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「遠野物語」を朗読用に現代語訳している、という話
昨年末の岩手出張をきっかけに「ちゃんと遠野物語の世界を知りたい」と思い、(ようやく)文語体の原文に手を出しました。
柳田國男も「願わくば語り継げ」って言ってるのに
す……っごい、面白いです。
面白いけど、やっぱ正直読みにくい。
やっぱ……正直……読みにくいんですってば!
古めの文語体ではありますが、言葉遣いはおそらくかなり現代風です。文系の高等教育を受けた人であれば難なく理解できる程度の文章にあたるでしょう。
でも、文系の高等教育を受けたことがない、私のような在野の本読みには「ちょっとがんばる」必要がある程度には難しいです。
そして驚いたのが、アクセシビリティの悪さ。
こういうお話がちょうど楽しめる、学童期の子供向けの本がないんですよ。
「怪談えほん」や「えほん遠野物語」「水木しげるの妖怪絵本」なんかをきっかけに神話や怪異が好きになった小2の娘が、その源泉の一つである「遠野物語の原典」に触れられていません。
「子ども向け」とされる本に限定すると、
東北らしさを感じる、人気の話を抜粋した良作はたくさんあります。でも、全話はありません。
そして、(おそらく親しみやすくするために)原典にないエピソードが追加されているとか、
ただ現代文にしても、なんだか魅力が削がれるだけになってしまったりとか。
娘に上記を与えてみた反応は「こういうのはちょっと違う」というもの。分かるよ、分かる。私もオタクだから。
怪異は現象だから良いんだよね。子ども向けだからって余計な教訓とか入ってると萎えるよね。
すっげ~~~~~分かる。
原典の「もうどうしようもないです……」みたいな怖さをそのままに、全話を現代語訳している名著といえばこれ。京極夏彦のリミックス版です。めちゃくちゃ面白いです。しかし……
さすがに小学生にはハードルが高い!
遠野物語を分かりにくくしている要因は、おそらく言葉遣いそのものや、情報量の少なさではありません。
情報を提示する順番が、何というか……独特なんです。
「なぜ時系列そうした?」とか、
「その情報いまいる?」とか、
「それはもうちょい前にインプットしておいてほしかったなあ……」とか。
文語体の、極限まで冗長を削る(時として主語すら消える)構造であれば、情報が凝縮されるぶん、時系列の混乱は起きにくいのです。現代文にする過程で増えた情報量がノイズになって、全体が分かりにくくなってしまうのだと思います。
この「分かりにくさ」をそのままにしていたら、物語へのアクセシビリティは改善しません。物語が、遺物になってしまいます。
そんなのはもったいない。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と序文に書いた、柳田國男の想いにも反します。
ないなら作るしかない。
そう思って、全文の現代語訳を始めました。
壁打ちのつもりだったのに
当初の目標は、「小2の娘が私の読み聞かせで楽しめる文章にすること」でした。
「ただしく、よみやすく、わかりやすく」が私のライターとしての社是です (社是っていうか個人事業主ですが)。
今回もそれに従い、青空文庫と過去に出版された初版本のレプリカを底本にして、内容は極力変えず、情報量はそのまま、補足や装飾はなるべく抑えて……ただ、文章の構成はかなり調整して、聞き取りやすい文章に書き換えています。
今はようやく半分ほどまでリライトが済んだところです。
「書いてみて、読み上げて、聞き返し、書き直す」を繰り返すうちに、「耳で聞いたときにスルッと理解できる文章」というのかどういうモノなのか、何となく掴めてきました。
そして、繰り返し録音するうちに、「コレは普通にアセットコンテンツじゃないか」ということに気付き、せっかくなのでpodcastでの配信も始めてみました。
淡々と、もうひたすら淡々と、リライトした文章を読み上げるだけという、地味なものだったのですが。
映像とかいらないし、ひとつひとつの話はそれほど長くないし。あとyoutubeより断然人が少ないので好きに壁打ちできるだろう、と考えて淡々と更新していたところ、見つけてくれる人はいるもので……
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こんな、とてもありがたいレビューまでいただけるようになりました。
ときどき国内ランキングのまあまあいいところにも食い込んだりしていて、プレイヤー少なすぎるんじゃないかとかびっくりしています。
娘に読み聞かせるために、全文の訳が終わったら本にしようとは思っていました。極小部数で本を作ってくれる印刷会社さんに頼み、遠野物語に興味津々の娘と、遠野物語にはあまり興味がないが本は好きな息子の分、二冊作れば十分だろ、くらいのつもりでいました。
ただ、思いのほか反響があり、もしかしてこの文章、需要あるのか? みたいな手応えを感じ始めています。
「学童期の子どもが触れられる原典」を作りたい
それで今は、製本したらどこかで頒布しようかなと考えています。文フリかなあ。
学童期の子どもが読み聞かせで楽しめること、できれば自分で読めること。
そのためには、文字は大きめに、ルビも多めにする必要があるでしょう。
地名の読み方なんかは、地元の方に教えてもらう必要があるかもしれません。先に、遠野の観光協会とかに問い合わせたほうがいいような気もします(迷惑だろうか……)。
また、何せ正確性に自信がないもので、本当は監修をしてくれる人も探したいけれど……1人でそこまで回すのはさすがに無理があるしなあ……
どこまでできるか分かりませんが、そもそも全文訳なんてできるかなあから始めた取り組みですし、
あと、道半ばで私が死んでも、podcastに声が残るのはちょっと良いですね。子供に遺せる無形の財産って感じがします(重いよ)。
文筆業の者として、子供に残したい想いから古典の名文に向き合えているのは、ちょっと幸せなことだなとまで思っています。
良かったら序文だけでも聞いてってください。自分の声って自分で聞くと気持ち悪いものですが、なんかもう慣れました。
このペースで進められれば、早くて2025年11月の文学フリマあたりで出展できそうかな。