私が「理想」を語ることに違和感を感じた時・・・
理想を語る!
「虐待問題を解決する」そのように決意を言葉にして語り出してからどれくらい経っただろう。
調べてみると、あまり変わっていないところか、地域によっては改善もされていない、悪くなっているところさえあるような・・・。
私の場合は具体的にどうやってと言われると、各家庭に入っていき指導する立場でもないし、ただただ情報を配信するという運任せなところがあったり、NPO法人SOS子どもの村へ寄付者を募る活動をして、団体が定期的、かつ健全に活動することにより、子ども達やその親権者のサポートをするサポートをしたり、といった活動をしています。
言うなれば結果が目に見えにくい所ではあります。
宣言とギャップ
しかし、宣言しているのは子ども達が笑える社会や子ども達が誇れる大人になるサポートであるため、理想は高く、活動は地味というギャップが生まれます。
近付いている感じもあまりなく、活動に意味があるのか、もっと深い考えは出来ないのか、など考えてしまいます。
資金面の問題もあります。
先日、合同会社へと法人化申請をしましたが、そちらのビジネスも真剣に取り組みたいですし、当面生活費も必要です。
理想を実現するためには資金も要ります。
もちろん、使い方をはっきりさせないと資金は集まりませんので、計画書も必要になってきます。
やることがたくさんあるのですが、日々の過ごし方があっているのか、というところも分かりません。
理想と現実でごたごた
そんな時はどうするのか、というと、ただただ作業に切り替えてやります。
例えば、知り合いに虐待防止の活動をしています、と一日一回言えたか、という一見無意味に見えることをしたりしています。
言っている内に、少しやる気になり、だんだんやる気になり、火が付き、頑張り、計画を見直したり、行動が取れたりしていきます。
目先の結果が出ない時は私はとりあえず誰かに再び、三度、繰り返し宣言する、ということをしているのです。
心理的にも
認知的不協和と言われる心理ですが、一貫性が無いと気持ち悪くなるというやつです。
理想を語ることにしんどくなる場合は、おそらく、理想を語っても近付いていないということに気付きだしている時です。
それほど真剣に打ち込んでいるのに、結果が明確には見えない。
そんな時は、知り合いにもう一度言っておきましょう。
言うだけなら数えることが出来ますし、見えます。
あなたの理想をコメントにして、小さな一歩を踏み出してみませんか?