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【うつヌケ体験⑤/5】ホントに”最短”で脱出できた!


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18、それでも「飛行は順調です」

いつもカウンセリングのあとは、何かしら希望が見えて、前向きな気持ちになります。ところが、4回目のカウンセリングを終えた今回ばかりは、重苦しさから脱出しそこなってしまいました。

耳の調子は相変わらず悪く、なぜか目をつむると、右耳の奥に「ジジジジ」ときしむような音。そんな怪奇現象(?)が現れるように。

いささか自分でも神経質すぎるようで、首を振ったり、耳に手を当ててみたり、なるべく気にしないように努めました。

でも目を閉じると「ジジジジ」…。明らかに、耳の中に音がするのです。

耳鼻科に行っても「疲れているのだから、休みなさい」といつもの薬を処方されるだけだろうと思うと、足が向きませんでした。

「どうしたらいいの?」
再び途方に暮れてしまいました。また、あのイヤ〜な感じの背中のだるさも出てきています。

「調子の波は想定内。私は治っているから大丈夫」
何度も自分に言い聞かせながら過ごす日々。

でも何かおかしい。先生はまた波は上がる、と言っていたのに。ちっとも浮上しない…。

そんななか、元いた職場のメンバーが、延期になっていた私の送別会を開いてくれました。

会合自体は、とても楽しい時間に。心がこもった贈り物やメッセージをもらい、温かな励ましを感じることができました。

けれども、次の日から、また気持ちがガクンと落ちたのです。今度は寂しいというよりも、悲しい。治らない自分が情けなく、涙が出て止まらなくなってしまいました。

こんなときは、すかさず「緊急メール」発信です。

私/
前回カウンセリングから1週間。今回ばかりは全く調子が浮上しません。いつもはカウンセリングの後はなんとなく希望が出てきて元気になれるのに、落ちっぱなしです。元気な時のレベルを10としたら、1〜2をさまよっている感じです。
1つには右耳の違和感。眠ろうとするとジンジンとします(背中のだるさは2〜3日続いた後、取れました)。

もう一つは送別会。
とても楽しく、温かな会でした。久しぶりに気分が高揚し「私はやっぱり人と一緒にいる方が元気になれるな〜」と思ったのですが、帰ってきたら、悲しくて仕方なくなってしまいました。
もの悲しくて泣けてしまうことが何回か(今もこれを書きながら涙が出てしまいます)。前回のカウンセリングで3月上旬を起点に、波が浮上するイメージでしたので、落ちっぱなしであることがショックです。
今の気持ちは、何もかも投げやりで、書きながら、ネガティブな自分が嫌です。
本当に、私、治りますか? 

前回治る見込みについて「4月」から「初夏」とおっしゃっていましたが、実際のところ、治るスピードが落ちていませんか? 今一度、心と体を立て直したいと思います。改めて私は今何をしたら良いか教えてください。

以上。

シクシク泣きながらそこまで一気に書き上げて、鼻をすすりながら、ポチッとメール送信。ティッシュで鼻をかんで、ふと我にかえりました。

メールで気持ちを吐き出したら、急に落ち着いてきた自分がいるのです。

「うわわ! ちょっと今、だいぶ感情的すぎるメール送っちゃったんじゃない?!」

私はあわてて、次のメールを送信しました。

私/
…と、先ほどのメールを送信したら、スッキリしてきました。大丈夫です! 先生の著書にあった「良いところ探し」(=下園先生考案の心のエクササイズ)を少し取り組んでみます。

ほどなく、下園先生から長い長いメールが届きました。

下園先生/
不安発作ですね。ワーッと不安になってしまう。うつの時はどうしても不安が強くて、発作のように思考が悪循環することがよくありますよね。でも、メールをすることで、冷静になれたのですね。メールで人とつながれた、書くことで冷静になった、2つの効果です。素晴らしい対処です。

さて、今回の波は、まだまだ僕の予想の範囲です。
ですから、治りが遅くなることもありません。航空機に初めて乗る人は、飛行機が少し揺れるだけで、怖いもの。ましてやエアーポケットにでも入ろうものなら、まさにパニックになる。でも、何度も経験しているクルーは、「大丈夫です、飛行に影響はありませんから」と答えてくれます。向山さんの飛行は、順調過ぎたのかもしれません。時には雲がかかることもあるのです。でも、嵐ではないので安心してください。

