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公務員思考からガテン系へ。毎日親方に殴られた経験を経て、ずっと働きたい会社に出合えた30代男性の場合/テン職の光 #4

「やる気さえあればずっと続けられる仕事だと思っています。給料も明確で、知識や経験を積めば、給料が上がるイメージもある。ずっとこの会社で働きたいと思っています」。

そう話すのは、生まれ育った西原町にある電気装備会社で、特殊整備士として働く眞榮平ゆうじさん(仮名)30歳。気さくでよく笑う人柄しかり、真面目に働く姿勢に上司からも評価されている眞榮平さんですが、聞くとどうやら職場運には恵まれてこなかったよう。

そんな眞榮平さんが、今「ずっとここで働きたい」と思える会社に出合うまで、どんな転職があったのか。今回も、レンアイ型®採用コンサルタント小宮が見聞きし、感じた、採用のリアルをお届けします。

※本人の特定を防ぐため、人物の名前や地域、数字など、伝えたいことのニュアンスが変わらない範囲で情報を改変しています。

公務員家系で育ち、なんとなく公務員を目指した学生時代

現在は特殊整備士として働く真榮平さんですが、かつて描いたキャリアはまったく別のものでした。

沖縄県西原町にある眞榮平さんの家庭は、父と兄は市役所に勤務、姉は中学校の事務員という絵に書いたような公務員家系で育ちました。

その影響は大きく、自身もなんとなく「将来は公務員になるんだろうな」と思いながら過ごしてきた眞榮平さん。体を動かすことが好きだったため、漠然と消防士や警察官、海上保安庁を目指しました。

公務員の専門学校に入学した後は、そのまま公務員の道を進む予定でしたが、公務員試験に受からないまま卒業。いわゆる公務員浪人になったのです。浪人中は公務員試験を受けつつも、公務員系のアルバイト(マイナンバー導入サポートなど)で繋ぐ日々を数年間続けました。

公務員の道を諦め、友人の誘いで飲食業界へ

そんなある日、同級生から「居酒屋を経営することになったから一緒に働かないか」と誘われました。

一緒に働きたいと思ってくれたことが嬉しく、このまま公務員を目指し続けることへの疑問もあった眞榮平さんは、居酒屋で働くことを決意。ですが居酒屋は、そう長くは続きませんでした。

1年ほどで店をたたむことが決まり、次はどうしようかと思っていたところ、またしても別の友人から仕事の話が舞い込みます。友人は「俺の父親が経営している建設会社が人手不足らしい。よかったら入らないか」とのこと。元々体を動かすことが好きだったこと、そして友人の父親が困っているなら手伝いたいという気持ちで、受けることにしたのです。

毎日親方から殴られる日々

ところがいざ入ってみると、その会社の親方はかなり暴力的な人でした。はじめて働いたその日から、眞榮平さんは「指導」という名の暴力を受けることになったのです。

これまで経験したことがないほど、毎日毎日殴られる日々。苦痛でしかありませんでしたが、それでも「せっかく働いたのにすぐにやめるわけにはいかない」との思いで1年半、毎日暴力に耐え続けました。日雇い労働だったため、すぐに辞めても良かったはず。ですが、眞榮平さんはそれをしませんでした。

とはいえ当然、周囲からは「辞めたほうがいい」と言われます。
なかなか決断に至りませんでしたが、ある日、お世話になっていた先輩から「そんな職場で働いちゃいけない」「知り合いの会社を紹介するから、そこに入ってはどうか」と、強い説得を受け、やっと退職を決意。先輩が紹介してくれた会社へと転職を決めました。

転職先ではもちろん殴られることはなく、淡々と働くことができましたが、前職と同じく日当制のアルバイト雇用。将来を考えるとずっと働ける職場ではないと感じながらも、辞めるほどの理由はなく、ダラダラと働く日々が続きました。

彼女が妊娠。「一生続けられる仕事をしよう」と決意

そんなある日、長く付き合っていた彼女の妊娠が発覚。ここで眞榮平さんははじめて「一生続けられる仕事をしよう」と決意しました。そこで選んだのは自衛隊。もともと公務員思考であることと、妻や両親からの後押しにより選択した仕事でした。

自衛隊の仕事は大きく分けて3つ、戦闘部隊と衛生看護、車両整備の部隊がありました。手に職をつけたいという思いから、車両整備を選択。その選択が合っていたようで、車両整備は眞榮平さんにとってやりがいのあるものでした。

