学歴なんて

おはようございます。コーヒーのお供に。
小さい時から感じていることを書いてみました。

私は大学4年生なので、もうすぐで学生が終わろうとしています。
小学校の時から学生時代まで、私が意識してしまっていたことについて話します。

それは「学歴」です。

頭の片隅に常にあったと思います。

おそらく幼稚園の時からです。おそらく。

私は少し特殊な幼稚園に通っていました。そこの多くの子たちはお受験をします。
某有名私立小中高一貫校などに行きます。そんな中、私は公立小学校に通いました。
小さい時から遊んでいた子達と自分は違う学校に行く、園児ではありましたが少なからず疑問に感じていたと思います。

小中と公立学校に通い、高校はスポーツ推薦で入学、大学も推薦入試でギリギリ入学しました。

小学校の時期から、「頭がいいやつ」「頭が悪いやつ」という目には見えない境界線が出てくるように感じます。この境界線は、中高大とあがるにつれて顕著に出てきます。

成績が優秀な人は、頭が良いと言われます。成績が悪い人は、頭が悪いと言われます。直接言われるわけではありませんが、思われます。

この境界線を作ったのは一体誰なのでしょうか。
自分なのか、友達か先生か親などの周りの影響か、うまく言語化できませんが全て影響していると思います。
頭が良い悪いの境界線は、その場の空気感だったり、テストの点数や順位だったり、通っている学校で判断しているのだと思います。

この境界線は自分自身の中で無意識に形成されていきました。なんとなく、あの人は頭が良い悪いと決めつけていました。

学歴に対して強烈にコンプレックスを抱いていたわけではありませんが、境界線があるとしたら下の人間であるということは認識していました。

大学は実力より遥か上の大学に入学できました。
周りの目はかなり変わりました。私の小中高時代を知っている方々には、すごいね、頑張ったんだね、と言われるようになりました。

受験勉強なんて何一つしていなのに、周りの目の評価は少し変わりました。人からの評価は優秀かどうかなんだと思いました。結局、その人がどいう人なのかは評価に入っていませんから。お前なんかよく入れたな、このように言う人の方がよっぽど私を評価してくれているように感じます。


環境が変わり月日が経ち、自分の実力は何一つ変わっていないという現実を痛感することになっていきます。

大学に入ればみんな同じだと思っていましたが、そんなことありませんでした。想像以上に自分と周りの人の実力の差がありました。

私のような勉強できないやつが、どうすれば頭がいいやつと共存していくことができるのか考えるようになりました。

学歴なんてなくても、その人に何かスキルや実力があれば必要とされるかもしれないと考えるようになりました。

頭が良い悪いの境界線はこの先もなくならないと思います。この境界線が悪いとは思いませんが、この境界線を意識しすぎて自分の可能性を信じないのはもったいないと思います。

周りの評価ばかり気にしていた私は、自分がするべきことを見失っていました。意識的にではなく、無意識だったことが問題だったと思いますね。

そもそも、頭が良いとか悪いという言葉自体があまり意味をもっていないと思います。その人の本質を見抜いて言っているなら良いと思いますが、大体は勉強の結果や通っている学校などで言っていると思うからです。そこに価値を見出している人なら問題ありません。以前の私はそうでした。

今思うことは、境界線なんて意味がないということです。

私が大事だと思うことは、通っている学校とかを気にするのではなく、自分がすべきことを地道に積み上げ力をつけることだと思います。

実力をつけるといっても、なかなか抽象的な話ではありますが、模索して頑張っていきます。


余談ですが、岩田俊太郎がnoteを書くとき頭に出てきた言葉をどんどん文字にしていくそうです。頭の中が整理されていないとできないことですよね。
今回は私も真似てみましたが、見返してみると全然ダメだなと感じます。
コツは継続しないとわからないということを言っていました。
頑張っていきます。


フィン




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