第171回:人のためは優しさから?
基本的にはビジネスは人のためにやるべきである、という視点を持っています。
飲食店でもサービス業でも相手の「価値」を提供することに「対価」を得ているからです。
ビジネスは分かりやすくていいんですけど、人間関係はどうでしょうか?
あなたのためを思って・・・
人と話しているとアドバイスを求められたり、求めたりすることってありませんか?
ちょいちょいあるんですよね。
職業柄それが仕事であったりもしますけど。
で、私自身もなにか人のため、社会のために、できないか、と思うことからこの「こころと言葉」を立ち上げて運営している訳なんですが、この「○○のため」本当に優しさからか?
と言われると疑問です。
特に「あなたのためを思って」という言葉は実際思うシーンもありますが、あまり使わないようにしています。
価値観が分かれるところではあると思いますが、「あなたのためを思って」とまで、言わせるということは、おそらく、本人はあなたのアドバイスを聞き入れてないということ。
そういう時は残念ながら、本人は失敗するかもしれない経験を、一度体感してもらうということが本当の意味で「あなたのため」になると思います。
自分は二の次になってない?
もう1つ、自分が結構ギリギリの状態であるにもかかわらず、相手のためを思ってするパターンも考えられます。
自分が貧乏なのに多額の寄付をするみたいな感じですね。
これが本日のスキーマ、自己犠牲スキーマです。
このスキーマは、文字通り、日常生活において、自分自身の満足などは後回しにして、他者の願い、欲求を自分が満たすことに過度にとらわれている人のことです。
その理由は、様々ですが、他者が苦痛を感じることを防ぐためだったり、自分を利己的であるとおもうことによる罪悪感を感じるためだったりします。
また、私たちは社会的な動物であるため、他者とのかかわりは不可欠です。そのかかわりを、何が何でも維持するという目的もあったりします。
さらに、このような人は他者が感じる苦痛に対して非常に敏感です。行き過ぎてしまうと、自分を犠牲にしているという自覚はありますので、自分がこんなにしてやっているのに、相手は何もしてくれない、、、として、相手に敵意を抱くこともあります。
いずれにしても過度な自己犠牲、他人のためという逃げ口上、は置いておきましょう。
ユーサイキアという概念でもお話ししましたが、利他的、利己的のバランスが取れている状態がなにか、そこを考えていきましょう。
利己的でもいいのです。それが誰かのためになっているのであれば。
利他的でもいいのです。それがあなたのためになっているのであれば。
あなたが今日笑うことで
子ども達に明日への希望を届けよう
こころと言葉 礒村 博之
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