俗世で暮らすということ
源氏物語を読むとたびたび「出家」が出てきます。出家をする理由は、俗世で生きることが辛くて辛くて仕方がないから。夜な夜な殿方を待つだけの暮らしであれば、それは辛いよなぁと思うわけですが。
私も、俗世で生きるひとりとして、辛くて辛くて仕方のないことは、あったりします。辛く感じるモノを一つずつ取り除いていけばいいのだけれど、仕事柄、ニュースを知らないで過ごすわけにはいかないし、情報をすべて遮断して、山にこもることもなかなかできない。(それをする勇気がないだけとも言う。)
心を落ち着けようと、座禅をして瞑想を試みても、ぶったまげるほど、頭の中、いろんなことを思い出して、煩悩と妄想と苦悩でいっぱいになる。
苦しみを手放して、ラクになりたい。
そう思うのだけれど、それを求めながらそれに到達できない中途半端な立ち位置。
だけど、そんな中でもいっぱい工夫を続け、ユートピアにならない俗世の中で、一瞬のユートピアを感じると、これまたすごく幸せを感じたりします。
普段当たり前だと思っていた吸い込む空気に新鮮さを感じたり、
友達の優しい言葉に涙がうかんできたり、
そして空を見上げて「生きてるんだ」と改めて実感したり。
出家をしなくても、救われる何かが、俗世にもあるような気がします。
私の体の中には、たくさんの自分が生きている。
卑屈になる自分。
自己愛に満ちた自分。
ずるい自分。優しい自分。
野心。欲望。嫉妬。感謝。思いやり。
どれもこれも全部自分で・・・
戦っては負けて、また闘ってはたまに克服して。
俗世での暮らしは、その繰り返し。
もう少しこの俗世で、自分との闘いを頑張り続けたいと思っています。
お読みいただきありがとうございます。