【うつヌケ体験②/5】元自衛隊メンタル教官・下園壮太先生のカウンセリング開始
わけのわからない不調に陥った私。
(体験談①はこちら)
しかし一つの出会いが、私を救ってくれました。
4、「そうか!私は”うつ”なのか」
シルバーウイークに休んだ後、さらにお休みをもらい、気分転換で、大好きな石垣島にも旅行しました。現地では、娘と夫に遊びに出かけてもらい、私はホテルの窓から海を眺めながらゴロゴロ。景色は美しかったのですが、旅先でも、そして帰ってからも、一向に気が晴れることはありませんでした。
暗闇をさまようような日々。
暗い気分の私に、一冊の本との出会いがありました。それは、
「私も似たような状況になったことがあるの。この本、おススメです」
と、働いているママ友の一人が教えてくれた本でした。
「心の疲れ? 私の場合は体の疲れなんだけどな」
と思いながらも読み始めると、
「私のことが書いてある!」
と、ビックリ。
あらゆる体の不調、疲れ、倦怠感、動けない感じ、イライラ、「会社を休めない」というかたくなな思い…、紹介されている症状が、ことごとく当てはまるのです。
この本でようやく、私に起きている事態がわかりました。それは、蓄積疲労による「うつ状態」。
自分がうつ、と認めるのは、ものすごくショックです。けれどもその一方で、わけのわからない状況に、ようやく糸口が見つかり、ホッとする部分もありました。
それまで、うつとは、イコール「心の病気」だと思っていました。
何かの出来事や事件をきっかけに、心が先に病んで、これに伴って体が不調を起こす。そんなイメージだったので、体の不調が先に来た(と感じていた)私は、うつだとは思いませんでした(心療内科を受診したらうつといわれるかもしれない、とは思いましたが)。
この本によると、うつとは、疲労が蓄積し、エネルギーが枯渇した状態。自分を守るため、心にも体にも「今は動くな」という指令が働くことだそうです。
また、対処方法の基本は次のように紹介されていました。
・まず、とにもかくにも1カ月~2カ月休むこと。これでまずは体のエネルギーを回復させる
・次が「リハビリ期」。少しずつ社会復帰のトレーニングをしながら、心のエネルギーを回復させていく
この本に従って、とにかく休もう。それが最優先だ。私は退社して無期休養に入ろうと考えました。
5、休職、カウンセラー下園先生との出会い
ときに、人生とは不思議なことが起こります。うつ状態で苦しむ私でしたが、小さな奇跡がありました。
あるとき、退社を申し出た私を、役員の女性がランチに誘ってくれました。
「退社したいっていう意向は聞いたんだけど…。 今いったいどんな状況か、教えてくれる?」
と、役員。
「はい。実は、私はこの本を読んで、ようやく自分に起こっている事態がわかったんです」
私はそう言って、バッグの中に持ち歩いていた本『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』を差し出しました。
「友人が教えてくれた本です。自衛隊のメンタル教官だった下園壮太さんという方が書いた本で、要は、私は蓄積疲労によるうつ状態なんです。この状態に陥ったら、休むしかないそうです。なので、もう退社して無期限で休みたいんです」
と、一気に私はしゃべりました。
「そうなのね…。エ? うん? ちょっと待って。自衛隊のメンタル教官? 下園…さん?」
役員は本を手に取って、あっと声をあげました。
「この方、来週の勉強会の講師よ!」
「えっ」
「そうよ。定期的にグループ会社の有志で集まって勉強会をやっているんだけど、この方、来週の講師よ。『部下がうつになったら』というテーマで、自衛隊のメンタルヘルスをやっていた人が講師って言っていたから、間違いないわ」
「ホントですか?! 私、その勉強会に参加させてください!」
この本を貸してくれたママ友からは「下園先生の講演会とか一度行きたいんだけど、なかなか機会がないんだよね」と聞いていたので、まさか本人に出会える機会が一週間後に用意されるとは! うれしいミラクルでした。
その後、役員と相談して、私は直ちに退職するのではなく、ひとまず2カ月休むこと、休職後にもう一度退社するかどうかを決めること、また勉強会に参加して、今後の対応策については、下園先生に意見を求めることが決まりました。
6、小さなミラクルと厳しい現実
さらに、小さな奇跡は続きました。
次の週の勉強会で、下園壮太先生と対面。初めて会う下園先生は、自衛隊のメンタル教官だったというプロフィルに似合わず、終始にこやかでソフトな雰囲気の人でした。
私はすっかり安心して、うつ状態の渦中にある当事者として、ここぞとばかりに質問をしました(今から考えると、それこそがプロのカウンセラーのなせる技だったのだと思います)。
私「うつ状態になったら、心療内科は行かないといけないでしょうか?」
下園先生「病院は抗うつ剤を処方してくれるところ、と考えてください。うつ状態はエネルギーが落ちています。最初は薬を飲みながら対処したほうが、ずっと治りが早いですよ」
私「今、私は43歳ですが、いわゆる更年期の症状との違いはなんですか?」
下園先生「その疲れが更年期かどうかの判断はなかなか難しいのですが、どちらにしても最初の対処は同じなんです。要はとにかく休むことです」
私「まずは1、2カ月休めばよいとのことですが、その後のリハビリ期はどのように過ごせばいいのでしょうか? 何に気をつけて過ごせばいいんですか」
