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もうひとりの「わたし」は、どこにいる? 読書記録『「書く」ってどんなこと?』高橋源一郎 著

わたしたちは「考えず」に書きます。

高橋源一郎 著『「書く」ってどんなこと?』p68

……えっ? その一行からはなれられなくなった。
高橋源一郎さんの本『「書く」ってどんなこと?』の中に書かれていた一文だ。


今まで信じ込んできたことと、あまりにもかけ離れていた。考えなかったら、どうやって書けばいいんだろう? 
 
高橋さんによると、夏目漱石が『坊っちゃん』を書いた時

1日あたり、原稿用紙で24枚から30枚書き続けたのです。字数に換算すると9600字から12000字でしょうか。
ーーー(中略)
なぜ、漱石はこんなに速く「書く」ことができたのでしょうか。
いうまでもありません、漱石は「考えずに」書いたからです。

高橋源一郎 著『「書く」ってどんなこと?』p35

作家である高橋さんご自身も「考えずに書く」とあるときから転換したそうである。
そんなことがあるものか? 
これは、作家だけに限らないともいう。気になって、書くことが好きだという知人に聞いてみた。

「考えずに書くことって、あるんですか?」
すると
「いつもじゃないけど一気に書けるときがある。その時は考えてない。書く手がおいつかないぐらいにあふれてくる。そういう時の文章は、あとから見返しても手直しするところがない」
との返答。
「えっ! ほんまですか?」
って、本を読んだ時とほぼ同じ反応をしている自分に芸がないと思うが、目の前のこの人は、本の一節と同じ現象を自分事として話している。作家さんだけじゃないんだ。考えずに書いているのは。

そして最後に、知人はこう言った。
「時間さえあれば、一日中ずっと書いていたいぐらい」
 一日中書きたい……。そんなこと、思ったことがなかった。私にも、その境地に至る日がくるんだろうか。あふれるものを書いている時って、どんな感じになるんだろう。

本の中には、また

「わたしたちはみんな、わたしたちの内側にいる、もうひとりの『わたし』に登場してもらうのです」

p65

そんなことも書かれてあった。大学の時の恩師が言われていたことを思い出した。聴衆の前では、よどみなくお話される方だったが「あらかじめ話すことは考えていない。その場に立つと、もうひとりの『わたし』がしゃべらせてくれる」と、おっしゃっていた。 
わたしに、もうひとりの『わたし』は、いるんだろうか。

昔、書いたものを読む時「これは、本当にわたしが書いた文章なのか」と思うことがある。今、同じものは書けない。その時々で、いろんな「わたし」がいるのか、深いところに、たったひとりの「わたし」がいるのか。
なんだか問答みたいで、わからなくなってきた。「考えすぎや」とつぶやいているのは、だれなんだろう。

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