【連載】家族会議『誰かの承認を必要とする』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議18回目#6|誰かの承認を必要とする
――この日の家族会議では、冒頭に2回目の家族会議の録音を振り返っていた。
そこから話は脱線したけど戻る。
わたし:
録音の方は聞いててなんかある?振り返って聞いててさ、お父さん、自分が言ってることおかしいなって思ったりすることとかあるの?自分が言ってることは全部納得?
父:
いや、ある。
わたし:
時間経ってみて「俺こんなこと言ってたんだ」みたいな、思うこともあるのかなって?
父:
あるわ。
わたし:
あった?
父:
さっきの風呂の話。
――風呂の話とは。お風呂掃除をやるにあたって、父が「俺ばっかり」と言ったのをキッカケに母が「じゃ、やらなくていいよ」と機嫌を損ね、それに対し父が「甘え倒せばいいだろう!(=褒め倒せ)」と怒った話だ。
おだてりゃやるんだから、おだてればいいだろうと‥‥。
わたし:
うん。なんかちょっと、おかしい感じがしたの?おかしい感じなの、わかったんだね?お父さん
父:
わかったんだね…。わかったんだぁ!って聞いてくれないかな
わたし:
わかったんだぁ~!!どんなふうに思ったの?
父:
やっぱり、「毎回俺ばっかり」というのはそうじゃないでしょうと。それが俺の本音かと。何か違ってたような気がするな。あれはおかしいわ。
相手の立場に立って聞くと、「もういいわ」と、いう気になるわね。「もうやらなくていい」と。確かに。慌てて弁明してたけど。
わたし:
弁明してたっけ?弁明っていうか、もうじゃあ、「褒め倒せ」みたいなことももう、本音からずれていっちゃったってこと?
父:
いや、ずれてはいない。褒め倒せっていうのは本音ですよ。だから言葉をね、褒め倒してもらうためには、どういう言葉を使ったらいいかっていうのを、考えて喋ればいいんだけど、考える前に出ちゃうんだな。なんか知らんけど。お父さんの場合は。口が早いわ頭より。
わたし:
本音を隠すときもあるのに、そういうことは出ちゃうんだね、すぐに。なんでだろう?その違いはなんだろうなって思うけど。
褒めてほしいのは本音ってことだよね。
父:
うん。
わたし:
そうだね。この辺は、このときにも言ってたけど、褒めたくないのがお母さん。
母:
うん。
わたし:
で、褒めてほしいのがお父さん。(家事をやったら)褒めてもらうのが当たり前だと思ってるのがお父さんだったっていうか。あの段階では。
父:
褒めるイコールおだてるってやつか?
わたし:
おだてるもそうだし、対価が必要なのがお父さん。ボーナスっていうのかな、対価というより。
だけどもう、今までのこと(長年のわだかまり)で褒めたくないのがお母さんなわけで。だから褒めてやってもらうみたいな、そういうのは成り立たない夫婦ってことだよねっていう。話だったんだよね。
父:
だから、(録音の中で)ずっと「おだてりゃいいじゃねえか」って言ってんだけどさ。何て言うの、これ結局相手に求めてんだよな、おだてりゃいいじゃないかって。
わたし:
そう。
父:
そうじゃなくて、おだててもらうためにはどうすればいいかって自分が考えりゃいいんだよな。相手がおだてるように言えばいいわけでしょ。それはちゃんと自分が考えて、そういう雰囲気を作っていけばいいわけで。
そこを全くしてないな。
わたし:
そうだね。次の段階としてはそれかなって思うけど、最終段階としては、おだてられなくてもやれる大人になる。
今は子供の段階っていうか、喜びとかが必要な段階ってことなんだよね。それを相手がやってくれるように雰囲気作りをするのもいいけど、その次の段階は自分で自分をおだててあげる。自分で自己完結ができる。
自己完結ができると、おだてられなくてもやれる大人にる。みたいな感じかな。流れ的には。
父:
自己完結か。どのくらいかかるだろうね。
わたし:
まあ、その間相手に求める。うまくね。お母さんが嫌な気持ちにならずにできるような雰囲気が作れるなら、それはそれで一つかもねと思うけど。
結構、それも難しそうだな、自分で自分のことを褒めた方が早そうだなって気もするけど。まあいいんじゃないかな。そういうのをやってみても。
父:
わかりましたよ。
わたし:
お母さんは何かある?
母:
今、お父さんから先に出たけど、そこんとこの、お風呂の事を聞いてて、聞きながら勝手だなっていう。
わたし:
そんときにも勝手だなって言ってたけど
母:
また思ったっていう。まあ、でも今いろいろお父さんが、感じたんだなと思って。ここに何も感じないとしたらあれだけど、感じたんだね。感じてくれてよかった、嬉しいわって感じかな。
わたし:
うん。
父:
それは何がでてるかというとね、上から目線が出てるんだよな。
わたし:
この話?お父さんの上から目線?お母さんの?
父:
お父さんの上から目線。
わたし:
自分のね。このお風呂の一連の話って、いろいろ集約されてた感じもあるよね。
お父さんの上から目線も入ってるし、甘えたい子供の気持ちとか、褒めてほしい気持ちとか。子供と上から目線といろいろ混じり合ってた。
そうだし、お母さんが「へえ、勝手だね」みたいなこと言ってきたのに対して今度はカーッとなるお父さんも。
ある意味いろいろ集約されてた感じだったなって思う。
母:
だから日常生活に、毎日のようにそれらが出てるってことだよね。お父さんのそれだけじゃなく、私の考え方の癖っていうのもやっぱり。毎日生活するときに出るわよね。
― 今日はここまで ―
褒めてもらえたら嬉しい。それは、誰かに認めてもらう感覚だと思う。
父は自分で自分を認められないから、誰かの承認を必要とする。
だから、どこまでいっても「上手く褒めてもらえるようにするにはどうすればいいのか」という思考から抜けられない。
そうやって父の思い通りになるようにコントロールされるのが、周りの人は嫌だというのに。
<次回に続く>
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