占いも信じなくなった。現実あるのみ!でも魔法の呼吸法は信じて魔法の中にいる。
人にはパッパラパーでいられなくなるようなことが、
人生で起こるものなのですね。
大人になるにつれて、ある意味パッパラパーじゃなくなる人が減るように感じるのは、長く生きてると上記の機会に遭遇する確率が高くなるからで、若くてもパッパラパーでいられなくなることもそれはあるのです。
映画『この世界の片隅に』の主人公のすずが映画で言っていたセリフ
『なんも考えん、ぼーっとしたうちのまま死にたかったな』
私もこの言葉が何度も口から出てきそうになります。
『パッパラパーのまんまでよかったのになー』と。
初めにそう思ったのは、大学の頃。
父が癌になって、まるでドラマの中にいるようなことが次々と起こ利始めた時です。
その時から、どんなに普通に生活していても、他人に起こることは自分にも起こる。自分は特別幸せ者なじゃない。と実感してパッパラパーからひとつ遠のいたと思います。
それでも、結婚したいと思えるパートナーに出会って、子供もできて幸せいっぱい!
割と、のほほんと好きな苔のことなんて考えたりして過ごしていました。
ところがどっこい
結婚して、妊娠して、おめでとうと言われて周りに手伝ってもらいながら子育てすることも当たり前だと思っていました。
でも、それは本当に奇跡ですね!!!!!
『おめでとう。元気に産まれてきてよかったね!』という言葉が
いいのか、よくないのか、今でもモヤモヤしています。
どうしてかというと、障害を持って産まれてきた我が子(チャッピー)がいる私はこの言葉を聞くと涙が出てくるからです。
でも、友人が出産したとき、私もこの言葉を伝えました。
私はこの言葉をほとんど言われなかったのです。
障害を持って産まれてきた子や、その親にこの言葉をいうのは躊躇するからかな。
でも、頑張って産んだし、産まれてきて今から生きていく命があるんだから
みんなから『おめでとう』って言われたかったなと思うのです。
障害を持って産まれてきても、みんなが支えてくれるような社会で、差別や不安もなければ、こんな言葉に引っかかりもしないし、気にもしない。
こんな言葉すらなくなってるかもしれないなとも思ったりします。
『おめでとう!少し体力と気力はいるけど仲間が産まれてきてよかったね』
と私なら伝えるかな〜なんて考えたりします。
そういえば、タイトルにあるように、私は出産前は占いもよくいっていたのです。
でも、出産してからいろいろな事があって、占いに任せられる気分ではなくなったから占いはいかなくなりました。
自分がしっかりしなりといけないと思うことと、占いでいくらいろんな事を言われようと、目の前の息子の状態は常に変化して、呼吸が止まるかもしれない、手術が成功するかしないかわからない、いつ食べれるようになるかわからない。etc...
もう一度書くけど、占いどころの問題じゃない。のです。
現実がどんどんと押し寄せてくるから。常に自分で自分の気持ちをキープしなきゃならないのです。
そんな私の魔法の方法
でも、その分私は、自分を信じるようになりました。
障害を持ったチャッピーを楽しく育てている自分。
チャッピーがいつもハッピーな気持ちで過ごせるようにお願いする。
毎日、寝る前には瞑想して、どんなふうに過ごしている自分になっているかを想います。
これは、昔読んだ服部みれいさんの本『恋愛呼吸』の呼吸法を参考にしています。
これは本当に面白くて、自分が主体の未来の想像に限定されているのですが、
願いは叶う。のような魔法の呼吸法でした。
ハズバンドを出会う少し前からこの呼吸法を始めて、しばらくしてから結婚しました。
こんなにも思い描いていた関係の通りの相手が見つかるなんて未だに不思議なくらいでした。
ということもあり、私はこの呼吸法で瞑想することはお守りのように毎日しています。
どんな時も、自分がその物事に対してどう向き合っていくか、どんな感じ方をするか、それで人生が豊かになるのであれば万々歳です。
何が伝えたいか、迷走し始めましたが、色々あっても、占いや出来事に振り回されることなく、自分をコントロールしてあげればいいよ!ってことを伝えたかったのです。
チャッピーの運動会まであと数日。
『ピッピッ!ピッピ!ヨーイドン』と朝から晩まで張り切っているチャッピーです。
こんな姿を見れるようになるとは、産まれてきてからのNICUにいた頃のチャッピーからは考えられなかったのです。
チャッピーも私も、周りのみんなも本当に頑張ってる。
きっと運動会は号泣するだろうな〜。(私もハズバンドも)
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