# ブログの振り返り
はじめに
私は、noteをはじめて1年になる。自分の、ブログを振り返ってみたい。振り返ることで、今後の自分のブログに役立てたい。
(私はブログを、私の日記としてとらえている。自分の日常や感想を書きとどめることや、書くことによって自分の思考を整理するものと考えている。そして、noteのテキストから発信している。ゆえに、一般のブログにある収益やコンテンツの所有ということは考えていない。)
私とブログとの関わりを考えて、1~6に分けて、タイトルと時期を示し書いた。その時の、自分の思い出すブログのタイトルも書いた。
1 ブログをアップしてもらう[去年の12月~1月]
去年の春ごろから、私は、古希を意識するようになってきた。古希が近づくにつれ、私は、今の日常を、ブログに書き記しておきたくなった。しかし、ブログを書きたいとは思ったが、具体的にブログをアップする方法は知らなかった。
去年の11月、村の祭りの時に娘も息子も家族で帰ってきた。彼らとの話の中に、ブログの話題もあった。その時に、私は、「自分もブログにチャレンジしたいこと。しかし、アップするやり方がわからないこと。」を話した。
数日後に、息子が「お父さんだったらこのブログがいいと思う」と、noteを紹介してくれた。わたしには文章を書き記したい思いが強かった。しかし、開示することでの意図しない批判を受けることを考えて、ためらう気持ちもあった。ためらう私に息子は、「やってみたいときに、やらへんだら後悔するで~。」「俺も手伝うから。」と言った。
そこで私が息子にブログの原稿を送り、息子がアップするということでスタートした。タイトルは『孫との日常』ということで、孫とのふれあいの中での、何気ない日常を書こうとした。古希のころの、孫とのふれあいの中での、ささいな出来事を、私はブログで表現したかった。
原稿は、校正の前に孫や息子に見せて了解を得た。本人の了解が得られないときは、原稿を書き改めたり廃棄した。(『#3 唐揚げ』は、娘の長男のブログ。)(『#5 お泊り』は、息子の長男のブログ。)正月を過ぎると、各題材がなくなってきた。
2 自分でブログをアップするようになる[2月]
2月頃になって、新型コロナ第6波の流行期になった。感染に配慮して、孫の学校の放課後の世話にも行くことも制限して、家でいることが多かった。ブログをアップしてくれていた息子が仕事で忙しくなったのを契機に、自分でブログをアップするようになった。
『#10 小さな花束』が、自分でアップしたはじめてのブログだった。
自分でブログをアップするようになり、誤字や不自然な表現が気になり、アップする前には何回も見直した。音声で読み上げることもした。
それ以後は、自分のペースでアップするようになった。
ダッシュボードの全体ビューの数が急に増えた時があった。私は、何が起きたかわからなかった。しかし、嬉しかった。励みにもなった。
3 ブログを書くことへの不安[3月~6月]
私は、子どもとの何気ないふれあいの中で、気づいたことをブログにしようと思っていた。新型コロナへの感染に配慮して、子どもの放課後の世話を自粛したこともあり、子どもとの触れ合う機会が少なくなってきた。そのため、私のブログの題材がなくなってきた。(『#30 修了式の後で』は、長男の4年生の時の振り返りをブログに書いた。)
このころになって、いずれ、子どものことだけではブログが書けない時が来ると思うようになってきた。
ブログを書こうとするが、思い浮かばないときも続いた。気持ちがあせっても、文章がでてこなかった。無理に書いても、読み返すと理屈っぽく、不自然だった。ある程度書き溜めておいても、時期がずれて、新鮮でなくなることも多かった。
この時期のブログは、子どもによって題材が限られていた。
しょうへい(しょうと)は、少年野球にかかわる題材が多かった(『#42 スクイズの練習』しょうへいの野球のブログ。)。
りかこ(りこ)は、週末によく私の家に泊りがけで遊びにくることが多くなった。そのため、私の家での料理・手芸・農業などが題材になった。(『#35 カレーライス』おばあちゃんと料理をした時のブログ。)。
