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チカラは力を使わない - こころの治癒⑨

(心のカタチより)

人は人を無視することが出来ません。それは、独りでは活きれないからでもありますが、自身の”幸せ”を感じ得るには人の”心という鏡”が必要になるからです。

前回「自分を導く」という話しをしました。その話しでは、自身の心の本音という棚にある”幸せになりたい”を優先する話しでした。それは、誰かを幸せにする前に、まず自身の”幸せ”を優先し、その幸せがしだいに周り人との”こころの距離”を築くでした。

「二兎追う者は一兎も得ず」と云います。まずは自分が”幸せ”になるため、自分とこころの距離を”幸せ”を感じる距離にするのです。何よりも”幸せ”に勝る”もの”はなく、そのチカラはしだいに周りへと伝わるのです。

人とは”幸せ”を感じると知らず知らず笑顔を醸し出します。その笑顔には周りを”幸せ”にするチカラがあるのです。こんなことありませんか?赤ちゃんの笑顔が自分を幸せに感じさせることを。。。

「心の鏡」

皆さんは自分の”幸せ”をどう知り得てますか。
それはそもそも”幸せとは何か”という事になりますが、その話しは以前の「幸せを持たされる」を参考にしていただき”どう知り得るか”の話を続けます。

今の自分が”幸せ”と思っても、何をそう思って”幸せ”と判ったと言うのですか。

自分たちには”幸せになりたい”と思いそう思わす気持ちがありますが、その気持ちが判断した事をまだ理解に至れないのです。それは、その気持ちを持つ心のあるところを知らなければ、どんなカタチさえも知らないのです。そんな心の何を知って”幸せ”を判断していると言えるのでしょうか。

今の自分の心が幸せと思っていたとしても、もしかしたら感情がそう信じ込ませているだけかも知れません。自身は”本当の幸せ”を解っていると説明ができないのです。

たっだ。ひとつ容易に自分が"幸せ"か判る方法があります。それが”笑顔”です。

皆さんも笑顔を知ってますよね。笑顔は”幸せ”を感じれば自然と醸し出でます。造り笑顔ではなく本当の笑顔を知っているのです。ただ。自分の笑顔は鏡に映しださなければ自分では見れません。

それに鏡で見る笑顔では、もしかしたら造り出した笑顔かも知れません。疑えば疑うほど自身の感情が映しだされ笑顔ですら判らなくさせもします。ならば。どうやって自分の本当の笑顔を知れば良いのでしょうか。それが”心の鏡”を感じるのです。それも相手の”こころという鏡”を使って。

この”心の鏡”も以前「人は自分のこころの鏡」にてお話してますので詳しくは話しませんが、ここでは補足のお話をします。

「こころという鏡」

心が不安定な時は、自分の心を知るのはなかなか出来ない”もの”です。そんな時は、相手の”こころという鏡”を使い、自分の心を映し出してみるのです。心の鏡と言っても皆さんがイメージするような普段使っている鏡では心は映りません。相手の”こころという鏡”とは、相手のこころを通し(うつし)、自身のこころを感じことを云うのです。

先の赤ちゃんの笑顔が自身に幸せを感じさせると云いました。それは赤ちゃんが”幸せ”だからではなく、あなたのこころが赤ちゃんのこころに映り出し、共感することで笑顔が醸し出されているのです。

その笑顔を共感しあって、きっと自身も笑顔でいるはずです。

赤ちゃんのこころはぴゅあなのです。そんなこころが周りの人々の心を感じ、おぎゃーと泣いたり、声をあげ笑顔を醸し出すのです。それが”幸せ”を知る術の例となります。

人は五感で様々なものを感じます。ただ。赤ちゃんの例で判るのは五感ではなくもう一つの感覚を使ってます。それは『感じる』ること。第6番目の感覚「シックスセンス」(以前の話し「シックスセンス(第六感)」を参照)というチカラを使っているのです。

「チカラは力を使わない」

人は感情が湧きやすい生き物です。その感情は知らず知らず力を使わせ心身ともに体力を奪います。それはしだいに”こころの病”へと引き込むのです。

それと幸せは頑張って造るものではないのです。幸せを造ろうとすれば、感情も湧き力を浪費させるのです。だから幸せは感じる”もの”であり「気持ちのままに」なるだけで良いのです。

人の心の鏡に映し出すのは、感情でもなければわざわざ造る幸せでも、もちろん作った笑顔でもないのです。元々、自身のこころの中にある”幸せ”を、相手のこころに映し出すだけで良いのです。それがこころの共感を引き出し、互いの”幸せ”を醸し出し合うのです。

幸せには力は必要ないのです。チカラという元々自身が持つ治癒力(きもち)を感じるだけです。それには、必ずしも例のように相手とは限りません。本来、共感は『自分』と『こころ』が居ればできることだからです。それが”と”自己治癒”の基本の単位だからです。

自分にはこころがあります。そのこころは自身の”もの”です。だから、自由に”幸せ”を感じ扱ってもいいのです。それが心を知らないばかりに心を自分の”もの”に出来てないのです。

自分の”もの”であるこころは、本来、”幸せ”な想い出を引き出すも良し、”幸せ”を感じれる予定(たのしみ)を立てるのも良し、それを誰かと共有し分かち合うのも良いのです。それは自分自身の特権であり、それが”こころ”が自身にある意味だからです。

それには、もう少しだけ、自身のこころに興味を持ち、そのこころを知ることが大切となります。心のことを考えると重く思われる方が多いですが、”考える”事態が感情を湧かす行為であり、こころの扱い方を知らず扱えば、さらに感情が重く思わせるだけです。

自身の最大のパートナーは”こころ”です。半生を共にするパートナーよりも、一生を共にするパートナーである”こころ”を知ろうともしないのは如何な”もの”かとなるのです。

こころは自身を幸せにさせようとしているだけです。重くはないから力は使わなくて良いのです。


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