に止まったからって
「いつかは、私も遊びの提案者にならなければならない…」
なんて思わなくていいんです。
僕の場合、他人のこの指止まれは、全然面白くなさそうだったから、自分でやるしかなかったひねくれ者なだけ。
他人の遊びに参加すること、楽しむことは依存じゃない。
#貴族のお茶会