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自由意志がなければ、責任概念はないのか。

上記の大命題を解く前に、問題を2つに分けて解くことにする。

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問1:自由意志は存在するのか。

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※自由意志:他から束縛されずに、自らの意志によって決定する思案。

解1:論理的には、人間に自由意志は存在しない。

証1:人間は、幼いころから両親や学校から社会のルールや歴史などを教えられているため、社会の規律の中で育てられ、成長という名の社会適応を遂げている。

青年期にあたっても、社会や学校から与えられる情報は決まっていて、それに基づいて自己形成されていく。

中には、大人になれば規律を理解したうえで、人生の方向性(仕事・結婚等)を”自由”に決めていると思う人もいるかもしれないが、結局は社会という規律の中で育てられた人間の意志なので、本来の自由意志とはいえない。

※与えられる情報

・命の尊厳:人を殺してはいけない

・歴史:同じ過ちを繰り返してはいけない

・法律:社会のルールを守る

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問2:自由意志がない場合、責任概念はどうなるのか。

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(参考)殺人者(殺すことも、殺さないことも選べた)に自由意志がないなら、全ての殺人犯は「殺す」という選択肢しか選べなかったということになり、彼らに責任は問えない。したがって無罪になってしまう。

解2:責任概念は、特殊事項に応じてその責任概念の重要度や意味が変化する。

証2:以下、例1・2にて責任概念の重要度が変化する状況を解説。

例1)いじめられっ子が毎日殴られて殺されそうになる。→相手を殺さないと自分が死んでしまう。→相手を殺すしかない。→自由意志は存在しない。

上記を例に取ると、命が係わる重要な問題なので、責任概念(罪)は軽くなる。

例2)お菓子が食べたい。→太りすぎて食べると死ぬ。→しかし、お菓子を食べないと精神的に辛すぎて死んでしまう。→お菓子食べる。→死ぬ。→自由意志は存在しない?

上記を例に取ると、社会の多くの人は「お菓子くらい我慢できませんか?」となる。

したがって、誰がどう考えたって逃げられない結果や状況に対しては、責任が軽くなる。だからこそ、行為の内容により責任概念が変化する。

しかし、その重要度(自由意志がない状況)を証明するためには、その人の欲求や選好を証明する必要が出てくる。

=>結局、重要度というものは、その人の価値観に依存するため自由意志があるか否かは、問題がループする。

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大命題:自由意志が存在しないなら、責任概念も存在しないのか。

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解:人間には自由意志はないけど存在し、責任概念もある。

証:問1で人間は自由意志を持たないことを論理づけた際に、「人間は、社会の規律を理解させられて人間形成を遂げる」と私は説明した。

そんな人間(命の尊厳、歴史、法律を理解している人間)が、どうしても人を殺さないといけない状況に陥った直前に、社会の規律である「人を殺してはいけない」という規律が頭をよぎると連想した。

それは、規律の中で育てられた人間だからこそ、人を殺してはいけないという選択肢が本来は人間の内側にあるからだ。だからこそ、人を殺すこと直前に規律の枠外に出ることを自覚するはずだ。

したがって、自由意志のない人間が人を殺すという自由意志のない(どうしてもそうせざるを得ない)状況に陥った時に、初めて自由意志を持ち、その行為に及ぶことになる。

上記の論理が正しいとすれば、命の尊厳を守らなかった人間に対して責任概念があることも正しいと論理づけることができる。


その結果が、今回の”いびつ”な回答を結論付けた。

人間には、自由意志はないけど存在し、責任概念もある。


最後まで読んでくださってありがとうございました。

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