【藝術note No.1『デ・キリコ展』】
先日、上野の東京美術館で開催されている『デ・キリコ展』(8月16日まで開催)に行きました。
ジョルジョ・デ・キリコ(1888年~1978年)と言えば、「シュルレアリスム」の画家という認識しかありませんでした。「シュルレアリスム」の用語について、簡単に補足します。
巖谷國士(いわやくにお)さんが書いた『シュルレアリスムとは何か』を紐解くと、「シュルレエル」(過度な現実)と「イスム」(「主義」と言った固いニュアンスではなく、状態や性質を表す意味の方が近いと思います。)に区切られるべきと書いております。
つまり、過度な現実を表した状態が「シュルレアリスム」といえるでしょう。分かりやすい具体例を挙げます。モデルのような女性が、あなたの目の前に現れました。その人が自分のタイプであった場合、「超カワイイ」と思わないでしょうか。すなわち、すごいカワイイ、これが「シュルレアリスム」の意味です。
その一方、日本ではどのように伝わっているのか。「超現実主義」と翻訳されている事や、「シュール」という日本独特の言葉が一人歩きしている状況から、現実離れのした幻想的な意味合いで伝わっています。
しかし、本来のシュルレアリスムは、先ほどの「超カワイイ」の事例でみたように、目の前にある現実と生活に立ち向かい、その中で「真の現実(あるいは超現実)」や「真の人生」に出会おうとする物の見方、生き方を指します。
最近、フォローさせて頂いた、綾野つづみさんのこちらの記事もオススメです。
シュルレアリスムの成立経緯や、作品のみどころなど、詳しい説明と実例(カシミールカレーのレポートは、まさしくシュルレアリスムでした。)が書いてあります。
さて、今回の展覧会で、私が一番驚いた事は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)の影響を受けている事です。
この事実を知って、今まで「シュルレアリスム」の画家としか認識していなかった自分が、いかに知識不足だったかを痛感させられました。
ニーチェだけでなく、アルトゥール・ショーペンハウアー(1788年~1860年)にも影響を受けていたり、とキリコ自身の形而上絵画が、哲学の影響を受けていたとは…。
そんな影響を受けた絵画の中で、感銘を受けた作品を2枚(今回の展覧会で見れます。)を紹介します。
この「予言者」には目のようなものがありますが、表情はありません。しかし、表情がないからこそ、来るべき未来(後述する超人の到来という未来)を冷めた目で見ていると言えそうです。
ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』では、次のように語る箇所があります。
この予言者は、没落する人間(古い価値観の人間)感の象徴として、表情のないマネキンへ姿を変えています。
こちらは、『予言者』のように目がないだけ、一体どういった表情なのか、想像もできませんでした。
この作品を見て、思い出した映画があります。
イタリア人の映画監督、ピエロ・パオロ・パゾリーニの『豚小屋』(1969年)です。
この作品の解説ブック(評論家の四方田(よもた)犬彦さんが書いています。)に次のように書いています。
この作品は、中世の荒野に彷徨い、人肉を食べる青年の物語とブルジョワの息子が豚との性交に喜びを見いだす(実際にその場面は出てきません。)企業合併の物語の二つの物語で構成されています。
引用した解説にあるように、企業合併の物語(現代の物語)に出てくる人物は、どこか機械のように冷たく、背景も無機質な世界です。
まさしく『不穏なミューズ』で描いた無機質な世界と言えます。
今回の『デ・キリコ展』を見て、私の頭の中で、こんな啓示が降りてきました。
ニーチェを学びなさい。
ニーチェは、私が好きな哲学者の一人で、昨日投稿した『エロティシズム』の作者であるバタイユ(最近、バタイユの思想にはまっています。)にも多大な影響を与えた哲学者です。バタイユを深く理解するためにも、このニーチェを学ぶ必要があると考えました。
ニーチェの本質を理解した先に、何か見えるものがあるかもしれません……。
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