『こころ』夏目漱石 感想

初め、エゴイズムがテーマであるということを意識して読んで、自分の「こころ」に貪欲に、利己を追求した報いが描かれているものかと思っていた。授業が終わってみて、その見方は少し変わった。たしかに話全体を通して感じられるのは、『私』の、自分のことを考えた利己的な行動とその後悔である。しかしこの『こころ』では、相手に自分を投影して理解できた気になる、そして誰にも曝け出すことなく自意識に閉じこもる、心の在り方も描かれていた。これも違った意味で利己的だなと私は思う。
小説には、彼女がどういう人物で、表情をしていて、言葉を交わしたのかについての詳しい言及がなかった。だから映画を見たときの、お嬢さんの相当な悪女ぶりには小説とのギャップを感じ、違和感を覚えてしまった。このように人物像にズレが生じる原因として、先生の、お嬢さんという存在の捉え方が挙げられると思う。今回の映画特有の演出なだけなのかもしれないが、もしお嬢さんが実際小説の中でもあんな風だったのであれば、先生はそんな一面を客観的に捉えられなかったほど彼女を美化し、恋に溺れていたのかもしれない。ならばやはり"恋は盲目”であり、罪悪だなぁと思う。また映画という一つの作品を完成させる際、見る人が理解しやすく共感しやすくするために必然的にお嬢さんを際立たせて描く必要があったのではないかとも思う。きっと原作を読んだことがない人でも、お嬢さんの行動があのように描かれることによって先生の葛形や不安をごく自然なものとして感じ取れただろう。
そして小説とともに映画も観てみて良かったなと思ったのは、主観的視点と客観的視点どちらからもこの物語を観察できたことだ。忘れてしまいがちだが私たちが読んだ小説の部分は全て先生の視点で、彼の感情や思考を基盤としており、読者はそのフィルターを通して物語と向き合っている。教科書の部分を読んで私が彼を軽蔑したのは、先生自身が自分のことを軽蔑して綴っていたからなのだろう。だから、これほどにも利己的な人物が終始『師』として扱われることを皮肉に思っていたが、映画を見るとただの軽蔑だけで切り捨てられなくなった。映画は先生が語り手となって進んではいるものの、実際の人物の声、表情、息遣いを第三者の目線から感じることができるため、違った景色が見えてくる。生身の人間が演じるからこそ目と耳に焼き付けられる人物像と、人と人とのより生々しいこころのすれ違いには何故か親しみを感じてしまって、同時にどうしようもない人間らしさを感じた。
全て腹の中にしまっておいてください、という先生の言葉は、映像で見たことでより鮮明に、残酷な響きを感じさせた。小説を初めに読んだ際には、無責任に、とてつもない重荷を青年に話すのはいかがなものかという感情しかなかった。だが映画では、全てを打ち明けてもらえた青年と対照的に、最後までされ、唯一先生がじた人になれなかったお嬢さん(妻)の悲しみや諦めも描かれていた。そして、Kとの意思疎通の断絶による孤独を学んだ私たちは、こうして最後に青年に打ち明け自意識への自閉を破ろうとした先生を、批判の目のみで見ることはできないとも思うようになった。だが寂しくて仕方がない。先生はやっとここで孤独から逃れられたのではないか。直に会って話をするという、Kに永遠にできなかったことができていれば。しかし結局は同じ運命を辿り、同じように遺書として綴ることで閉じこもってしまう。青年は永遠に、生身の言葉、感情、先生の本当のこころを肌で感じる機会を失ったのだ。
印象に残った場面は、Kから告白を聞いた瞬間だ。その瞬間から、以後『私」とKのこころが交わることはなく、意思疎通の断絶が始まる。弱い自分であるのが恥ずかしいと打ち明ける場面で、2人が取り返しのつかない大きな食い違いを起こしてしまったのも、ここが発端だ。また『私は利書を考えて黙っていたのではありません。ただ何事も言えなかったのです。』"言わなかった”のではなくて、"言えなかった”というセリフは彼の現状を忠実に表現しているなと思った。それを予期することもできず、全てに遅れをとっている『私』は、何もできない。あとになって、ああ、しまった、もうどうにもならない、と自分の行いを悟り猛烈に後悔することしかできない、運命の決定不能性に対する人間の無念さ。巧妙に少しずつ、筆者の手によって運命に導かれていく姿が恐ろしかった。そしてこの場面と同じ感覚がKの死の場面でまた思い出させられる。同じように、もう彼には言えない。利己心がテーマとして描かれている一方で、運命に転がされる人間の哀れな姿がそこにあった。こういう読み解き方をしたとき、『こころ』という題名が初めとはまた違った意味で考えさせられる。何通りも伏線が貼られていて、すべてが、ひとつの主題へと繋がっていくこの構造を、もっと深く読み解きたいと思った。
名作だと言われるこの作品の授業は密かな楽しみとなっていた。しかし漱石が伝えたかったであろうものを理解するのは想像以上に難しかった。いつか自力で読み解けるほどの語彙力と想像力を養って、『こころ』を読み返したい。同時に、漱石の他の作品も読んでみたいと思う。

2022.12.13

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