差別的表現だらけの「源氏物語」をどう読むか。山崎ナオコーラさんが語る、現代の読者の役目とは
小説家・エッセイストとして活躍する山崎ナオコーラさん。人の心の機微や言いようのないモヤモヤを、平易な文章でわかりやすく表現し、多くの読者の共感を得ています。新著『ミライの源氏物語』は、『源氏物語』を現代的な視点から読み解く本。現代社会においては許容されそうもないヒロインたちの境遇に想いを寄せ、当時と今の社会の違いを考えていくことも、読むことの楽しみと語ります。実は20年ほど前、國學院大學文学部を卒業する際に書いた論文のテーマも『源氏物語』だったナオコーラさん。時を経て正面から向き合った『源氏物語』の価値と、今だから読む意味について、聞きました。
お話を聞いた人:山崎ナオコーラさん
小説家・エッセイスト。國學院大學文学部日本文学科卒業。2004年、「人のセックスを笑うな」で第41回文藝賞を受賞し、作家デビュー。「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書く」ことを目標に、執筆活動を行なっている。著書に『美しい距離』、『ニキの屈辱』、『指先からソーダ』など多数。
変わる社会規範の中で、古典を読む意味とは
山崎ナオコーラさんは、「ナオコーラ」という性別不明のペンネームで作家デビューしたのち、様々なテーマで小説やエッセイに取り組んできましたが、特にジェンダー(性役割)に問題意識を持って制作に臨むことが多くありました。そんなナオコーラさんの新著が、2023年3月に出版した『ミライの源氏物語』。誰もが知る古典の名作を、現代の視点で読み直し、その方法を解いています。『源氏物語』という恋愛譚の中には、ルッキズムや性暴力、不倫、誘拐など、現代なら差別や犯罪として扱われるような内容がそこかしこに描かれています。これをどう捉えて読み進めるかは、ナオコーラさんご自身が長年、『源氏物語』に対して感じてきた「モヤモヤ」と向き合う試みでもありました。
「『源氏物語』は日本文学の古典の中でも特に大きな意味を持つ作品で、研究者も多くいます。しかし研究となると、現代の社会規範は脇に置かれて論じられがちです。例えば私が卒論のテーマにした『“源氏物語“最後のヒロイン』浮舟にしても、研究的な立場の人からは『二股をかけている罪深い女』と評されがちなようでした。ところが、いち読者として読めば、無理やりに性交渉を強いられた、性暴力の被害者としか思えません。自分が感じた読み手としての感想と研究的な見解のギャップに、何かがおかしいと思いながらも、学生時代はその違和感を言語化できませんでした。『これって性暴力ですよね』と言っていいのかすら、わからなかったんです」
ナオコーラさんが大学を卒業して20年ほど経つうちに、社会の有り様は大きく変わりました。SNSでは秒単位でさまざまな立場の人からの意見や主張が発信され、社会に対する些細な違和感を言葉にして伝えることが簡単にできるようになっています。
「今ならあの時に感じた違和感を言葉にできるんじゃないか。そこに反応してくれる読者もいるはず。そう思って書いたのがこの本です」
モヤモヤの先にたどり着いた共感
『ミライの源氏物語』の冒頭で、ナオコーラさんは“研究的な読み方” と “自分が目指した読み方”の違いについて書いています。平安時代の生活習慣や古語について学び『源氏物語』を研究的に読むことと、書かれた当時に平安時代の少女が自分の楽しみのために読んだのでは、読書の意味が大きく違ってきます。例えば『更級日記』に『源氏物語』への愛を綴った菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、作品を体系的に捉えるような視点はなくても、読者として作品を熱烈に愛していました。そのようにナオコーラさんも、平安時代を無理に理解しようとするのではなく、今の時代の感覚で読書の楽しみを極めたいと考えたといいます。その時に壁として立ち塞がるのが、社会規範です。
「今は、同意のない性行為や、子どもを性愛の対象にすることは人権侵害だという社会規範がありますよね。でも『源氏物語』の中には、それらの人権侵害が『恋』として描かれているように読めるところがあります。また、現代シーンでは忌避されがちな『不倫』のような恋愛も、『源氏物語』にはあります。まあ、平安時代の婚姻関係は現代とは違うので、『不倫』とはちょっと違うのですが……。とにかく、そういったことに嫌悪を感じる現代の読者は多いと思うんです。ただ、『人権侵害や"不倫"に嫌悪を持ち、差別に反対しながら、読書を楽しむ』ということも可能だと、私は思うんです」
