とある作業療法士はADHD
初めまして【とある作業療法士の心と学びの話】の著者の「ムック」と申します。
初投稿では、自己紹介も兼ねて「私について」少し語りたいと思います
①私について
いきなりですが、私はADHDという発達障害を持っています。
私の場合はADHDの「不注意優勢型」に当たります。
私の特徴としては・・・
職場で書類のミスが多かったり、会議等の大人数の場で話についていけなかったり、その場ですぐに思考を整理して発言をする事が難しかったり、会議などの内容等を忘れるため、メモ帳でとにかくメモを取りまくるのですが、メモ帳内が真っ黒の殴り書きになり、何をどこに書いたかが分からなくなり、結局失敗をする等が見られました。
また、日常生活では・・・
何度かサイフを置き忘れたこと、スマホ等の物をどこに置いたか分からなくなり探し回る事もしばしばあります。
このような症状は昔からあったのですが、学生時代には、あまり困ったと感じておらず、周りからは「天然の子」ぐらいしか思われていませんでした。
幸い周りに恵まれて、忘れ物や課題に対して困っていると手を差し伸べてくれる環境でした。今、思うと凄く幸せな環境だったと思います。
しかし、社会人となり仕事を始めた時から、「難しいな」と感じる事が増えてきたのです・・・
②社会人になって
専門学校を卒業した私は、憧れの関東圏のとある病院へ就職をしました。 その企業で、仕事に当たっていたのですが、そこで初めて親や友人など周囲のサポートが無くなることにより、周りがカバーしてくれていた「不注意症状」が目立つようになりました。
社会に出ると自身でスケジュール管理やタスクを把握し、ミスなく確実に物事を遂行する能力が求められます。そこで、実際に仕事をこなす難しさを感じて「あれ?おかしいな•••」と感じることが増えていきました。
ミスを繰り返すため、先輩によっては「お前はなんで出来ない!」など厳しい口調で言われる事もありました。
「自分は努力が足りない。」と思い込むようにして、日々仕事に励みました。
そんな環境で仕事を続け、毎日夜遅くまで働いていましたが、仕事や人間関係のストレスや疲労から心身ともにボロボロになり、遂には「顔面神経麻痺」になりました。
顔面神経麻痺が回復するまで、1か月程休職し、「今度こそ、頑張って会社に貢献しなければ」と再び業務を再開しました。
しかし、やはり業務は難しく、人間関係での悩みも変わらず、再び苦しい毎日が戻ってきました。
ある日、仕事終わりに窓に映る自分の姿を見て「なぜ?自分はこんなに出来ないのだろうか?自分の人生ってこれで幸せなのだろうか?」と思ったのです。そのとき、自分でもわけもわからず涙が出てきました。
自分は、自分のことをまったく理解しておらず、根性論で「まだ、がんばれる」「まだ、努力が足りない」と言い聞かせていただけで、本当は「もうとっくに限界を超えていた」ことに気づきました。そのときには仕事内容や人間関係に悩みすぎて「うつ状態」になっていました。
朝起きて「会社に行こう」と思うと腹痛や下痢、吐き気が襲うようになってきたのです。
会社に行き、業務に当たっていても、胸が締め付けられるように痛くなることや患者様と会話していても上手く笑顔を作ることが出来なくなっていきました。
ふと「あれ?何のために憧れの地で作業療法士として働いているんだっけ?」と頭をよぎりましたが、その頃には正常な判断はできません。まさに、心身共にボロボロに傷ついていました。
もともと、私は内向的な性格な上に、人に嫌われたくない為、八方美人を振り撒いていました。
さらに見栄っ張りで劣等感を感じたくない為、周りの目を気にして、誰にも相談せず我慢していました。
だから、「これぐらいで逃げちゃダメだ」「努力が足りない」「周りと比べて自分はこんなんじゃダメだろ!」と自分を追い込んでいってしまったのです。
しかし、体調にも限界がきて再び休職することになりました。
そこで、自分はようやく立ち止まって自分と向き合うために、メンタルクリニックへ行くことを決意しました。
メンタルクリニックでは、これまでの育ってきた環境や人生歴、悩み、仕事や日常生活での難しいこと等をお医者様や臨床心理士の方と話し、そこで初めて診断結果として「ADHD(不注意優勢型)」「適応障害」「うつ状態」というのを知りました。
診断結果に、愕然としたと共に、妙に納得する自分がいました。
自分がADHDという発達障害を持っていることは、社会に出てようやく分かったのです。
矛盾しているかもしれないですが、これから先も続く人生に不安を強く感じた自分も居たのですが、スッと肩の荷が降りる感覚がしました。
と考えるようになりました。そして、決意しました。
自分を見つめ直す時間を多く取りたいと考え、会社には退職したい意向を伝え、退職という形を取りました。
③そして•••
あれから、不思議なことに良い出会いに恵まれていきました。退職後は、ゆっくり心と身体を休めながら、自分の持っている特性と向き合い、勉強が大嫌いだった私ですが、積極的に学ぶことを始めました。
多くの人に出会い、多くの本を読み、知識を身に着けていき、自分の視野を広げるように必死に行動しました。
次の職場には、面接の時に自分の特性をカミングアウトし、上司や同僚にも理解して頂いて、支えてもらいながら共に働くことが出来ました。
のちに、上司からは「正直、面接の時には採用するか迷ったけど、ムックさんが来てくれて本当に良かった。一緒に働けて幸せです。」と話して頂き、凄く幸せな言葉を頂いたと感謝しています。
自分でも、仕事が出来るように工夫してマニュアルやチェックシートを作り、周りの皆と同じように仕事もこなせるようになりました。
そこで「学ぶことの大切さ」を社会人になり、悩み苦しんだ経験から改めて感じることが出来たと思っています。
また、その中でも心を楽にしてくれたのが「心理学」でした。自分のガチガチに凝り固まった思考も少しずつ人生には色んな選択肢があるんだと考え方を変えてくれました。
今では、そのときに読んだ多くの本や多くの人との出会いが今の自分という存在を形成してくれていると思っています。これまでの生き方で無駄なことはなく、それらすべてが私にこれからを生きる目的を示してくれました。
④最後に・・・
そして私と同じように仕事や人間関係で悩んでいる人も一定数いることに気づきました。私は自分と向き合い、悩んできたからこそ、このnoteでは学んだ知識と経験を活かして「心を元気にして生きるための術」を多めに発信していこうと思います。
自分の想いや学んだことを発信することで、一人でも多くの人たちの心を癒し、前に進めるようになれることを目的に作りました。 だからもしあなたが、何か悩んでいるのなら、「とある作業療法士の心と学びの話し」の記事を読んで頂ければと思います。きっと、少しでも力になれるはずと信じています。
最後まで、拙く長い文章を読んでいただいてありがとうございました。
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