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水 と 炭酸水
ヨーロッパの食文化を振り返ってみると、あらためて「水」の大切さに気づかされます。
かつてはビールもワインも水の代わりに飲まれていた。と言われてもピンとこなかったのですが、煮沸した水を使用するビール、アルコール発酵によって衛生的となったワインなどが、水で薄められ、まさに子供から大人まで、日々飲まれていたというのはなんとも驚きです。
現在でも安全な水を手に入れることが難しい地域が存在します。また、一見きれいそうな水でも必ずしも安全とは限りません。
汚染物質や病原菌などが発見されるようになったのは19世紀に入ってからのこと。大量の安全な飲み水が確保できるようになったのは、長い歴史からすると、ごく最近といえるのです。
古代文明は水が豊富な大河流域で誕生しています。太古の人々は人の存在に水が欠かせないことを本能的に知っていたのかもしれませんが、同時にすべての水が飲めるわけではないことにも気づいていたようです。清潔で新鮮な水が手に入る土地に人の定住は進んでいきます。
古代のメソポタミアでは、墓所、なめし革工場、食肉処理場といった水の汚染源となりそうな施設は水源から離れたところに設置するという公衆衛生に関する法律をつくったり、エジプトでは壁画に水から不純物を取り除く技術が描かれたりと、きれいな水を確保するための様々な試みがなされました。
しかし、現在に残る最も驚くべき技術は古代ローマの水管理システムと言われています。都市に清潔な水を供給するため壮大な水道橋を建設し、都市周辺には貯水池や水路、市内には飲料水用の公共噴水などをつくり、効率的に貯水と給水を行いました。このような給水システムに支えられ、公衆浴場や個人の別荘での浴場も作られていきました。
とは言え、こういった給水技術の発展にもかかわらず、ローマ帝国で広く人気のあった飲み物は水ではなく、やはりアルコール飲料だったそうです…
ローマ帝国において水は重大な役割を担い、領土拡大の上でも飲み水の確保は大変重要でしたが、敵対するものたちにとっては、社会基盤となる設備を攻撃することでローマが弱体化することを知ると、巨大な水道橋システムの破壊をはじめます。その結果、ローマ帝国が崩壊するころには、水供給システム維持のための技術も失われてしまい、中世の頃には飲み水用の水源の傍で汚物処理が行われるなど、水の汚染が広がってしまいました。
やがて、水は不潔で病気や死の原因となる不衛生で危険な飲みものとされるようになり、製造加工され殺菌作用もある安全な飲みものとしてアルコール飲料であるエールやミード、ワインが選ばれていったそうです。
一方、自然に湧き出る水の中には、炭酸を含む天然のミネラル水があります。ヨーロッパには炭酸鉱泉が多く、地面から泡を立てて湧き出る天然の鉱泉水に身を浸すと、治療や健康に良い効果があると信じられていました。主に療養などに用いられていたようですが、後には飲料としても広まっていきます。
炭酸鉱泉水には治療効果があると信じられていたため、18世紀に石灰石と硫酸との反応により炭酸ガスを発生させ、そのガスを水に溶かす方法を発明し、人工的に炭酸水がつくり出されるようになると、薬剤師が炭酸水の販売を始めます。
1783年には、ドイツ人のヤコブ・シュヴェッペがジュネーブでシュウェップス(Schweppes)を創業。ロンドンで事業を成功させ、炭酸水はソフト・ドリンクとして世界に広まり、世界各国で様々なフレーバーが生まれていきます。
初めてガス入りの水を飲んだ時、これはムリ。と思ったはずなのに、今ではヨーロッパ風の食事の時や、ワインのお供にはペリエを頼んでしまうようになってしまいました。
食文化とはよく言ったものです。各国地域の食事には、やはりそれにあった美味しい飲み物を添えたいですね。
参考文献:
水の歴史
イアン・ミラー 著
ソーダと炭酸水の歴史
ジュディス・レヴィン 著