晩秋の田んぼと私の間には深い溝(物理)ができていた
皆様。
本格的なカメラではなくてもスマホで簡単に高画質での撮影ができるようになり久しいですが、いくら手軽になったところで写真とは奥深く難しいものです。
筆者は商品や自然豊かな大潟村の景色、社員の仕事の様子など、記録を残すような業務をすることもあるので、生半可な写真ではいけないと思いますが一向に上達しない。とくに人物が難しいです。
いつもにこやかな方なのに、ファインダー越しには目が笑ってないとか、陽射しもないのになんか眩しそうとか、そんなんばっかりですが、如何お過ごしでしょうか。
突然ですがご紹介します。農業課の髙橋さんです。
彼はどんなタイミングでシャッターを切っても絵になる、という大変ありがたい存在だったりします。カメラの腕前の事は一旦傍らに置いといて、被写体に注目すると「写真写りが一味違う人」は何が違うのだろうか?
少し調べてみたところ、自分が魅力的に写るポイント(角度や表情など)を心得ている事が理由らしいです。
当事者(髙橋さん)になんでそんなに絵になるのか訊いたら「カッコつけてるから」とのことなので、どうもこの話。信ぴょう性は高い気が。
稲刈り後の田んぼ 衝撃の姿
さて本題ですが、筆者は空撮も担当しております。空撮はあまり小細工せず撮影される側、つまり環境のポテンシャルに乗っかればいい絵が撮れてくれるんで好きです。
これはある年の初冬に撮影した田んぼの空撮画像ですが、美しく並んだ格子状のラインをご覧頂けると思います。ボードゲームもできそうですが、一辺10~15m間隔あるそうなので、健康になる前に膝を痛めるかも。
これ、じつは地表を掘ることで刻まれた「排水のための溝」が碁盤の目状に見えているのです。専門用語では「明渠(めいきょ)」といいます。稲刈りが済むとすぐ掘っているそうです。
そして少し手前に視線を移すと…
せっかくの排水の溝に、何かが上書きされてしまいました。
何事が起きているのかというと、田んぼにこれまた排水用のパイプを埋設している工事の様子です。
排水そんなに大事?
田んぼは“水田”ともいうので、ずぅーっと水がヒタヒタジャブジャブのイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
田植えから収穫までの間には水を入れたり、抜いたりする場面が何度かあるし、稲といえども水気が多すぎると根が弱る原因にもなるということで。育ててる植物に、可愛さ余って水をやり過ぎて弱らせた経験はおありではないですか。稲もおんなじです。
この真逆のことを、バランスよく適切に維持管理されたものが健全な田んぼの姿です。
さらに大潟村はなにしろ元・湖なもので、地面を10cmも掘れば黒色をした粘土質の地質が姿を現すのですが、いかにも水はけ悪そうですよね。
田んぼの土の中に水を通すパイプを埋め、土にしみ込んできた水をパイプに集めて、排水路へ流す設備を作り、せっせと水を吐き出させてやります。
この構造を「暗渠(あんきょ)」といいます。先ほどの画像が、これを行っていた様子というわけです。
暗渠と明渠
ここで明渠と暗渠、2つのワードが出て来ました。
どちらも、田んぼの水を排出するための構造だと簡単にご説明致しましたが、前者は「見える」、後者は「見えない」ものを指しているそうです。地中に埋められていると暗渠という事ですかね。
最後にいくつか訊いてみました。
-それにしても…なんかちょっとまっすぐ過ぎません?
澤田課長「稲を刈り取った後の“稲株”を目印にして、修正しながら走っています。だから田植えの時に、真っ直ぐできるかが重要っすね。」
つまり苗を植えたその瞬間から、この作業の出来がほぼ決まってるわけで、半年がかりの壮大な伏線みたいですね。
-この後どうなるの?
澤田課長「明渠は埋めずに、籾殻を入れたら完了です。埋め戻す農家さんもいますが、俺らはやってませんね!暗渠に土を被せるタイミングは埋設当日~遅くても10日後くらいにはやれてますね。」
とにかく、大潟村の農業は排水のために、とんでもない労力を使っていることがお分かりになったのではと思います。
大潟村はある意味、自然と真っ向勝負して手にした農地のように思っていますが、村ができて60年が経過した現在も熱いバトルは続いていて、そしてこの先も続いていくのかもしれません。
稲刈り後も農家は来年の、更に先のために、いろいろ頑張っております。
大潟村スケールのおいしいあきたこまちをどうぞ。
広報課 佐々木