魂の会話が出来ないことが苦痛なのだ
実は5月の末に引っ越しをしていて、区から区への引っ越しなので別に住まいだけ変わっただけなのだけど、その変化の中で自分だけのモクモク思考(マンガで思考がモクモクと描かれているやつ)がいつも稼働していて。
ここのお家は人がけっこう来る家かもしれない。とか。
前のお家は今までの歴代住人がけっこう喧嘩していたんだなとか。全部ただの思い込みですけども。思うのは自由ですから。
お盆から義実家にずっと入り浸り、久々に帰宅した自宅がちょっとへそ曲げてるなあとか。他人ぽくなっちゃったわとか。せっかくなれてきたのに。振り出しだわ。とか。
そういうことを思ったりしていた。
もちろん、こんなことは色んな人にしゃべったりはしないのだけど。ただの頭おかしい人と思われて終わる。笑(ここはアウトプットの場所なのでね。)
人よりちょっとだけ気がつくことがあるとういか、勘が働くとか、目に見えないこと、きっとこうなんだろうな、というのを察知するのが少しできるという程度です。
例えば、初対面で「あー。この人気になるな。」とか「仲良くなりたいな。」とか思う人って、わたしの中の表現で「妖精みたいな人」という表現をするのですが、そう思う人はフワフワ妖精みたいで、ばななさんが表現しそうな言葉で言うと、光って見えるのです。(ばななさんが隣で寝ている猫が光っていたってかいていたことがあるんだけど、それを見たときに、おぉ!こういう表現だ!なんかわかる気がする!って感動したのを覚えています。)
そして不思議なことに光って見えた人はだいたいお近づきになるのです。しかもけっこう仲良くなる。こっちからグイグイ行くわけじゃなく、自然とどちらともなくそうなるのです。学校でお会いし、子供の習い事が一緒だったことに気づいた。とか。それでそのままなんとなく仲良くなったり。
あれー。なんで仲良くなったんだっけ?って不思議に思うくらいなんだけど、ふと思い返すと、皆さん妖精みたいで光って見えた人たちだったなー。という具合です。
ああ、あのときの勘は当たっていたんだな。
間違っていなかったな。と、後から思うのですが。
ちなみに、わたしはそんなに友達は多いほうじゃありません。浅く広くが昔から苦手で、苦手なのに母親になってから浅く広くを頑張っちゃって笑、人類みんなともだちみたいなことをしだしちゃって、疲れて自爆して、今は原点に戻りました。お帰り自分。
人間、性に合わないことはしないほうがいいんだと思いました。でも渦中にいるときって自分が変なことしてるって気づかないんです。狭く深くしかできないのは小さい時から変わらないのに。それすらも忘れてしまっていました。
友達同士やママ友同士の当たり障りのない表面だけのトークが苦手で、なんか時間の無駄なような気がして。そのトークほんとにいる?って話ながら心のなかで思ってしまう。
なんでわたしはこうなんだろう。なんで周りの人と同じように楽しめないのだろう。と深く考えてみたら、
わたしはお互いにですけど、魂の会話が出来ないことが苦痛なのだということがわかりました。それは魂から出た言葉?ってすぐそう思っちゃう。
発する言葉と心が一致してないとか、無意識にすぐ察知しちゃうんだと思います。
それが違和感でしかなくって、興醒めしてしまう。。
原点に戻るまでに、人も物も何でもかんでも断舎離してきて気づいたことがあります。
手放したぶんだけ、その隙間に新しいことが入ってくるんです。
ぜーんぜん人間関係とかもういらないなー。自分がこの人とこの人にさえ理解されればもう何もいらない。って思ってるので、こっちから飛び込んで行くことはないんだけど、、
なんだか、、新しい風がはいってくるんですよね。風の時代だけに。(言いたいだけ。)すごい不思議。
ああ、生きるってこういう不思議な法則に包まれているんだあ。といろいろなことにまた気づいては一人でモクモクと思考している夏の終わりです。。
なぁつのおーわぁ〜りぃ〜(直太朗風に。)