そして、今の感覚を持って読むからこそ、見えてくるものもあります。例えば、『源氏物語』中で「あまり良くない容姿」の持ち主として描かれる末摘花。一時は光源氏に忘れ去られてしまいますが、最終的には妻の一人として二条東院に迎えられます。
「これを幸せと定義するのが、今までの読みの定説だったようです。でも、本当にこれはハッピーエンドでしょうか? 『容姿が良くないのに光源氏に面倒を見てもらえて幸せだった』という捉え方は、『金を出してもらって、面倒を見てもらうのが幸せ』という女性差別ですし、『容姿が良くないのに、かっこいい人に気にかけてもらえて幸せ』という容姿差別でもあります。現代の話ならば、末摘花が愛し愛しされてこそ、ハッピーエンドと捉えられるでしょう、ただ、そんなことを考えながらページを繰るのもまた、現代の読者だからこそできる楽しみ方だと思います」
大学時代に熱中した『源氏物語』に再びフォーカスし、言語化を試みたナオコーラさんのもとには、その思いに共感する声が続々と寄せられたと言います。
「『ミライの源氏物語』を出版してから、『実は私も源氏物語にモヤモヤした思いを持っていました』というコメントを多くの人からいただきました。以前は、こんなモヤモヤを抱えて『源氏物語』を読んでいるのは私くらいだろうと思っていましたから(笑)、驚きましたし、自分の考えてきたことが間違ってなかったという手応えも感じました。90年代頃からフェミニズムなどの視点で『源氏物語』を研究していた方の存在も知り、研究的な読み方との接点も見出せそうな展開にワクワクしています」
主体性のないヒロインがいてもいい
幼いころから小説家になることを夢見て、物語を書く参考として読書に没頭してきたナオコーラさん。教科書に載っていた一編を読んだのが、「源氏物語」との最初の出会いでした。ここまで惹かれるようになった理由は、「ヒロインたちのパーソナリティにシンパシーを感じたからかもしれません」と振り返ります。
「私が高校生の頃、世間には『性別にかかわらず、主体性を持って、自分の道を切り拓いていくべき』という声が強くなっていました。そして、前向きで主体的なヒロインのストーリーがもてはやされていました。しかし私自身は、性差別に反対の立場でいながらも、コミュニケーションが苦手なうえに常に受け身な性格で、ほとんど友達がいません。そんな私が、これからの社会でどう生きていったらいいのか……。その頃に読んだ『源氏物語』に、おとなしくて、主体性のないヒロインが何人も登場し、活路が見えた気がしました。受け身のヒロインが立派に物語を担っている。『こんな感じの人でも、ヒロインになれるんだ』と。そこに面白さと、『読み』によるこの先の広がりを感じたんです」
ひとりの人間として、作家として、『源氏物語』に多大なインスピレーションを受けてきたナオコーラさん。今後さらに挑戦したいことがあるといいます。
「ひとつは、『源氏物語』の現代語訳をやりたいということ。そしてもうひとつ、卒論でもテーマにした浮舟のその後について、書いてみたいと思っています。主体性のないヒロイン・浮舟は、物語の最後で自殺未遂をして、最終的に出家をします。『恋愛や人間関係を全て断ち切って山に入りたい』、そこで初めて浮舟の主体性が発揮されます。もしかしたら、その後には、恋愛なしの尼寺での、若さあふれる日常のキラキラがあるかもしれません。それを、私なりの言葉で綴ってみたいなと」
現代人の感覚で読むと、同調できないと感じることも多いかもしれない、『源氏物語』。しかし、ナオコーラさんが示してくれた道標をヒントに、今の時代の感覚で読み直せば、また違った読書の深みに辿り着けるのかもしれません。
「この先、どのように社会規範が変化して、読み方が変わっても、『源氏物語』の答えが出ることはないでしょう。読書をして、それについて考えてみること。それ自体が作品に参加することですし、私たち現代の読者が、未来の読者へとつなげるバトンになるのだと思います」
山崎ナオコーラさん Twitter
執筆:溝口敏正/撮影:中村圭介/編集:佐藤渉