ちなみに、「元気な時のレベルを10としたら、1〜2をさまよっている感じです」を少し客観的に評価しなおしてみましょう。
向山さんの1か2レベルとは、Aさんとトラブルになったあの頃ですよ。トイレで嗚咽したあのころ。去年の夏ごろでしたっけ。それと比べたら、今はやはりかなり上なのではないでしょうか。
耳の違和感は、向山さんの特別な症状です(珍しいというわけではありません、大切なという意味です)。特別な症状は、一番敏感に危険を察知して、宿主に教えてくれる症状です。悪夢と同じように、いよいよ現実に復帰するときに、「今のままの体力で大丈夫?今のままの生き方で大丈夫?」と自分にブレーキをかけてくれるのが、苦痛を伴う特別な症状。それがあれば、まだしっかり休んでいるでしょう。少し世話を焼きすぎですが…。

おそらく、送別会で気分が高揚し、心の中に、少しの焦りが出てきたのだと思います。みんなに遅れている、戻りたいけど戻れないという悲しさ。その時が楽しければ楽しいほど、落ち込みが来るものです。
僕たちは「祭りの後の寂しさ」と呼んでいます。これも、この時期によくある現象です。少し焦りが出始めた向山さんを、耳の違和感が必死に止めてくれているのです。耳の焦り的には、「焦らないで! またあの頃(会社で仕事に没頭していた)の状態に戻ろうと思わないで!」と訴えているのではないでしょうか。

どうか、その違和感を邪険にせず、「ありがとうね、君の言いたいことはよく理解しているよ」と伝えてあげてください。この時期の不安は、子供時代のトラウマなどと向き合う必要がない場合、つまり向山さんの場合、一過性です。刺激を徐々に増やしていくとはいえ、ダメージは元気な時の2倍。だから2倍の休養を予定しておいてください。

エネルギーが低下してくると、どうしても不安や「投げやり感」が出やすくなります。「良いところ探し」は良いエクササイズですが、不安が強いときは、どうもいいところが見つからないもの。自信を失う結果に終わることがある。そんな時は、無理してやらなくても結構です。それより、何か、落ち着くものを見つけ、そのいい感じをじっくり味わうことを試みてください。焦るのも大切。ありがたい、不安も大切、ありがたい。耳の違和感も大切、ありがたい。そして、そんな中でも、例えば、お茶がおいしいとか、文章が書けたとか、連絡をもらったなど、小さなことの幸せ感を、しっかり味わい、世の中は、焦りや不安が思うほど危険なものではないということを、体に伝えてください。今は、自分に厳しくせず、おいしいもの、ゆったりしたもの、甘いもの、楽なものを探してください。自分を甘やかしていいタイミングですよ。

私は、受け取ったメールを何度も読み返しました。

こんなに調子が悪いのに、やっぱり「順調飛行」。にわかには信じられず、しばらくボーッとしてしまいました。

19、耳鳴りにも「言い分」がある

うつ状態は、人によってあらゆる身体の不調が出るそうですが、私の場合は「耳のつまり」。これが一つのサインでした。

8月以来、風邪をひいたときやダイビングのときのように、「耳抜きが出来ないような感じ」「耳の中でフタがパカパカしまったり開いたりするような感じ」が継続していました。

「いずれ自然に消えますよ。それがなかったら、元気に今までどおり動いてしまうでしょう? 身体とは面白いもので、それで動けないようにしているんですよ」
このことも、何度も下園先生から説明を受けていました。

