「半年後笑い話にしよう!」#271
月に1度の1歳娘の医大受診に行きました。
この1ヶ月で娘は歩けるようになりました。
なかなかハイハイしないと心配な時期を経て、お尻歩きを始めてハイハイへのこだわりがなくなり(私に)、なくなった頃に思い出したようにハイハイを始めて、つかまり立ち、伝い歩き、そして一人で歩くように。
1歳6ヶ月。1ヶ月の早産だったので修正で1歳5ヶ月。
上の子も歩いたのが1歳4ヶ月とゆっくりめだったので、結局は息子とたいして変わりませんでした。
でもずいぶんと長く感じました。
ひとまず良い報告ができるといつもの小児科の先生に伝えました。
「いいしょ!体重ももう心配ないでしょう!言葉も出てきたし、発達も追いついてきた。」
「お母さんも、もう大きな心配はなくなったんじゃない?」
「歩けるようになったことで、だいぶなくなりました!ありがとうございます。」
「いや、僕は何もやってないんだけどさ 笑
療育の方はどうなの?」
そう、療育。先生の勧めで先月から通っている。先生があの時、「最初は抵抗あると思うけど、みんな行ってみて良かったって言うから!」
まさに、行ってみて良かったと思っていることを伝えたかったのだ。
「先生があの時仰った、行ってみて良かったと思うっていうのを、今まさに思っています。」
「でしょ!行く必要がある状態だったかは別として、やっぱりあの時の打開策としては良かったと思う!」
きっかけは、私が煮詰まってる感じがしたからという先生の提案でした。
煮詰まっていたことにも気づいていなかった私。本当にあの時療育という切り札を出してくれた先生に感謝だ。
「まさに煮詰まっていたので、私も少し気が楽になりました。」
「お母さんも少し自分の時間できるしさ、良かったでしょ?」
そうか、そこまで見越しての提案だったのか。確かに2時間の療育の間離れることで、私の心の置き場所ができたのだ。これは嬉しい誤算だった。てっきり親も付き添う必要があると思っていたから。
これは息子を初めて保育園に預ける時にも感じた。
娘を療育に預けて、私一人だけ外に出る瞬間、人の手に渡った娘を振り返って見ると、純粋に可愛く思えるのだ。
こんなこと言ったら、いつもは可愛く思えていないみたいだけど、なんと言うのかな?普段自分に全責任があるのを、その時間だけは私も解放されると余裕ができた途端、色んなもやもやを一旦は忘れて純粋に子どもを見ることができて、「あぁ、可愛いなぁ…」と素直に思える。普段それだけそんなことも薄まってしまう程に余裕がない。
リハビリの提案も療育の提案も、最初は抵抗があったけれど、今はどれも有り難い。
「半年後、笑い話にしよう!」
最後に先生がそう言った。
そうなったら、いいな。ここへせっせと通った日々をそう締めくくれたら最高だ。
意外と受診はスムーズに終わった。
このまま真っ直ぐ帰れば息子の保育園を延長せずお迎えに間に合う。この日はいつも時間が読めないので延長になるかもと保育園には伝えている。
でも、今この思いをそのまま書きたくなって、院内のスタバでドリンクを買い、飲みながら病院のベンチで書いている。
「半年後笑い話にしよう!」
娘を出産して1年半。今までで一番明るい未来が見える言葉だった。
さぁ
今日も
新しい一日が
始まります。