【連載】家族会議『驕り』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議25回目#5|驕り
――父は、姉の表面的な苦しさはわかるけど、本質的な苦しさはわからない。という。
そこをどうすればわかるの?と。
わたし:
じゃあさ、お姉ちゃんのその表面的な苦しさは、どんなふうに感じてるってこと?
父:
今はやっぱり、あれじゃねかなあ、あそこでの立場に苦しんでんじゃないかな。
わたし:
あそこっていうのはカウンセリングルーム?
父:
うん。
――このとき姉は、カウンセラーの仕事を辞めるかどうかで悩んでいた。微妙な立場に居たからだ。
例えて言うなら、師匠の下に弟子入りし、学びと仕事を与えてもらっていたのだけど、師匠の教えについていけず修業は辞めたい。そのまま仕事だけをやらせてもらっているという状態だった。
その師匠(先生)がとても厳しい人で‥‥というより、常に人間性を問われるような場所であって、先生の前では誰もが醜態を晒すことになる。自分の現実を突きつけられるから、多くの人が先生のもとを去って行くのだ。
わたし:
どんなふうな苦しさを感じている。ってこと?
父:
結論から言うと、あそこにいるべきじゃないっていうところになるんだろうけれども。カウンセリングルームのいるメンバーとの関係。あるいは先生との関係。同僚との関係。院長との関係。が微妙に作用してて、日々苦しんでんだろうなとは思うけども、具体的に日々どいうことで苦しんでるの?と、その苦しい詳細。その辺まではわからない。
ほんで、同僚が新しい会社を作って、フリーにしてあそこにいたらどうなのっていう提案を一時したじゃん。ああいうのだとどうなのかっていうのも、実際お姉ちゃんに聞いてないから、本当の嫌な理由っていうのはわかんないんだけど。あれも一つの案だと思うんだわ。全然関係なくできればの話だけど。お姉ちゃんは多分、関係なくできないから無理だっていう話になってんのかな。
そこを追求してないからわかんないけど。追求っていうか、話聞いてないからわかんないけど。皆さん聞いてんですか?
母:
私が聞いたのは、お姉ちゃんが人間としてそれはできないって。
父:
人間としてできないってどういう意味ですか?
わたし:
人としてね。
母:
人として。なんて言ったらいいのかな、人としてって‥‥恥ずかしくなく生きたいってこと。恥ずかしいことはしたくないとか、そういうことでもあると思うし
父:
恥だと思ってるわけね。
母:
恥っていうか‥‥
わたし:
なんていうか、嫌だ嫌だ、今の場所にいるの嫌だって言って、「じゃこうだったらいい?」って人に用意してもらって、「それだったらできる」って言ってそこでやる。
父:
ああそういうこと?
わたし:
そんなのって、卑怯だよね。そうやって次、そこでまたちょっとでも先生と関わることがあったら、また嫌だって騒いで、また違う場所を用意してもらうの?
父:
いやいや。先生と関わればでしょ?
わたし:
関わればだけど。ただどっちにしろ、それも先生のお膳立てがあって用意されるものではあるよねって。
父:
え?だから同僚が言ってるのそうじゃないでしょ?先生とは関係なしに院長が用意する。
わたし:
だって、それだって先生の許しが出ないとできないし、とにかくあそこで人に用意してもらったものに移動する。
父:
あそこってやっぱ先生が絡んでるからでしょ?先生が絡んでるからできない。それだったらわかるけどさ
母:
とにかく卑怯な生き方はしたくない
わたし:
ちょっと卑怯ではあるよね。
母:
それって何様って感じになるじゃん。
父:
わかった。そういうことね。全然関係なくっていうのはできないよという話なんだな。
――全然関係なくできないから苦しんでいるのではなく、人としてどうなんだって話をしているのだけど‥‥。
わたし:
うーん‥‥。まあ全然関係なくはできないと思うし、現実的に。それに、気持ちっていう部分だけ考えても、ちょっと無理だよね。そこで全く関わりなくやっていけたとしても、何様なの?って話だよね。
それはちょっと、わたしも反対するかな。そこが嫌になったら次どうするの?って。自立はできないよね。そういうふうなやり方をしていると。
父:
わかりました。
――たぶんわかっていない。
― 今日はここまで ―
自分を守りたくて卑怯なことをしてしまったり、ずるいことをしてしまったり。そういうことをしてしまうことは誰にでもある。人は弱いから。
だけど、そんな自分にがっかりしたり、罪悪感を感じたりして、葛藤するのも人だろう。
自分さえ良ければいいのか?そんな葛藤との戦いだ。
たとえそのときには誠実にいられなかったとしても、自分が卑怯であったことだけは把握しておかなければならない。
せめてその苦しみと、向き合い続けることが贖罪でもあるのだろう。
そうでなければ、人は驕ってしまう。
しめしめ、上手くやったぞと。
自分さえよければいい考えの父には、姉がなにに葛藤しているのかなど、到底わからないだろうな‥‥。
<次回に続く>
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