3年間務めたある日、眞榮平さんのもとに転勤の辞令がくだりました。生まれ育った沖縄を離れる選択がどうしてもできず、妻子とともに県外で暮らすイメージも持てなかったため、迷った結果、除隊を決意。実は自衛隊で働くことにも、以前からどこか漠然とした違和感があったのです。

はじめて自分の意志で「職種」を検索

除隊後、眞榮平さんはここにきてはじめて求人誌をひらきました。探したい職種があったからです。それは「特殊整備」の仕事。これまで友人の紹介や妻の勧めで仕事を選択してきた眞榮平さんですが、自衛隊勤務によって特殊整備の仕事にやりがいが生まれていたのです。

そうして出合ったのが、電気設備の特殊整備を行う会社。そう、現在働いている会社です。眞榮平さんが探した条件とぴったり重なる会社が、なんと家から徒歩圏内にあったのです。

現在、眞榮平さんは冒頭でご紹介したように、とても穏やかな表情で「ここでずっと働きたい」と話します。

現在の職場の上司についても
「今まで出会った上司とは真逆。丁寧に優しく教えてくれる人」
「どんなに忙しそうにしてても絶対に聞いて来いと所長が言ってくれて、本当に忙しそうな時に質問しても、必ず手を止めて話を聞いてくれる」
「苦手な業務についても理解するまで根気よく教えてくれる」

と笑顔。真剣な表情で仕事にあたり、ときに笑いながら同僚と雑談する横顔からは、かつて暴力を受けていた面影は微塵も感じられませんでした。

小宮の視点

令和です。いまだに従業員を殴る会社があるということに驚いた方も多いのではないでしょうか。僕は採用コンサルタントとしてあらゆる人の転職をヒアリングしますが、暴力の話を聞いたのはこれが初めてではありません。

とはいえ、さすがに毎日というのは珍しかったので、ひとつ質問を挟みました。「暴力というのは肩パンだったり、おい!みたいな小突きとかを暴力と感じる?」。彼は「違います、ガチです」と応えました。ここでいう「ガチ」とは、顔面をグーで殴るとか、蹴り上げるだとか、そういうレベルのものでしょう。

土木の業界では「大声で怒鳴る」はままあることです。だけどそれは「ひとつの間違いが大きな怪我に繋がるから」。暴力はその延長線上とは言えず、明らかに一線を越えています。ですがいまだに「殴ることも指導」と思っている経営者は存在する。これは紛れもない事実です。

僕はよく、求人広告を書く際は「まともな会社だということをアピールしましょう」と伝えていますが、それはこういう会社が存在するからです。

まともな会社であることを証明するための文言を提案すると、よく「こんな当たり前のことを書いていいんですか?」と聞かれます。ですが眞榮平さんのように当たり前じゃない環境を「当たり前」だと思わされ、働いている人が今もどこかにいるんです。その事実を知ると、保障や手当、上司の教える姿勢が「当たり前」にあることがどれほど安心か、わかっていただけるでしょう。

前回の仲宗根さんの事例もそうですが、社会保険や有給休暇がない会社、まして毎日殴るような経営者がいる会社は、とっととマーケットから退出しないといけないと僕は思っています。だけどなぜ退出しないのか。それは「そこで働く人がいるから」です。

そこにしかいられない人ももしかしたらいるのかもしれないけど、だけどそうじゃない人には早く次に行ってほしい。だけど次に行かない理由は「知らないから」です。仲宗根さんや眞榮平さんが、すぐ近所にあった現職をずっと、知らなかったように。

かくいう僕自身もそうでした。自分が生き生きと働けるステージがあることを「知らなかった」。知らないことで長く苦しんだからこそ、クライアントには口酸っぱく”正しく届ける”ことの必要性を伝えています。(詳しくはテン職の光 #0に書いてるので、気になる方はぜひ読んでね)

〈聞き手・執筆:三好優実〉

テン職の光 ~今を黒歴史にするためのワークライフストーリー〜 とは
「転職=ネガティブ」なイメージを変えるべく、ポジティブな転職や、働き方チェンジで人生が好転した人を紹介する企画。

キラキラしてたり成功して見えることだけが、ポジティブな転職ではない。日々県内企業をヒアリングする中で出会う「いい転職」をお届けします。あなたの隣にいるかもしれないあの人の、転職のリアル。そこから何かを感じていただけると嬉しいです。


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