下園先生「リハビリ期は治ったと思っても、本人の感覚としては、最悪だったときのレベルまで気持ちが落ちるので、つらい時期です。この時期の過ごし方は…、正直なかなか説明しづらい、むずかしいものがあるんです。あなたのリハビリは、僕が支援しましょう」
そう、これこそが、小さな、でも私にとっては大きな奇跡。
勉強会をご縁に、下園先生のカウンセリングを受けられることになったのです。後に聞いたところによると、ちょうど自衛隊を退官され、一般のカウンセリングを受け始めたタイミングだったとか。
もともと本をすすめてくれた”下園ファン”のママ友は、
「えー?! すごいミラクル!」
と、コトの展開にひっくり返っていました。
ただ、その勉強会では一つ、残念な説明がありました。それは、ひとたびうつ状態に陥ったら、いろいろなケースがあるけれど「完全に治るまで通常1年くらいはかかる」ということ。
「1年…」
隣りに座っていた、役員の肩が落ちたのがわかりました。週単位で仕事をする会社に1年は長すぎます。
キャリアの断絶。厳しい現実でした。
7、1回目のカウンセリング
11月。渋谷ヒカリエにあるカフェで、私は下園壮太先生と、先生のもとでカウンセラー業を勉強されているSさんに会いました。
休職して、約2週間経った時期。とにかく仕事を休めることにようやく一息つきながらも、相変わらずの体調不良です。これからどうなるのか、荒天時の船に乗ったような心細さでいっぱいでした。
「大丈夫、大丈夫。あなたの場合は傷が浅いから、きっと半年でうつ状態を抜けられるよ」
下園先生は笑顔で、うつむきがちな私をのぞきこみました。
「半年? でも、勉強会では通常”回復まで1年”っておっしゃっていましたよね…」
と、私。
「通常は1年なんだけど、あなたの場合は、休職のタイミングがすごく早かったの。大丈夫、うまくいけば最短で抜けられますよ」
パアッと目の前に光が差す言葉でした。
こうして、私が事前に提出した、これまでの振り返りメモをもとに、カウンセリングが始まりました。
下園先生によると、人がうつ状態におちいるとき、疲労が「3段階」で蓄積していくもの。私がたどったプロセスが明らかになりました。
まず、私の”疲労”がたまり始めたのは、2011年東日本大震災ごろ。直接的な被害はなかったものの、地震当日家に帰れなかったこと、当時は通勤時間が比較的長く、余震の緊張感がしばらく続いたことが、ひそかに心の負担に。
また、この時期は編集長だったので、その重責感も常に付きまとっていました。まず、ここで疲労の「第1段階」に落ちていたのです。
けれどもこの段階は、ある程度休めばすぐ回復する時期。回復と疲労をなんとなく繰り返し、日々は過ぎていきました(当時の私に疲れているという自覚はありません)。
「第2段階」に陥ったのは、2年後、都内の本社に異動した後。通勤時間が短縮して、私はホッとひと息。これ幸いと、プライベートで、地元の友人たちとイベントを立ち上げ、週末もあれこれ活動するようになりました。平日も週末もフルに活動する日々。
そんな中、あるとき上司が体調を崩して緊急入院。サブの立場だった私が、その間の代理を務めました。急なことで私自身も部内もかなり動揺。業務的にも精神的にもかなりキツいものがありました。しかし、なんとかやりこなしているうちに、上司は退院。体制が元にもどったことで、そのうちに忘れました。
が、実は、このときに、じわりと疲労が進んで「第2段階」へ。それは、回復のスピードもそれまでの2倍かかることを意味します。
それまでは少し休めば回復していた疲れも、やがて回復しきらないまま、次の仕事の波が来る。そんな悪循環のサイクルに陥り始めていたのです。今思えば、めまいや貧血など、プチ体調不良も頻発していました。
そして、いよいよ「第3段階」。それが部員が1人減って、業務のバランスが変化したタイミングです。コップの水があふれ出るように、心身に積み重なった疲労が堰を切って、ついに「うつ状態」に陥ったのです。
「どんなふうに疲れが溜まって、調子が落ちたと思いますか? 自分が考える、疲労の折れ線グラフを書いてみて」
先生に言われ、振り返りメモの下に、第1段階、第2段階、第3段階と、なだらかに落ちていく、一本のグラフ線を描きました。
すると、先生はペンを取り上げました。
「あなたの疲労グラフは、本当はこうなんですよ」
ペン先は、私が描いたグラフ線の下を通って、第3段階の底に向かって急落しました。つまり自分が思っているより、はるかに根深く疲労は進行していったのです。「ああ、そうか。自分が思うより、私はずっと疲れていたんだな」
うつ状態に陥った過程がはっきり見えた気がしました。
下園先生は、
「蓄積疲労の第3段階に陥ったのが8月。でも、休職に入ったのが11月。これ、ほかの多くの人に比べて、本当に早かったんだよ。うつ状態に陥ったのと同じ角度で、回復曲線があがっていくから、ほら、順調にいけば4月には回復できるよ」
と、グラフ線を書きながらニッコリ。
Sさんも、
「桜が咲くころですね。きっと治りますよ」
と、大きくうなずきました。
窓の外は晩秋の街。春の光景を思い浮かべ、私は泣きたいような気持ちでした。
うつは必ず治ること。
今はとにかく、心身を休めること。
休職後の身の振り方については、次回、1カ月後まで考えないこと。
下園先生とSさんのアドバイスを胸に刻んで、第1回カウンセリングが終わりました。