【連載】家族会議『来世と次世代』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議19回目#6|来世と次世代
――親になると子供の気持ちを忘れてしまう。自分も子供だったはずなのに。
わたし:
お父さんが子供のころ賞状を飾ってもらうこともしてもらえず、新聞紙の間に挟まってたっていうのを聞いてて改めて思ったんだけど。
やっぱお父さん、そういうものを大事にされてこなかったから、お父さんの中にそういうのが大事だっていう価値観が、人より低いのかもしれないよね。
わたしがこの前トロフィーとか全部捨てたじゃん?あれをまとめてるときに、「今からでも飾ろうか」みたいなこと言ってきたけど、「今さら」って感じだった。
――実際には子供のころ、トロフィーは飾っていた。すぐに捨てられたわけではない。
しまわれてしばらく経つものを整理しようとした途端に「飾ろうか」と言ってきたことに対し、偽善的な父を感じたのだ。
それならずっと飾って大切にしてくれてたら良かったじゃんっていう話。
わたし:
子供のそういうものが「大事なものだ」っていう感覚が芽生えないんだろうね。
わたしもそんなお父さんとお母さんに育てられてるから何の執着もない。トロフィーたちに。だから「いらないよ」って感じ。
だけどやっぱり、そういうのって受け継いでいくものでもあるよねって。価値観っていうか、感覚っていうか。うちって、なんかちょっと冷めてるっていうかさ。
だからそう。親がそうだった。お父さんも子供のころそうだったことを考えれば納得。
でもこうやって代々続いていくときには、どっかで断ち切らないと。
例えばお父さんが、あのときはもっと、「賞状を額に入れたりして、盛大に祝って欲しかった」とか、「飾って欲しかったな」っていう気持ちがあったんだったら、それを自分はやってあげるっていう方向にいければ良かった。
「こういうもんなんだ」って、お父さんは子供の頃に納得しちゃってるからさ。だから忘れちゃう。飾ってもらった方が嬉しいこととか、そういうの忘れちゃう。
それが問題ってことだよね。
母:
そうだね。
わたし:
だから延々と、代々子供が救われない家系になっていっちゃうっていうか。
‥‥お父さん、今どんな気持ちなの?
父:
いやその通りだなと思って、そっから先に進んじゃってんだよ。あの、先生(姉の師)の話。来世の話に飛んでってんだお父さんの頭の中。
わたし:
すごいねひとりで。飛躍が。
何考えてるかわかるはずもないね。今のを聞くと。わかりようがないというか。
母:
聞いてみないと
わたし:
聞いてみないとわかんないね。
だから本当、何も言わずにわかってもらえることなんてない。ないよねって思う。
そこまで飛躍していってそれで?来世のこと考えて何を思ったの?
父:
お姉ちゃん。
母:
どんな感じに?
父:
お姉ちゃんが今葛藤してるじゃん。
まさしくこれが源流となって、それで苦しんでんだなぁと。いうところが、勝手に動いてるな‥‥
――来世と次世代とがごっちゃになってしまっているようだ。
わかりもしない来世のことなんて持ち出してかっこつけようとするから、魂のことなどわかってもいないわたしが、来世を解説するはめになった…。
わたし:
来世は正確に言うとあれだよね。魂だから。これが源流になって受け継がれるわけではなくて。
今世で、この魂がどう成長するかで来世がどうなるか、来世の運命は変わってくるってことだから。
今わたしが、「子供が救われない習慣が世代に受け継がれていく」って話したからそういうところに飛躍していったのかなって思うけど、それとは関係ない。代々受け継いでいくものとは関係ないよね魂は。魂がその家で受け継がれていくわけではないし。
もちろんなんかしらの関係があったりはするみたいだし、今家族になってる魂って縁があるらしいけど。
あとは今世でどれだけ成長できるかっていうところもあるから、全く無関係ではないね。お父さんとお母さんと、どういうふうに今世で生きたかっていうのは、もちろん来世の魂に影響するし、先生のところを辞めることになった原因も、いっぱいあるうちの1個はお父さんだったりお母さんだったりもするかもしれないしね。
お姉ちゃんの責任ではあるけど、お姉ちゃんの性格的な部分というか、そこで耐えられない未熟な状態で先生のところに行ったこととか。なんかそういう意味では
母:
繋がってる‥‥
わたし:
うん、繋がっているし、来世の魂に影響を与えるのかもしれないねと思う。
あとはもちろん、お姉ちゃんの魂もそうなんだけど、ある意味でお父さんの魂とお母さんの魂も、今世のあり方で来世の道が変わるわけなんだよね。
‥‥ていうことになるのかなと思う。魂のことで言うと。
母:
それぞれ魂はあるんでしょうよね。
わたし:
うんうん。
――ヨーガ・スートラの解説本に、こんなことが書いてある。
「その根が存在するのであれば、その果実もまた存在するであろう。その果実とは、さまざまな生類への再生であり、その境涯と経験である」
この一節の解説が、次にように記されている。
今世でずるいことばかりしていれば、次は狡猾なキツネに。食べることに執着する人は、次は食べることだけをたのしむ豚になるかもしれない。と。
また、次のようにも書いてある。
今世でこの身体に宿った魂が、来世では何になるのか。それは今世の生き方次第で変わるということだろう。
― 今日はここまで ―
話しは脱線したけど、子供のころの気持ちをじっくりかみしめていないと、自分が親になったときに同じ過ちを犯してしまうという話。
傷ついた子供は、その痛みを感じないように感情を麻痺させることで苦しみから逃れる。そしてわが子にも同じ思いを味わわせることになる。その次も。その次も。
じゃあ、誰がいつ、断ち切るのか‥‥。
カルマの原因を探るのは、視えていない人にとってはとても難しいし理解しがたい話。だけど、世代間に受け継がれてきたものは単純明快だ。誰もが認識できる今世で起こっていることであり、今世にいる人と人との関わりの中で起こったことだ。
ならば断ち切るのは今、できるはずなのだけど。
そうできないのは弱いからだろう。
結局その弱さは、魂の未熟さであり、弱さということになるのかもしれない。
<次回に続く>
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