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朝井リョウ 『死にがいを求めて生きているの』(白井友里子)を読んで

まだ全部は読んでいないのですが、白井友里子パートの感想を書きたいと思います。時間がなくて、全部を読んで書くのは難しいと思うので……。

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主人公の友里子が感じている自動的に運ばれる「4日間の塊」(彼女の、決まってやってくる仕事のスケジュールのこと)について読んだら、まもなくやって来る私の社会人生活を考えずにはいられなかった。私がこれから迎える自動的に運ばれていく同じような日々には、堀北が言っているような、この日のために生きてたんだという答えが出る瞬間は訪れるのだろうかと思った。そのような瞬間が「絶対」来ることを本当は信じたいけれど、素直には信じられない。絶対かなんて、誰にも分からない。ただ、絶対を肌感覚で信じられなくなった友里子ほど、私は絶対が信じられないわけではない。けれども、世の中に絶対なんてない。絶対なんて、どこにも保証されていないし、100%確実なことなんて、この世のどこを探しても存在しない。でも、絶対が信じられるということは、希望であると思う。堀北は、絶対を信じているからこそ、希望を持って生きていられるのだと思った。

この先にある自動的に運ばれていく日常は、終着点が見えないのが怖い。大学生活は比較的自由度が高くて、自動的に日常が運ばれているという感覚は薄いと思うけれど、ただひたすら何も変わることがなく、終わりの見えない日常を送ることに恐怖心を抱いた。それと同時にそのような生活に慣れ切ってしまうことも怖いと思う。


生きるのが不器用な自分も、明日こそは、その次の日こそは、と希望を抱いて、「クッキーの生地」みたいに 1日、1日命を引き伸ばしながら日々を積み重ねていけたらいいと思う。

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続く人物の物語も気になっているので、出来れば早く読みたいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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