けれども3月に入ってから始まった、新しい耳鳴り。目をつむるとジジジジ…と、右耳が鳴り続けるという怪奇現象。これには本当に参ってしまいました。

下園先生のメールには
「少し焦りが出始めた向山さんを、耳の違和感が必死に止めてくれているのです」とはありました。

よく“体と心はつながっている”とはいいますが、ここまでしつこいとは! 自分のカラダの雄弁さに驚きもし、あきれるような気もしました。

とにかく早く治りたい私は、アドバイスの通り、耳鳴りに話しかける(!)ことも取り組んでみました。

「動きすぎをお知らせしてくれてありがとう。そんなに心配しないで。大丈夫だから」

キャー私、大丈夫か?  照れるというか、アヤシイ人のような感じがして、なかなか葛藤するものがあります。でも、そこはぐっとこらえ、何度か話しかけみました。

「もう以前みたいに無茶しないようするから…。もう鳴らなくもいいですよ〜」「ジジジジ…」
これといって、かんばしい返事(?)はありません。
数日するうちに面倒になってきて(はっきり言ってしまうとバカバカしくなってきて)、「ジジジジ」は放置するようになりました。しかし放置できるようになっていたというのは、一つの変化だったかもしれません。

10日ほど経ったある日。どういうわけか、夜中に寝汗をかいて、目が覚めました。驚くほどの汗で、パジャマがべっとりするくらい。上着を取り替えて、再び眠りに落ちました。朝目覚めると、不思議な爽快感。この日を境に、「ジジジジ」は消えてしまったのです。それが4月初めのこと。桜が満開のころです。

それっきり、このタイプの耳鳴りは現れません。ただし、疲れがたまると耳がつまる、閉塞感という現象だけは残り、その後も長い長いおつきあいが続きます(この顛末はまた別の記事で紹介しますね)。

下園先生によると、うつ状態の身体的なサインは、さまざまなものがあるのだとか。もっとも多いのが、頭痛、吐き気、頭の重さ、下痢。そのほか、背中の重さ(痛み)、独特の胸の重さ、のどの違和感などの例もあって、人によって本当に違うのだそうです。

カラダとは、自分が思うより、ずっと賢い「システム」です。
自分なりの不調のサインを知り、見逃さないこと。
痛みや違和感など、何か訴えてきたら、その言い分をまずは聞いてみること。
その積み重ねが、蓄積疲労やうつ状態へのブレーキにもなるのでしょう。

かつて忙しく働いていたときも、マッサージや整体などはせっせと通って、体のケアは人一倍心がけているつもりでした。ですが今思うと、気をつけているようで、どこか人任せで、対話するようなレベルまでは向き合っていなかったのかもしれません。

さて、以下は、個人的なイメージです。

“ジジジジ”の耳鳴りちゃん。君の言い分は何だったの?

「もうこれ以上、今は情報を入れないで。何も聞かないで。静かにしてゆっくり休もうよ」

20、最後のカウンセリング


少しずつ季節は春へ。
「自分を甘やかしていいタイミングですよ」
この言葉に従って、私は家族の用事以外は極力外し、のんびりと日々を過ごしていました。

そして、4月中旬。「うまく行くならば、この日が最後のカウンセリングになる」という日を迎えました。

耳鳴りは消えたものの、耳のつまりはわずかに残っています。静かな生活を心がけていましたが、一方で娘の学校のことなどで気忙しいことも。以前に比べたら元気ではありましたが、好調とは決して言いきれない状態でした。

おなじみのカフェに向かいながら、これでは終わらないだろうな、どうせ来月もあるだろう、と思っていました。

カウンセリングでは、いつもどおり、1カ月の経過を報告。心身の調子について、気がかりなことをあれこれ話します。
そして、いつもどおり、下園先生がニコニコしながら、今の私の状態について分析してくれました。

疲労のレベルは確実に、第2段階から第1段階へと軽くなったこと。
ただし、「疲労のコップ」は、元気だったときよりも、まだあふれやすいことは間違いない。
1日動いて疲れたら2日休む、というふうに決めて、体調を管理していくこと。

「予定が詰まってきて気が重たくなってきたら、3つの予定のうち1つを外せばいい。これは、僕も実践しているんだよ」
と下園先生。

「疲労を管理する」、それが、私のこれからの生活のテーマになりました。

ひと通り話が終わったころ、ふいに下園先生が切り出しました。

「ひとまず、月1回のカウンセリングは終わりでいいでしょう。今後は自分で疲労に気をつけながら過ごして、何か話し合いたいテーマが出てきたときに、改めてお会いしましょう」