そうたやりょうた(はやたとりつ)は、月に一度の程度で私の家に来るか、私がそうたやりょうたの家に行くことがあった。そうたとりょうたとは、家族みんなで遊びにいったときのことなどが多かった。(『#53 ショッピングモール』子供との遊びの様子を書いたブログ。)
ブログのビューやスキと言う、読んでくださった皆さんの反応から、自分のブログの内容や、書き方を振り返ることができた。
4 ブログが書けなくなった[7月~8月]
7月になると、私はブログの題材がなくなった。ブログが陳腐になってきた。絞り出すように書いても、ブログができなかった。子どもたちの夏休みが近づいてきた。夏休みになると、私は子供の家に行かなかったので、題材がなくなった。
さらに、子どもたちは、家族で、相次いで新型コロナウイルスに感染した。お見舞いに行く時も、玄関前に食料品等を入れたクーラーボックスを置いて、窓越しに話をした。直接会えない時が8月には長期間に及んだ。
そのころ、パソコンも不具合が発生し、どうにもできない状態になった。(『#87 明日から夏休み』では、私のブログも夏休みに入ることも書いた。)
ブログをアップすることを中断したことで、何か書く材料を探すことはなくなって気楽になったが、何か気になった。
5 ブログを書かなくなって[9月]
ブログを書かなくなった私は、だんだんと、張り合いがなくなってきた。『もう、ブログは書かなくてもいいやん』と自分に問うた。『まして、70になってそんなことせんでもいいやん。』と自分に問うた。『何で、自分は書くのか?』も自分に問うた。
私は、文章を書くことで『自分の考えや思いを深め、明らかにする』と思っていた。
自分の思いを文章に書く。そして、自分の書いた文章を『寝かせる』。そのあと、自分の書いた文章を、再度読み直す。すると、無駄なところや、言い足りないところが、自分の中で明らかになる。今は、どこまでが分かり、どこからが課題かが、書くことを通して、わかるようになる。
だから、『書くことが、自分には大切なんや』と再度、思うようになった。
私は、ブログをもう一度書こうと思った。70歳(古希)になって、見えたもの、感じるようになったこと(実感)を、自分の言葉で書きとどめたいと思った。
幸い、パソコンを修理してくれる人や、ブログのかき方を教えてくれる人に助けてもらって、ブログをリスタートすることができた。
6 タイトル『古希の記に…』として、リスタート
タイトルを『古希の記に…』と決めた。それを機会に、ブログに書く対象を、@自分@家族@地域など、今までより広げることとした。孫は、@家族に書くことにし、名前をしょうへい(しょうと)・りかこ(りこ)・そうた(はやた)・りょうた(りつ)に書き改めた。
また、タイトルに写真を取り入れることにした。
さらに、積極的に応募や投稿することにした。
ブログを読み返し、『だから、何が言いたいのか?』を自分に問う。『余韻』のあるブログを今、自分は目指している。(『#88 古希の記に…』というタイトルに変えてリスタートした。)
おわりに
10月末、私は、突然吐き気がして、少しふらつくときがあった。ふらつくことは、あまり経験しなかったので、無理をしないで寝ていた。その間、ブログを書く気になれなかった。あたり前だが、ブログを書けるのは、体調のいい証拠だ。
『普通の生活をする』ことが、私のブログを書くことに必要なことだ。
普段の生活で、ふと浮かんだことを、メモやスマホに記録し、あらためてパソコンに入力する。ブログを書いている今の私には、張り合いがある。もしブログを書いていないなら、漫然とYouTube動画を見ているだろう。
この頃、ブログをアップする時に、確認のために音声で読み上げることを繰り返すようになった。私にとってこのブログは、今のことを書き記したアルバムだ。これからも、自分のペースで、感じたことを、簡潔な文章で書き続けたい。
そして、この12月28日で、ちょうど私が、noteにブログを書いて1年を迎えることになった。