第158回:見捨てたその先
私たちは今他人とあんまり過度に絡まないようにしています。
コロナということもあるんですが、、、。
他人は他人、自分は自分、みたいな考えがコロナ以前もあったような気がします。しかし、その中でも「人のつながり」は大切にしている人も一定数います。
つながりとは言っても、自分に合う人だけ集めていたり、合わない人を敢えて集めて、多少嫌な気分になっても、総合的に自分が成長し、最終的には感謝で終わる人。
いろんな集団があります。
会った人、会った人、全て仲良くなるのは不可能です。
今は自粛ですが、電車とか乗っている時は、ものの10分くらいで100人以上を見ていましたから、その全員と仲良くなったり、人間関係を構築するのは難しいですよね?
仲良くなる人も時々、途中で見捨てられたと感じたり、疎遠になったりします。今日はそんな「見捨てられ/不安スキーマ」のお話しです。
見捨てられ/不安スキーマ
私は、これをもっています。
本来なら、自分を手助けしてくれたり、自分と関わってくれたりするはずの人との関係において、不安定さや言いようもない不安、信頼できない感覚を抱くというもの。
仲間であっても信用ならない、みたいな感じです。
このスキーマを持つ人たち(私も含まれます)は、重要他者が、情緒的サポートや関り、支え、保護といったものを継続的に与えてくれることはないだろう、と感じています。
なぜならば、重要他者は情緒不安定で予測不可能(いきなりブチ切れる)、当てにならず、気まぐれにしか自分の前に現れないからです。
ある日亡くなってしまうかもしれないし、自分を捨てて誰かの元に行くかもしれません。
そんな感覚があり、いまいち他人とお仕事や関係性を上手に築けないのです。
要は、信じて裏切られる(と感じる)ことが不安で仕方ないんです!
よく考えると、、、
私もこのスキーマがあるので、どうしてもバイアス(先入観)のようなものが入るのですが、これって当たり前のことですよね?
親から適切な支援がもらえない?
友人から支えてもらえない?
・・・いつまで、そんな状態でいるの?
って感じもします。
ずっと支援や支え、保護がいるならいつまでも1人で生きていけませんし、どこかカッコよくない感じもします。(※こころと言葉の理念は子どもに誇れる生き方をすること)
私は誰かに支えられていますが、それは1人ではありません。
その1人がいなくなったり、別のところに行ったりしても大丈夫なのが、実は社会の仕組みだったりします。
過度にこのスキーマに囚われすぎず、広い視点で、関係性を保ちつつ、私自身も誰かを支えることができれば、きっと、不安感は減っていくのではないか、と考えています。
一度見捨てられたからといって、ずっと見捨てられ続ける訳ではなく、その都度支えてくれる人が変わっていく、という感覚が求められています。
今見捨てられた直後、という人はメンタル的にきついでしょう。
しかし、5年後、10年後、今はそうは思っていない人があなたを支えてくれたり、今出会っていない人が支えになっていたり、あるいはあなたが誰かの支えになってりしています。
意識しても、しなくとも。
そんなスキーマもありますよってことです。
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あなたが今日笑うことで
子ども達に明日への希望を届けよう
こころと言葉 礒村 博之
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虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。