金沢大学医療技術短期大学部看護学科の闇
私は、金沢大学医療技術短期大学部看護学科卒の落ちこぼれ看護師です。
母校の闇を書きます。
体育の講義で、三点倒立(殺人教育)や匍匐前進(軍隊教育)などをやらされました。
先輩の代で三点倒立の練習中にあわや頚椎骨折しそうになった看護学生がいて当時の看護教員らに相談したそうですが、三点倒立の指導は無くならなかったとのこと。
当時の看護教員の名前は、真田弘美助教授、稲垣美智子助教授、今江(須釜)淳子助手、河村一海助手、泉キヨ子教授、西村真美子講師らでした。
学長は立野医師でしたが当時の看護教員らがきちんと立野学長に報告していたかは、金沢大学側は教えてはくれませんでした。
看護師になる前に頚椎損傷で、四肢麻痺か最悪死亡してしまうのですが体育の教授と講師は止めずに私たちの代の看護学生や全学部の一年生に強制していました。
この殺人教育と軍隊教育のシラバスの開示は、金沢大学側に拒否されました。
須釜淳子助手は、2年連続で看護学生の看護研究の指導を失敗していました。
私の一つ上の先輩らの看護研究発表会に、当時の看護教員ら全員と3年生と2年生の看護学生全員が参加しました。
須釜淳子助手指導のグループの発表は、『私達のグループは何故看護研究が出来なかったのか』と言うタイトルで発表させられていました。
看護学生をきちんと指導出来なかった須釜淳子助手の能力が無かっただけの話ですが、これは羞恥プレイと言うかアカハラですよね。
どうして事前に他の看護教員らがこのアカハラを止めなかったのかは、謎ですが。
翌年の私達のグループの看護研究の指導者が須釜淳子助手になり、嫌な予感がしました。
今年は失敗したくないからと真田弘美助教授から褥瘡の看護研究のテーマをもらって来て、私達のグループになかば強要してきました。
看護学生の看護研究に、真田弘美助教授の褥瘡研究の機械(業者から借りているもの)を使わせることに須釜淳子助手は何も感じてはいませんでした。
機械でデータを取る研究でしたが、業者さんが私達のグループの看護学生に機械の使い方をレクチャーしに来てくれました。
がしかし看護学生には難しすぎる看護研究だったためデータをきちんと取ることすら出来ずに、また須釜淳子助手の指導が失敗しました。
ある教員(医師資格あり)が、まあ看護学生の研究だから仕方ないよねと馬鹿にして来ました。
須釜淳子助手は、文句を言っていましたが指導ミスは指導ミスなのです。
勿論、全看護教員らと同級生らと2年生らの前で、失敗看護研究の発表を須釜淳子助手に強要されました。
2年連続のアカハラでしたが、須釜淳子助手を指導する教授らは皆無でした。
須釜淳子助手の当時の知的水準はこの程度でしたが、医師のご主人と結婚してから様々な論文を書いて教授になりました。
どうして看護学生の看護研究指導が出来なくて、ご自身の論文が書けたのかは謎としか言いようがありません。
大学院を卒業されていますが、この程度の知的水準で実力で卒業したとは…かなり怪しいですよね。
金沢大学医療技術短期大学部看護学科の闇は、まだまだあります。
続きは、そのうちにまた書きます。
追伸。
当時の看護学生の看護研究の発表会の資料もお蔵入りになっているそうで、開示は拒否されました。
やましいことがあるのでしょうね。
看護教員らのアカハラは、昔からあるんです。
厚生労働省にも報告済みです。
須釜淳子助手の今↓