「え? 終わっていいんですか?」

「いいですよ。それにしても薬も飲まず、月1回のカウンセリングだけで、よくここまで回復しましたね。よく頑張りました」

ほめられて照れくさいのと同時に、うれしさがじんわり、こみ上げてきました。11月から6カ月。ずっと支えてくれた下園先生とSさんに、この形ではもう会えない寂しさも浮かんできましたが…。

21、下園壮太先生はカウンセリングで何を見ていたのか

こうして、私は、リハビリ期のカウンセリングを「卒業」しました。

半年で終わったのは、下園先生のキャリアの中で、正真正銘の“最短コース”だそうです。体調は最悪のときに比べて、たしかに元気にはなりました。でも耳のつまりはあるし、時々ちょっとした不安にさいなまれたり、どうにも疲れやすい感じは残っています。この時点で治った感は全くなし。
「こんなので終わり? 私、まだ治ってない気がするんですけど…」
というのが、率直な感覚でした。

最後のカウンセリングで、また、この半年間、下園先生とSさんはプロのカウンセラーとして、私のなにを見ていたのでしょうか? 半年以上が経った時期、私は改めて、下園先生に質問してみました。

私/
最後のカウンセリングで、下園先生は私の何を見て、「卒業」を判定したんですか?

下園先生/
「いろいろな出来事に対しても、過剰に反応しなくなっていました。また少しずつ意欲が出てきて、自分をコントロールできているという自信を感じ始めていました。そうすると、不安や焦りにあまり左右されなくなります。

私が印象深かったのは、ネガティブな思い出を集中的に思い出し、克服したこと。感情ケアプログラムの一つでもある“感情に触れる”を実行し、実社会でもうまく対応しました(「12.感情のつかえをとるレッスンをしてみた」のこと)。
あれは、うつが深い人は絶対にできません。

あとは、今だから言いますが、少し突き放した部分もあります。うつのリハビリには、いつまでも、復帰する恐怖が付きまといます。ある時背中を押して“もう大丈夫、活動していいよ”と誰かに言われないと、治っているのになかなか社会に出られない。向山さんの能力なら、背中を押して大丈夫という僕の感覚です」

私/
この半年間は、平たく表現すると、私が不安がる→先生が「大丈夫です」と言う。その繰り返しでした。結局のところ、うつ状態というのは、一人で耐えても、放っておいても、疲労が回復すれば「抜けられる」。だけれども、通常は、途中でさまざまな不安が生じるので、結局その不安に蝕まれてエネルギーを消耗してしまうので、治りにくいし、悪化してしまう人も出てくる。だから、適切に伴走してくれるカウンセラーがいると、順調にリハビリ期を抜けられる。この認識はあっていますか?

下園先生/
「まったくその通りだと思います。でも、その単純なことができないのも、これまた普通の、一般的なことなのです。その一番の原因が、本人も周囲も、“問題→解決の努力”のパターンで対応してしまうから。もう一つは、不安と焦りが強く、早く治りたい。すると、“魔法”を求めて行動します。当然休めない。治らない。そうすると不安が強いので、また新たな療法(魔法)を探し求める。でもダメ。そして、いろんなダメを繰り返して、だんだん自信を失う。自信を失うと、余計に不安が強くなる…という悪循環に陥りやすいのです。私がやっていたのは…、何もしていないのではなく(笑)、この悪循環に陥らないように、話を聞き、情報提供し、安心してもらうこと。 “今のままでいい、治っている”という実感を徐々にでも強くしてもらうこと。これが、私のいう“自信ケア”で、悪循環に陥らないための基本なのです」

この半年間のカウンセリングで、下園先生もSさんも、いつもニコニコされていました。おそらく他の人からは、カフェで談笑している3人にしか見えなかったことでしょう。今だから言いますが、その笑顔に安心しつつも「こっちはこんなに深刻なのに」と内心思うことも1度や2度でなく…(笑)。

ですが、今思い返すほどに、実は緻密に観察され、そのときどきにふさわしい言葉、表現、態度、情報で、絶妙に私は導かれていたのだとわかります。その後、メールでアドバイスを求めることはありましたが、対面でのカウンセリングはなし。本当に“卒業”し、今に至ります。

<うつ明け宣言>
うつ状態の治癒は「梅雨明け宣言」と似ているそうです。「はっきりしないけれど、後から振り返って、あのときがそうでしたね」という感じなのだとか。

5月のある朝。

近所をぶらぶらと散策していたら、バラが色とりどりに咲いていました。その薫りの芳しさといったら! 休職したての晩秋は、心細さいっぱいで歩いていた同じ道です。

季節はめぐる。その力は、たとえ目に見えなくても、たしかにある。

見えざるパワーを実感した、そのときが、私の「梅雨明け」となりました。

22、ちょっとしたことだけれど、ものすごく助けられて感謝していること


カウンセリングで伴走していただいたSさんに、
「うーん、さすがの過剰不安ですね〜」
とほめられた(?)ことがあります。今となっては恥ずかしい話で気が進まないのですが、「参考になる人もいるから、ぜひ書いて!」と下園先生からの勧めもあり、勇気を出して報告しておきます。

それは、傷病手当の手続のこと。私は要件を満たしたため、傷病手当の支給を受けることになりました。初回は元の職場を通じて健康保険組合に書類を提出し受給。2回目以降は組合に、自分で請求書を直接提出しなくてはなりません。心療内科の先生にも所見を記入してもらう必要があり、クリニックにはその都度足を運びました。

2回目と3回目の請求書を提出し、受給を今か今かと待っている段階で、組合から「調査書」が届きました。それは、請求書とは別に、詳しい経緯の報告を求めるもの。また、通っている心療内科に照会がいくことにも同意を求められました。

これに私は、激しく動揺したのです。
「もしかして、うつ状態といっても、案外元気じゃないか、と疑われているのではないか。案外元気だと判断されたら、傷病手当をもらえないのではないか」
と思ったのです。

傷病手当をもらう前提で、夫の扶養枠は入れず、年金・保険、ハローワークでの各手続きを済ませていました。
それらの手続きは、当時の私にとって、かなり負担が大きいものでした。
経験してみてわかったのですが、健康ならば何ということはないであろう、こうした手続きは、うつ状態にあるとなかなか大変なのです。

まず、書類を読むのに疲れる。
文章を理解をするのに疲れる。
手続きに足を運ぶのに疲れる。
とにかくエネルギーを消耗して、ぐったりしてしまうのです。ようやく終えたそれらの手続きを、傷病手当の前提がなくなったら、最初からやり直さなくてはいけないかもしれない…。

そんなふうに考えて、どんよりとしてしまいました。また”入り”がないので、当然、貯金の残高も減っていく。そのことも心細さに拍車をかけていました。

「私、元気じゃないかと思われて、傷病手当が支給されなかったらどうしよう? なんか疑われるようなことしたかな」
とあれこれ考えて、ふと、最近SNSの投稿をしたことに気づきました。SNS のプロフィル写真を、プロに撮ってもらった”ニッコリ写真”に変更したのです。
「この写真が、元気が良すぎてまずかったかも」
たしかに、そう思ったのです。

後日、Sさんにおそるおそる、そのことを話したところ
「さすがの過剰不安ですね〜」
と言って、笑われたのでした。

しかしSさんがすぐに動いてくれて、リサーチしてくれました。そして、
「こうした調査は通常の手続きの一つだそうです。特に珍しいものではないようですよ」
と知らせてくれたことで、たちまち安心することができました。もちろん、その後無事に受給もできました。

休職、復職、退社などで事務手続きが発生すると、元気な人が「こんなこと」と思うようなレベルでも、うつ状態にあるとなかなかハードルが高いものです。

各企業ではメンタルヘルス対策が進んでいるようですが、こんな場面で、心情を理解し、ちょっとサポートしてくれる人がいるだけでも、ずいぶん救われる気がします。

Sさんには今でも感謝しかありません。この場を借りて、改めてありがとうございました!

さて、私のうつヌケ体験談は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今調子を落としている方がいらっしゃったら、どうか焦りを少しでもしずめて、休めるときに休めますようにと、心から願っています。少しでも参考になることがありましたら嬉しく、またありがたく思います。


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